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祖の時代のルール(神々)

前回の記事では弥生時代から現在までを指す、祖の時代(夜)の基本ルールと概念をお伝えしました。

今回のページでは、この祖の時代のトップにおられた方々についてお伝えしていきます。

皆さまは神道、日本神話にはお詳しいでしょうか?

恥ずかしながら、わたし自身はワイオ理論に携わるまで、神々、日本神話にはあまり興味がなく、神社仏閣にもそこまで多く訪れたりしたことがありませんでした。

本題に入ります。

ワイオ理論では、この祖の時代においての幸せの三原則を三種の神器に例えて伝えています。

三種の神器とは鏡、玉、剣です。

鏡には「信じて従う」という思想が含まれています。

また、これが祖の時代には相当根強くあったと言います。

その意味は、神を崇めること。つまり宗教。

宗教的思考とも言います。

ちなみに今回のページに登場する神々はすべて日本の神様です。
その理由は読み進めていくとなんとなくわかってくると思います。

この祖の時代にはトップに立って世界を引っ張っていく神々がおられました。

祖の神々のお名前を少しお伝えします。

天照大神

天照大神様は大変有名な神のお一人であり、太陽神。

この暗く苦しい祖の時代を天から明るく照らし続けてくださった女神です。

天の岩戸開きのお話は、まさに祖の時代の幕開けを記したものであります。

彼女の照らす光によって、暗い時代にあかりが灯り、人は道を進むことができました。

光を照らす、スター、ということで、彼女の恩恵を受けた方の中には芸能界で活躍される方々もおられたようです。

上志満先生によると、彼女は祖(夜)の時代の太陽神と呼ばれたので、エネルギー的には月に当たるそうです。

月は単体で輝くのではなく、太陽の光に当たることで光りますが、

天照大神様がエネルギー的に月ということは、この世は幻想、眠りの中にいたと言ってもいいのでは、と感じます。

余談ですが、2017年におこなわれた、元眞子内親王殿下と小室圭氏の婚約内定会見において、小室圭氏が眞子内親王殿下のことを「宮様はわたしを月のように静かに見守ってくださる存在」だと表現しておられました。

彼自身、とくに深い意味はなかったとは思いますけれど、なんとも不思議な気分になります。

月崇拝さながら、月を愛する人が多いのも、祖の太陽神が本当は月である、ということの現れではないかと一人考察したものです。

イスラム教のアラーの神もこの天照大神です。

高木神

この方は祖の時代、もっとも強く働かれた神になります。
その働きとは支配と権力。

高木神と言うと、あまりご存知ない方々も多いかもしれませんが、別名が存在します。

キリスト教の天なる父神はこのお方です。

天地創造の神と呼ばれ、人々に大変崇拝されてきました。

また、このお方のエネルギーによって祖の時代のピラミッド構造が作られたと言っても良いでしょう。

ユダヤ教のヤハヴェ神もこのお方になります。

ウカノミタマ神

この神は祖の時代、経済の中心となって活躍なさった神です。

有名なお名前をあげるとお稲荷さん。

稲荷は穀物、農業の神です。

祖の時代の始まりとしては弥生時代からになり、小さな集落を大きな村へと変えていきました。

この頃から穀物や作物の農業が盛んになり、稲荷信仰も自然と拡大していったのです。

また、これまでの経済のことを稲荷経済とも言います。

祖の時代はもうひとつ大切なことがあり、それは慾を持つということでした。

普通は「欲」と書きますが、実はこれまでの時代のわたしたちを動かしていた欲は本来、下に心がつく「慾」によるものです。

また時間があるときにお伝えしようと思いますが、なんとなく文字から読み取れますね。

ほかにどんな慾があるか、考察するのも面白いと思います。

この慾を持つことで経済が成り立っていたのがこれまでの時代でした。

ワイオ理論を学ぶ中で、わたしがこれまで神々、神社にあまり興味が湧かなかった理由もなんとなく理解しました。

わたしは祖の神とのご縁がまったくと言っていいほどなかったということだったのでしょう。

宗教的思考は根強い

ここで、非常に言いにくいことを書かなくてはなりません。

現在、祖の時代から皇の時代へと移り変わっている中、上記でお伝えした神々、その他祖の時代に活躍なさった神々はすでにおやすみなさっており、神社にもおられません。

さらに言えば、これからの皇の時代に活躍される神々たちは、信じて従うことを良しとしたこれまでの神とはまるで正反対。

つまり、拝むことや崇めることなく、自立を促す方々ゆえ、まず皇の時代、宗教はすべてなくなります。

冒頭でこれまでの時代は神を崇めること、宗教が根強くあったと書きましたが、

単に仏教やキリスト教など、あるいは、新興宗教等だけを指すわけではありません。

そういうことに、まるで興味がないと言われる方々であっても、この宗教的思考というものを強く持っているのです。

わたしたちの中には、これまで輪廻を繰り返してきた中で培ってきた、「信じてそれに従う」というエネルギーが強く残っているということであります。

現にコロナ、ワク○ンについても、テレビマスメディアや権威のある文化人、医療従事者の言うことを信じて従う人の方が多いことがわかりました。

それそのものが宗教的思考になるのではないかと感じます。

そんな中、自分で調べ、自分の感覚を信じ生きる人たちは現在どれくらいいるでしょうか。

これを知ったわたしたちが今すぐにできること、やるべきことは、自立の反対である、依存、宗教的思考を手放すことではないかと感じます。

*今回の記事で気分を害された方がおられたら、大変申し訳ございません。

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