批評再生塾第一期総代・吉田雅史のKOHH+志人論『漏出するリアル』の新しくなさについて

 「小説トリッパー」2016年夏号の批評再生塾特集で、読んでいて意表を突かれたのがトリを務めた川喜田陽『擬日常論』だった。そこで取り上げられている「震災後も持続する日常」を異化するような物語設定の2つの漫画はどちらも読んだことがないものだったけど、『ドラえもん』の再評価まで含んだ特殊な時間・空間の変質を論じて昭和90年代の終着点としてのポスト・セカイ系の想像力を自覚的に抉り出している。私が東横線利用者の神奈川県民だからという理由だけじゃなく。

『郊外の生活は昭和の産物であるー―したがって、『花と奥たん』で描かれている郊外の町の崩壊は、昭和の崩壊であるともいえる。/彼のいう「退屈な風景」で生まれ、無個性な住宅地で育ち、殺風景なロードサイドで遊び、ショッピングモールで買い物をし、けれどその風景をこそ故郷として生きてしまった私たちが、その風景を(批判はできても)否定できる理由はどこにもないのではないか。奥たんの言葉はそのような考えを抱かせた。』(川喜田陽「擬日常論」)

 それとは別に東浩紀はSEALDsがよっぽど嫌いなんだなっていうのと(仮想の昭和90年代はSEALDsの失墜と一緒に終わるであろう、その時こそ日本人は震災と原発事故に真に向き合えるようになって平成が始まるという主張の文章)、それに誌上で追従する吉田雅史にツッコミを入れる者は誰もいないのか……。途中でキーワードになっている「引き裂かれ」はどこに行ったのか?

 真面目に読むとその「小説トリッパー」に掲載されている吉田雅史『漏出するリアル』は日本語ラップ史やアメリカ音楽史の偏愛的なディテールはやたらと濃密かつ詳細であるにも関わらず、その先の批評的な議論の展開には全然乗り切れなかった。

 結論から先に言うと論述の中でブルース復古主義的に取り出される平成の日本語ラップの新しいリアルとされる「悲哀」は古色蒼然たる「物のあはれ」とどう違うのか?吉田批評の論の核心に潜む『「いま目の前にある現実」をありのままに受け入れる態度/彼岸に死後の世界を見ない態度は、極めて日本人的であるとも言える。』という反動的な一文をスルーするべきではない。

『KOHHの生死にまつわる感覚は抽象的で概念的な名詞としてではなく、常に「生きる」「生きてる」や「死ぬ」「死んでる」など、生きた語感のある動詞や形容詞で表象されているのだ。そしてこれらの表現は、「社会」ではなく、家庭や近しい人間たちの間のコミュニティで「リアル」に響くことになる。』

『現状、私たちの世界の一つの面においては、SEALDs等の活動により、ラップという手法の持つカウンター的な機能がまさにアクチュアリティを持っているかのように、顕在化している。しかし二人によって、カウンターとしてのヒップホップは潜在的に遺棄され、同時に、昭和90年代という虚数の歴史のカウントも、アクチュアリティを喪失したのだ。昭和90年から、平成27年への転回。』(吉田雅史「漏出するリアル」)

 私、山下望(アラザル)は現代ラップリスナーとしては等身大以下の下層に沈む妄想力で「労働」と「犯罪」の主題をスピットする、つまり資本主義とコンフリクトを起こす現実のカウンターたることを捨てていない都市のワークソング/クライム活劇である粗悪ビーツ&DEKISHI推しなので(「ユニクロ着てるMCのリアル/盗むしかない ロ ロレックス」)、ロスジェネ世代が担った、文中にも出てくるバタイユ的なセカイ系の供儀の末路みたいな吉田雅史のKOHH+志人論『漏出するリアル』だけは肯んじえない。

 一言でいえば、ここで論じられている、いとうせいこうからさんぴんCAMPを経て降神~ローカル/インターネットラップ〜KOHHに至る歴史からは「ラップの言語によるメイクマネー」の側面がごっそり抜け落ちている。KOHHの歌詞の分析でリリックを構成する10の語彙のうちに「8.お金」が入っているにも関わらず。ラッパーの「生死」にとっての最大の「悲哀」はそこにあるのでは。『本論では最も切実に「リアル」に向き合ったジャンルとして、このギャングスタ・ラップに焦点を当てる。』となっているが、ギャングスタ・ラッパーがスターとしての栄光と名声の反面でリアルな「死」と隣り合わせなのは、「成功した黒人」に眉を顰めるアメリカの白人社会から密売などの手段で略奪したお金のトラブルが多大に絡んでいる、のは小林雅明による1990年代の「ロス暴動」(黒人の若者を暴行した白人警官への無罪評決がきっかけになった)後にヒップホップ界で相次いだ未解決殺害事件を追った『誰がラッパーを殺したのか? ドラッグ、マネー&ドリームス』を参照。

『そして、ストリート・ギャングの変遷、さらに、CIAの関与が疑問視されているクラックの流出により、アフリカ系アメリカ人の新たな敵になったのは、ほかならぬ、自分たちアフリカ系アメリカ人自身であった。これはただちに“富”をめぐる争いになり、相変わらず死者が生まれている。そういった実態は、ストリート・ギャング出身のラッパーによって、ラップに取り上げられ、新たな“富”を生む。このラップという新たな“富”をめぐり、ストリート・ギャングやドラッグの売り上げを資本にした、ラップのレコードをリリースする会社同士の“ウォー”が始まる。そこで、ドラッグの流出に一役買ったはずのCIAやFBIが、そこから“富”を作ったラップを叩くという矛盾した行為にでて、警察及び警官を相手にした“ウォー”も再燃する。一方、ラップという新たな“富”をめぐる“ウォー”は、ラッパーという“富める者”とそれ以外の“富めない者”の間でも、ひそかに勃発するようになる。

 このあたりで、“ウォー”の直接の脅威にさらされている対象が“ラップ”から“ラッパー”に変わってゆく。そこに巻き込まれた、トゥパックとビギーの2人は、確かに“ラップ・ウォー”の最初の犠牲者だったと言えるだろう。』(小林雅明「誰がラッパーを殺したのか?」より)

 大澤信亮風に言うと奇怪な「商品」としての言葉を売って「食う」次元である。『彼にとって批評とは何よりもまず「食うべき批評」だった。その「食う」ということのなかに、理論も倫理も美醜も真実もあるのだった。(……)ようするに言いたいのはこういうことだ。小林秀雄は資本制社会において労働者であるという宿命を徹底して生き抜いた批評家である。それは小林の批評対象が、基本的に誰もが体験できる大衆文化だったこと、それに伴う無数の自在な文体を彼が駆使したこと、よりもむしろ、彼の批評原理が「自己を問うこと」だった事実に示されている。この誰もが逃げてしまう厄介な問いを、小林は、生涯けっして手放すことがなかった。そのような厳しい「私」が獲得した存在感覚を、私たちはまだ十分に理解していない。』(大澤信亮「復活の批評」より)

 言い換えればこれはハスリング・ラップがメジャーになる以前の、インターネットコミュニティとDTM環境(デジタルサンプリング技術)の急速な発展に伴ってひたすら繭篭りみたいに音楽オタク的な情報の密度が異様に高まった00年代のジャパニーズヒップホップの閉塞感そのものだ。

 さらに吉田批評の内容に踏み込むと、「私性」を消去した近代社会の合理性を切断する非物語的な記号の断片(KOHHのリリックの「死」への言及の多さを彩るような「彼が強い愛情を傾けているファッションブランドのアイテム群やデュシャンによる髭の生えたモナリザの刺青」)、ってよく読むとキルケゴールが批判的に考えたロマン主義的イロニー(「近代日本の批評1」p219の「ドイツロマン派問題」/橋川文三「日本浪漫派批判序説」/福田和也「日本の家郷」などを参照)による「価値の転覆」だと思う。

 つまり『今、目の前にあるものだけを記述する』『私性を持たず、/世の中の多様性を肯定も否定もせず傍観する』アイロニカルな成金(アートセレブ)趣味。

 吉田雅史のロジックだと、暴力を誘発するカネが動かしている「死への決定ルート(ギャングスタラップのリアル)」からアイロニカルな対象への無私の没入によって回避できる、というのは無理があるのではないか。それこそマルクスまで戻ると「イデオロギー」である。

『即ちKOHHのラインは今、目の前にある状況を写し出しているが故に、過去も未来も勘定に入れる必要のない「今」の記述であり、そこには個々のセンテンスをつなぐ文脈というものは無いのである。故に、KOHHにあっては、一行前、一行分だけ過去の自身の言葉も打ち捨てられ、忘却される。』(「漏出するリアル」より)

 穿って深読みすると、このような私=自我を無限に相対化する否定の運動は「政治の美学化」、シニカルな歴史修正主義者を生み出す機会原因論に帰結するしかない。それが逆説的に吉田批評により解釈されたバージョンの『日々の合目的なだけの行動や経済活動の裂け目』を開くKOHHのカリスマ性を証しているということだろうか。

 この辺りについてはKOHHの代表曲ともいえる「JUNJI TAKADA」という曲がわかりやすい。「テキトーな男ジュンジ・タカダ 他人は気にしない生き方……」

 そしてセカイ系とロマン主義はしばしばニッポンの批評の文脈で結びつけられてきた。(限界研のシリーズなど)……と思ったら『漏出するリアル』の批評文ではロマン主義のロの字の一語も出てこないにも関わらず、「ユリイカ」6月号の日本語ラップ特集で吉田雅史は『あえて言おう。ビートメイキングとはワンチャンのロマンだ。「文句無しのクラシック!」と称されるビートが生まれる機会を、世界中のビートメイカーの誰もが掴むことができる。そのビートの上で、多くのMCがフリースタイルに興じるような、記憶に残る一発を誰もが残せる、ロマンティックな可能性。』(ホモ・ルーデンスのビートメイキング)と書いていた。

 再び小説トリッパーに戻ると、『豊穣な日米ラップ史を等価なデータベースとして獲得している彼らの世代には、インターネットというインフラを前提としてラップ、トラック制作共にオタク的な知識や高いスキルを有する者が多い』とはある意味吉田氏の自己批判として書かれているのだろうが、元々あらゆるレコードに記録された情報を引用/編集して新たなラッパー像を生み出すB-BOYとクールジャパンなオタク文化は親和性が高いという仮説を抱いていたけど、そういう書き手が東浩紀プロデュースの批評再生塾にフックアップされるのはある意味必然なのか。あと『SEALDsと共闘するECD』が社会派フォーク=ハードコア・ラップに整理されているけどどっちかといえば最近のECDは作品の中では社会派というよりも父としての「家庭の事情」を歌っている印象なのだが。

 最後に付け加えると、ここで言う最大のアイロニーは、極めてシンプルで「見たままを記述する」断片的で隙間の空いたKOHHのリリックに「日本人の死生観」を織り込んだ情緒的なリスナー共同体が生み出されるメカニズム、つまり批評の側にある。「パッと咲いて パッと散る 後先考えないのも 格好いい」……それに関して韓国人の父を持つKOHHが実は複雑な生い立ちの「日本人」であることが捨象されて忘れられている問題も絡んでくるのだが、そのポスト植民地主義的な「連続する問題」(山城むつみ)については後日改めて掘り下げたい。

【追記】

※「物のあはれ」については以下の山田広昭『三点確保 ロマン主義とナショナリズム』(新曜社・刊)をソースにしている。

『その粗雑さを十分に承知したうえであえていえば、ロマン主義の基本的な所作は次の二つに還元される。

 一度として存在したためしがないもの(全体性、単一性、純粋性など)を、「失われたもの」として表象すること。

 この「失われたもの」、この根源を、想像的に「回復」すること、その際、それを感覚的なもの(情動的なもの)への価値の配分、いいかえれば美的なものの(再)構築を通じて、つまるところ広義の芸術を通じて「回復」すること。

 この美的なものの再配分は必然的に政治的である。(……)

 話を本居宣長に戻してみよう。すでにみたように、宣長の仕事はすぐれて反動的なものであった。反動的だというのは、それが何よりもまず対抗運動であるという意味であり、それが対抗として差し向けられている具体的な敵との関係を考慮に入れなければ十全には理解しえないという意味である。周知のごとく、宣長の仕事はその出発点において歌学との深い関わりにおいてなされた。いいかえるなら、彼の国学は何よりもまず、権威として君臨していた従来の歌学、道学的解釈にもとづく伝統的歌学(堂上派歌学)への対抗として登場したのである。その際の抗争的原理が、「物のあはれ」説として知られることになる一種の主情主義であることはあらためて述べるまでもないが、それがまず論争的、抗争的概念であったことは忘れられてはならないだろう。一方、村岡典嗣は、宣長学の本質を国家的という形容を付したうえで文献学であると規定した。この規定は「てにをは」研究を中心とする宣長の国語学上の業績、そして彼の文字どおりのライフワークである『古事記伝』に基礎をおいている。これらもまた、江戸時代の官学たる儒学(朱子学)を念頭において、はっきりと論争的、抗争的なものであった。そこにみられる歌学と文献学との連接こそがロマン主義者としての宣長を特徴づけている。

 ただし、わたしが主張したいのは、主情主義と古代への回帰との結合こそが宣長をロマン主義者と規定することを許すということではない。たしかに「物のあはれ」に歌の本質をみようとする宣長の姿勢は、松本三之介も指摘するように、シュミットがロマン主義の本質とみなした「機会原因論」(オッカジオナリズム)に見事に適合する。繰り返しになるが、シュミットがロマン主義に与えた定式とは次のようなものであった。「ロマン主義は主観化された機会原因論である。換言すれば、ロマン的なものにおいてロマン的主観は世界を自己のロマン的生産の機因および機会として見ている」。一方、宣長は「物のあはれ」を定義して次のように言う。「見る物聞物につきて、哀也共かなし共思ふが、心のうこくなり、その心のうこくが、すなわち物の哀をしるといふ物なり」(『紫文要領』)。彼にとって重要なのは、この心の動き、すなわち事物に「したがひて感ずる所」なのであって、外界の事物、事物の動きそのものではない。世界はこの心の動きを触発する限りにおいてのみ、いいかえれば、「物の哀」の機因となる限りにおいてのみ意味を与えられる。その政治的帰結が、自己を容赦なく拘束する規範をさえ、哀れを触発する機会として肯定する、強力な現状維持イデオロギー、一切の政治的実践を排除する一種の静寂主義にほかならないとする松本の主張は正当である。』

※橋川文三『日本浪漫派批判序説』(講談社文芸文庫)より↓

『したがっておよそすべての世代的自己主張が、その肉体的、生理的若さということの強調において共通するのは必然的であり、また、その肉体理念の神秘家やロマン主義化に傾きやすいのも当然であった。

 ヨーロッパにおける世代意識の最初の芸術家的表現となったのは、ドイツ・ロマン派であったとぼくは考えるが、そのロマン派のスポークスマンとみられるF・シュレーゲルにおいては、その新しさの主張の中に、濃厚な肉体と肉感的感能の礼讃があらわれており、世代論的感性主義の典型的思考というべきものがすでに認められる。世代論と「太陽の季節」的な肉感的ロマンチシズムの結びつきは、それこそ何ら新しいことではないのである。

 現代日本の例でいえば、戦前の日本ロマン派の代表者の一人芳賀檀において、あたかも現在の石原慎太郎に見られるものと同じ肉体の神秘化、生理の新しさの偶像化が行われている。というよりも、石原的ロマンチシズムの根源にある精神構造は、近代日本のある病理的構造体のコロラリイとして考えうるものにほかならない。もしたんに青年の新しさということのみがその自己主張のアルファであり、オメガであるとすれば、それはむろん文化や精神には全くかかわりないことがらであるのはいうまでもない。ただわが国における世代論は、とくに最近において、ヨーロッパ的世代意識の構造といちじるしいちがいを示しているとぼくは思う。それは、歴史的思想との関連における両者のちがいということである。

 ヨーロッパの世代意識は、端的にいえば、ヘーゲル的な汎合理論的歴史把握に対立する歴史の身体化、パトス化の意味をもった。歴史における相対的独自性を世代概念に結びつけることによって様式化しようとする意味がそこにあった。いいかえればヘーゲル的な世界精神に対立する非合理的視覚の導入という内面的動機がそこには認められ、そのことによって、歴史の内在化、肉体化が行われたのである。その意味で、それはかえって強烈な歴史意識を前提とした。それは歴史の理性の重圧に対する猛烈な反抗の意味をもったのである。

 ところが、最近のわが国の世代意識には、そのような意味での歴史意識は全く欠けていると考えられる。多くの若い世代の自己主張をみても、それは漠然とした既成の価値、権威への反抗を唄うにとどまり、それらの価値に対する‟紊乱者”があることを自称するにすぎない。つまり、反抗の対象がきわめて散乱的にしかとらえられていず、歴史における世代的様式という明確な意識が認められないのである。いいかえれば、近代日本の歴史の重圧をハッキリとうけとめ、それへの対抗価値として自己の様式を実現しようとする意識が乏しいのである。

 これは、一般に現代の日本人が歴史意識という精神能力において欠けるところがあるという事実と対応する。真の世代意識は歴史の重さに対してむしろ強すぎるほどの意識がなければ形成されえない。そうでない場合、そこにあらわれるものは、いわば疑似的世代意識にすぎず、直前もしくは直後の世代に対する生理感覚的自己主張となるほかはない。』(戦後世代の精神構造)

※補足として、「アラザル」同人の西田博至氏によるコメントも合わせて掲載しておく。

『片山杜秀の名著『近代日本の右翼思想』って本で「ナカイマ」って考え方が出てくるのね。右翼も北一輝とかみりゃ判るように革命思想でもあるんだけど、共産党も弾圧で叩かれ、革命運動としての右翼も破れ(2.26事件の勃発時、昭和帝は激怒)今もう実際に天皇陛下がいてくださってるんだから革命とかいいじゃん現状肯定しようぜ今の日本バンザイって考え方ね。これが革命思想としての右翼から牙を抜き、体制のイヌにしてゆく。おれもたぶん九鬼周造や福田和也からの流れの右翼なんだけど、日本人だけの、って云われると、ムカっとするね。日本人だけのものっては、ぜったい誇れるようなものじゃないはず。それこそ、日本語ぐらいだよ。ここでしか使えず、しかし僕らがこれがなきゃどうしようもないもの。それ以外のものは、ぜんぶ他のやつらとも共有できる。洋ピンでハッスルすることもできるし、韓国のやつらと須田亜香里のすばらしさを語り合うこともできるし、ンなこと云えばプルーストに「もののあはれ」を読むことだってできる。』

※念のため、私は既に投票先が決まっているので国会デモには行かない派(2015年のメディアを騒がせたSEALDsブームの時も何も参加しなかった)なのでSEALDsを擁護したくてこれを書いているわけではない。

※『擬日常論』と『漏出するリアル』の違いは、「異化」と「アイロニー」のややこしい効力の違いだとも言い換えられる。最近は「会計演劇」というコンセプトで公共助成金で運営される演劇界の体質に切り込んでいるリクウズルームについての劇評で考えたこととも重なってくる。佐々木敦『未知との遭遇』で言う所の現実に否定的・批判的な1980年代以前の思想が、2000年代にグルッと回って現実受容〜肯定的になってしまったのはなぜなのか。そして複数のバージョン化した諸現実=諸虚構(2010年代)へ、という時代ごとの既成の価値への対抗運動=「批判(アイロニーもその一種)」と「異化」の効力の移り変わりである。批判(アイロニー)と対照的な、見慣れた現実を日常の知覚の自動化から分離してモデル化・抽象化するのが「異化」だとすると、しかし「批判」をやっている中にも「異化」があるっていう、同じく異化が批判にも使われる循環があって切り離すことができない。このややこしさは、例えばマルクス主義とシュルレアリスムの入り組んだ関係まで遡ることができる……。

『演劇とそのボディ・スナッチャー、リクウズルームについて⑶』


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