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現役理系女子大生がセンター過去問でとある作品に一目惚れして全集を買うまで

こんにちは、フローリストと申します。

多分話すジャンル的にこっちの名前にはあまり馴染みのない人の方が多いと思いますが、どうぞよろしくお願いします。


改めて、軽い自己紹介を……といっても普段はブカブカTシャツでベースを掻き鳴らしたり、(このご時世だとなかなか行けないけれど)夏フェスで暴れたり、推しにペンライトを振ったり、コスメを集めたり、不慣れながらゲームを嗜んだり(←ゲームは嗜むものか?)、推しの配信やゲーム実況を観たり……(ここまでの"推し"は全員違ったりするのですが)まあ自他共に認める多趣味人間として生活している、ごくごく普通の女子大生です。


そんな私ですが、数ヶ月前には苦しみを味わっていました。

その原因は大学入試。

特に昨年度入試はセンター試験から共通テストへと名を変え、前例のないことばかり。授業はコロナ禍で1、2ヶ月授業をまともに受けられない中でのスタート。正直不安だらけでした。ですが、そんな私にはひとつだけ、受験生で良かった、勉強して良かったと思っている出来事があります。

それはセンター国語の過去問で、とある文学作品に出会えたこと。

その作品の名前は「花の精」

この作品に出会った時の記憶は、今でも忘れられません。

当時の私は受験生という強いプレッシャーの中、毎日辛い日々を送っていました。自律神経の調子が悪く、毎日のように息が苦しい日々が続き、ろくに眠れない日はザラ。酷い時は顔がヒリヒリし、朝起きて全身の震えと悪寒が止まらない日も。それでも学校を休む訳にもいかず、とにかくやれるだけやろうと決意し、日々を過ごしていました。

そんなある日、いつものように国語の授業の間、センターの過去問を解くことになります。私は理系ということもあり、普段正直国語の過去問は飛ばし読みでさっさと解き、自由時間に数学や生物に手をつけていました。(本当はあまり褒められた話ではないことは重々承知ですが) その為、正直にいってしまえば真面目に問題を解く気はさらさらありませんでした。

ですが、その時の私は酷く疲れていて、いつもなら絶対にしない本文を先に読むと言う行動を取ったのです。そして読み進めていった時、私は心が温かくなるような、でも少し切ないような不思議な気分になりました。そうして気がつけば、過去問なんかは頭に一切なく、ただただこの作品の世界に、没入。「花の精」自体、特にどこかが派手という訳ではない作品です。一つ前のサナトリウムに関する話では一抹寂しい心地もするんですが、最後の月見草で一面花の天国のようになるシーンで一気に引き込まれる。それがたまらなく心地よくて、絶対に全文読みたい!!と強く決意しました。思えば、その時点で「問題」ではなく一つの「文学作品」としてこの作品に強く惹かれていたのだと思います。

帰宅してから赤本の解答解説を読み、まず「花の精」の作者が自分と同じ高知県出身である上林暁という人物であることを知り、文豪と呼ばれる人たちと自分の住む高知県に何か縁がないかを調べることが趣味の自分にとって、更に興味が湧きました。この人はどんな人なんだろう?そう思って作者について調べることにし、まずはインターネットで様々な情報を探しつつ文学館へ行き、資料を集めました。

調べたところ、この上林暁(かんばやしあかつき)という作家さんは戦後期を代表する私小説家で、本名は徳廣巌城(とくひろいわき)。かつて編集者をしていた時期もあります。ありがたいことに活字不足が叫ばれる日本において、彼の本は同じ戦後期を代表する芥川賞作家・尾崎一雄に比べれば知名度は低いけれども、いくつか単行本などが発行される程度には知名度があるようでした。そうして私は「花の精」の全文が読める場所を探しながら、同時進行で彼の人生における人間関係を調べていくことにしました。


そこで、私は上林暁の人生と彼を取り巻く人間関係が大きな沼の始まりであるということを思い知らされることになります。


まずはざっくりとWikipediaや関連サイトで上林暁の人生を追っていきました。それが、こんな感じ。

上林暁(本名・徳廣巌城)は高知県幡多郡(現・黒潮町)に生まれ、高知県立三中(現・高知県立中村高等学校)に入学します。その三中時代、上林は芥川龍之介に傾倒し、小説家になることを夢見ます。そして熊本の第五高等学校へ進学。ちなみに時代は違えど、五高の生徒には詩人・萩原朔太郎がいたり、夏目漱石やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語教師を務めた学校でもあります。

そして東京帝国大学英文科を卒業、改造社で編集者として働きはじめます。「現代日本文学全集」の校正や雑誌編集などを行う傍、仕事柄多くの作家たちと触れ合う中でどうしても文学への憧れを捨てきれず、作家としての道を歩むように。

そんな彼の作品をいち早く見出したのは、新人作家の発掘に力を入れており、上林自身編集者として原稿を取りに行っていた作家・川端康成です。しかし当時改造社では文筆業をやることは禁止されていたので、川端は「上林暁」が編集者・徳廣巌城であることを知らず、後にたいそう驚いたそうです。

しかし、ここにきて彼の愛する妻・繁子が病に倒れます。

私小説というのは、(まあ色んな定義がありますし、心境小説との関連云々もありますので一概には言えません、多分この説明も十分ではないと思いますが)基本的に自分の身に起こったことをもとにしてほぼそのまま書く小説のことを指します。そう、上林暁の小説の大きな特色は、この病に倒れた妻のことを記した「病妻もの」と呼ばれる小説を、妻が亡くなるまでの間、数多く書き残しているという点です。

そしてやがて上林自身も二度も脳出血を起こし、病に苦しみます。脳出血で半身不随になり、思うように体が動かなくなる。それでも、左手で書いたり、妹・睦子による介護と口述筆記(上林が話したことを睦子が原稿用紙に書く)により、最後まで書くことを諦めませんでした。その努力の甲斐あって、上林は1974年「ブロンズの首」という作品で敬愛する川端の名前の冠を持つ川端康成文学賞第一回受賞者となります。その後も左手を使ったり、睦子さんによる口述筆記を続け、長い間小説を書き続けました。愚直に生き続けた上林ですが、1980年8月28日、脳血栓のため東京都杉並区天沼の病院で亡くなりました。

このような彼の人生を知った時、私は病気になってもなお、左手でGペンを握り、手に力が入らなくなれば口で言葉にして文学を紡ぐ彼の文学に対する信念と愛情を深く感じました。そして、その頃私はようやく「上林暁 花の精」を全文読める場所を見つけます。しかし、私はもう一部の作品だけでは満足できなくなっていました。とにかく上林の作品を手っ取り早く全部読みたい。

そう思った私は、一世一代の大決意をします。

それは

上林暁の全集を買う

ということです。

一世一代だなんて、大袈裟だと思う人もいるかもしれません。でも当時の私は高校生で、幼い頃から両親からお小遣いを貰ったことはありませんでした。文房具など勉強に必要なものだけ買ってもらう感じ。趣味のお金は毎年8万円(それでも多い方だけれど)のお年玉を分割してライブグッズやCDに当てていたんです。だから最初全集の値段を見た時、本当にびっくり。とにかくお金貯めなきゃ!合格祝いも全部全集に当てる!と決めて毎日食べていたお菓子を辞め、少しずつ少しずつお金を貯めていきました。ちなみにそれで体重が3、4kg落ちました。(これが噂の推しダイエット……なんちゃって)

そこまで痩せると当然親にバレて心配されまして、めちゃくちゃ怒られ、全集のお金は出すから昼ごはんをケチッたりするな!と言われました。めちゃくちゃ粘って『いやや!!何の為にようけお金貯めたがか分からんやんか!!自分のお金で買うきね!!(土佐弁)』とブチギレたのですが、最終的に折れて親に買ってもらいました。うーーん、不服。笑

そんなこんなで実際に買って届いたのがこちら。めちゃくちゃ綺麗……!!!

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しかもなんとこちら、月報付なんです。状態も良くて、本当古本屋さんには感謝で一杯。ありがとうございます!!!!!

そして早速読みました、読みました。まだ全部は読了していないのですが、随筆だけでもめちゃくちゃ面白い。読み進めれば読み進める程上林は本当に作家のことが大好きなんだなと思わされます。例えば、芥川龍之介の短冊を買いたかったけれど周りに揶揄われて買えなかったり、谷崎潤一郎に会いに行って大興奮して帰りに堀辰雄の家に行って喋り倒したり、新感覚派の集まりは一つ喋らなくても心が通い合っている気がして良いね……とほのぼのしてる上林などなど、色んな上林自身のエピソードがあってワクワクします。

その中でも私が特に好きなエピソードは、横光利一や川端康成がまだ新進気鋭の新人作家だった頃、編集者である上林暁が川端の家を訪ねるんですが見つからないんです。それで近所の人に尋ね回りますが、近所の人はまだ知らないので「川端、川端っていうけど誰の弟子よ??」って聞かれるんです。そこで上林は「菊池寛ですよ」ってドヤ顔で話すシーンがあるんですが本当この上林可愛いです。確かこの話は単行本 :「聖ヨハネ病院から・大懺悔」で読めたはずなので、気になったら読んでみてください。

他にも上林暁の随筆の中には太宰治について語っている文章もあります。「太宰治と弁当」(弁当は旧字体)というのですが、この太宰治がまた可愛いんです。太宰治というと坂口安吾、織田作之助を始めとする無頼派の文豪で、典型的なダメ人間のイメージが強いと思います。ですが、上林暁の描く太宰は可愛らしい。元々太宰治とは井伏鱒二が中心となった“阿佐ヶ谷会”という集まりがきっかけで仲良くなります。要するに飲み友。「太宰治と弁当」に出てくる太宰は上林の前で座り込んでお弁当をもぐもぐ食べてるんです。本当筋のないただそれだけの話なんですけど、太宰治が好きな人は読んでみて欲しいです。無頼派として太宰治を見ている人にとっては『これは本当に太宰?』って感じがすると思いますので、是非。

さて、そんな上林暁と太宰治の2人ですが、一度だけ二人で同じ賞を取っていたりします。私がそれを知るきっかけになったのはこちらの初版道さんという方のツイート。

https://twitter.com/signbonbon/status/1086575520999854080?s=21
※初版道(@signbonbon)様から掲載許可を頂いてます。

これ読んだ時は尊くて心臓が飛び出るかと思いました。なぜならちょうどその頃私は太宰治の史実を漁っていた頃だったからです。自分の好きな作家×2は心臓に悪いです。(本当に) ちなみにこの賞を取った時の太宰サイドからの話は太宰治の「当選の日」に詳しく経緯が載っています。青空文庫にもありますので、こちらも是非読んでみてください。

色々グダグダと筋もなく語ってきましたが、人生は本当に何があるか分からないなあ、と上林暁に出会ってから考えるようになりました。たった一節の文章に魅了され、本を買う。そんな経験をしてこなかったので、本当に不思議な気分です。これからももっともっと上林暁について知りたいです。それこそコロナ禍で外出が出来ませんが、情勢が落ち着けば高知県西部にある上林暁の文学館を訪ねたいなと考えています。果たしてどんな新しい情報が得られるのでしょうか……!楽しみですねえ。

最後に、この記事をきっかけに上林暁について少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。ここまで読んでくださりありがとうございました。

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