見出し画像

占いに頼ったことの無い私が、上位5%の電話占い師になれた理由②

西洋占星術のお教室の実践占いで、人を鑑定することの喜びを初めて味わいました。
とはいえ、それで「占い師」になろうなんてことは全く考えませんでした。
あくまで、自分や自分の周りの人たちの役に立てばよいかなというぐらいのスタンスでした。


本業の「卒業」は突然やってきた

当時の私はちょうど50歳になったばかりでした。
仕事はIT関係で、テスティングユニット所属でした。やることはインドのベンダーが開発した銀行の金融商品のバグを探したり、精査する仕事でした。
正直ギリギリの英語力で何とかやっていたのですが、プロジェクトごとのやり切った感はありました。大変だけど、この終わった喜びがあったので、仕事を続けられていたのでした。

とはいえ、プロジェクト中は23時台に会社を出てメトロに乗るのが当たり前の生活でした。占星術の講座のある日はできるだけ18時に会社を後にできるように週半ばからスケジュールを調整していました。
とはいえ3回に1回は遅刻か欠席をして後日(主に週末)ビデオ学習の時間をとっていました。

そんな時、1つのプロジェクトの終わりが見え次のプロジェクトが決まりかけていた時、恐ろしいことが起こりました。
2度とやりたくないプロジェクトメンバーに名前が挙がっている、ということでした。

それは・・・まだ私が右も左もわからない頃、アサインされたとあるプロジェクト。
実はいわくつきのプロジェクトで、前回このプロジェクトにかかわった社員は全員退職していたのです。
私はプロジェクトリーダーではなかったけれど、残された資料は結果のデータだけ。
どのようなテストを行ったのかが殆どありません。
結果を見て推測して、テストケースを作るというものですが、複雑な現行のシステム(銀行)を新人の私には到底理解できていません。

外注のエンジニアが多く、半数は外国人。その中で何とか知っていそうな日本人とプロジェクトリーダーと毎日打ち合わせをしながら、死ぬ気でやり遂げたプロジェクトでした。

6ヶ月が8ヶ月に伸びて、やっと終わった苦労した案件。その間に頭皮湿疹ができてしまったり、初めての腰痛が発症したりとボロボロでした。
数か月かけてやっと気力体力をもどしていきました。
そのプロジェクトを乗り切ってからは、他の面倒なプロジェクトが来ても、あれを乗り切ったから、というぐらいに私の中では鬼プロジェクトでした。

その瞬間、私の頭には「卒業」が思い浮かびました。
1ミリも現在の仕事を続けるとは思わなかったのです。

翌日出社すると、退職願のフォーマットに必要事項を書きこみ、プリントアウトして上司に提出しました。

とどまるつもりは一切ないので、退職に関する面談をした時もブレることなく、約1か月後にさわやかに会社を後にしました。
長かった会社員生活を卒業したのです。

約半年のフリーライフ

もう、通勤のない世界。プロジェクトに追われない生活。夢のように感じていました。
平日にスポーツクラブやプールに行って、心と身体を解放しました。
たまに働いていた会社近くに、元同僚たちとランチをしにいって、現状をきいたり。あーやっぱり私の想像通り鬼プロジェクトは大変そうでした。
ただでさえ大変な内容なうえ、インド人と折衝があるので、私程度の英語力では本当にストレスが3倍になるので、辞めてよかったと心からホッとしました。

解放された半年間は夢のように過ぎました。昼間の時間を自由に使ってやれることや、やりたかったことは沢山ありました。
興味のあった不動産も、宅建主任者の勉強から始めようと、ハロワの講座に申し込んで3か月間通いました。

やりたかったことのすべてはできないけれど、50歳の節目にこんな時間が取れたことは今でもよかったなと思っています。

50歳の再始動、世間はきびすぃのね

そろそろ使ってもいいと思っていた貯金も減ってきて、働こうかと思いました。
当初宅建をとってから不動さんの仕事を、、と考えましたが、今さら宅建をとっても過去に働いた経験がなかったので、仕事には結びつかないのではと、思い始めました。

私がやれるとしたら、IT系。でもそれは仕事としてはハードなのでやりたくない。
となると、ハロワや求人サイト、雑誌もパッとしない。営業職でもよいと思っていたのだけれど、それもない。
掃除か介護か警備しかない現実。

あらら、現実って厳しいとその時初めて認識しました。
50歳には世間の門戸は閉ざされているのでした。

それなら起業するしかないのかな?PC関係で操作教えるとか??

そんなことを考えた時にやっと思いついた!「占い師」だった。
そうよ、私出来るじゃないの「西洋占星術」が。
相談者が喜んでくれる素敵な仕事!

早速ググりました。
占い師・求人・東京 のキーワードで検索すると、
上位に出てきたのは「電話占い師」でした。

ほほう、家に居ながらできるんだ。
しかも求人がメチャ沢山ある、選び放題じゃないの!

では、せっかくだからいいところを選ばなくてはと。
①資本金1000万円以上
②設立後3~5年ぐらい(お客が多いと思った)
③分給が明記されている
④サイトの占い師のサムネに自撮り写真を使っていない
こんな条件で抽出したら2社しかなかった。ほとんど分給が書いていなかった。当時の相場は1分50円のようだった(もっと安いところがあったけれどそれは論外だった)

ずうずうしいことはなはだしいけれど、職業としてやるので、
月収は50万円以上もらえないとダメだと思っていました。

初めてやる仕事に不安は皆無。稼ぐ自分しかイメージしなかった

これが本当に、不安はなかった。
大学生の時、上級生に紹介されてテレアポの仕事を1か月間だけしたことがあった。その時たった1件だったけれど大口の契約がとれて、なんだか自分は人と話すことが得意なのかもしれないと思っていた。なぜならメチャクチャ上司から褒められた記憶があったから。

そんな状態で、当時の最大手の電話占い会社にオーディションを申し込んだ。オーディションは電話での模擬鑑定。
相談者役の社員さんと話をするだけだった。もちろん占いを入れるのだけれど、それは今まで職場で20代女子とさんざんランチとか遊びに行ったりして話していた時と同じ感覚だった。

だから「~大丈夫?」とか「~したほうがいいよ」って普通の会話が主。
そこにちらりと占いの結果を織り込むだけ。
心配している後輩女子の話を聞く先輩女子、という構図だった。
そしてアドバイスをした後、当然後輩だから、「では~やってみて、もし〇なら次の手を、✖だったら違う方法考えるね。だから大丈夫。前に進んでいこうね。では、また来週ね!」という感じで話していました。

そうしたら翌日1次通過のメールが。
その後3次まで模擬鑑定が続いていたが、10日後には採用が決まり、恵比寿の本社へ契約のために赴くことになった。

恵比寿はご縁のある場所になった。
そもそも私がオーディションでほとんど上がらなかった理由は
①電話占いの会社は零細企業、個人企業だとなめていた
②誰でも受かると思っていた
③サイトに占い師はたくさんいるけれどダミーが多くて、数人の占い師が兼任しているのだ思っていた

と、こんなふうになめ切っていたのでした・・・
だからね、上がらなかったのですよ。
だし、ほかにも候補の会社があったから、ダメなら次行けばいいや~みたいに。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?