下書き供養芸202308

前月分〜。

どんどん遅れている気がするけども、キャパが足りてない。

これね。このタイミングではイラッとしてますが、直近で某氏に情報提供を受けて「めっちゃ面白い」に転換することがあったので今は最高となっています。いやまあ笑い事じゃないというか……なんというか、言いたい放題言ってるこのシリーズの記事ですら濁してるってことはまあそういうことなんですけど。

この人は最初から自分の立ち位置を見誤ってるなとつくづく思ってたんですが、それが思い切り出た発言を直近で見て「年齢による経験の積み重ねで誤った自己学習が進み過ぎて、自分の本質を覗く目線が薄れている」と感じ、無闇に歳をとりたくないなって思いました。認識と承認欲求の歪み、おもろすぎる。

これなんだろうな……何かを見て感じたことではあるんだけど。議論を放棄して振りかざされる感情論は人が集まらないと力を持たないものだよねっていう当たり前のことを言ってるだけですね。でもこれも私にとっては気付きなんですよ。

逆に言えば、同じ感情を持つ人間が集まってしまうとそれが十分な力を持って暴れ倒してしまうということなんですよね。それが推進力になっていいことが起こるということももちろんあるけれど、真摯に議論をする場においては凶悪。

これも全然思い出せない、でも言いたいことはわかる。「〜の責任です」という書き口が悪いんだけど、どこに責任があるかっていう所在に関して、責任は物理的な存在ではないので分割ができちゃうんですよね。だからどのくらいの割合で誰が悪いかというのを決めるのが「責任の所在を決める」だと思うんですが、近年の様子を見ていると「誰が一番悪いか」を決めるだけのものになっている気がしてて、それは嫌だなと。

例えばビッグモーターの話だと社長一家が悪いのはそう。でも社長たちの重圧に耐えきれなくてパワハラをかざしていた社員が100悪くないかって言われたらそんなことはないし、もっと言えば損保会社だって悪いわけじゃないですか。責任の所在をはっきりさせることってそういった「誰がどう悪くて、どのくらい悪いのか」を決めてあげることでしょっていう。

これはもう性的嗜好と言ってもいいレベルで好きです。そして群れるだけの烏合の衆は嫌い。群れるだけ群れて動学を生み出さないノーアイデアの烏合の衆、嫌ですね……。これは表裏一体なので相当歪んでるなと思ったりします。

これは宇多田ヒカルの「Goodbye Happiness」のPVを見てて思ったことですね。我々の世代のJ-Popアンセムってなんだろうって考えた時に思い出して聞いたらガッツリハマってしまって、いい曲だなって……。

山根綺さんのチャンネルの動画も「うわ〜モデルハウスだな」って思ってたのでよぎりました。

(高校時代のエピソード的にたぶん弾けるだろうに、ほぼギターを弾かないおもしろ動画)

綺麗に整頓されてるとか家具を使った形跡がないとかいろいろ要素はあると思うんですが、もっと別の何かがモデルハウスをモデルハウスたらしめてる感じがするんですよね。総合して言えば生活感が見えないに収束するんだとは思うんですが。ともかく、こういう一発で見てモデルハウスと感じるのってすごいわと思いました。

これは安齋由香里さんの番組を見てて「〜(他の女性声優の名前)と〜のラジオ聞かずにこっち見る」とかいうコメントが流れてきて、聞いてもないのにマジでいらん情報をぶん投げるのが得意なオタクっているよなと思いました。自分がいないとこの人はダメなんだみたいな妙に自分の存在を過大評価しているオタクは勘違いが上手だなって。

実際、今の声優さんってファンがいないと活動の推進力が変わってくる部分も結構あるだろうけど、その個人個人にフォーカスされているわけじゃないのにねっていう。その人にとってどれだけ存在が大きくても、1人には違いないんだから、私も気をつけたいねっていう。まあこの話も冒頭の「おもろ〜」と思ってることに戻ってきますが、それはこれを話しても問題ない人とオフレコでやります。私の中で今1番熱いエンタメです。

これはどうでもいい話ですね。トレンドに入ってて何かと思ったら、甲子園の応援が強烈過ぎて「それで〜の高校は負けたんだ」みたいなことを言っている人たちがいてだいぶ笑っちゃっただけです。

実際そういう外野の状況でメンタリティは左右されるだろうし、それで負けたって言われてもまあそういうこともあるとは思うんですけど、それで該当の高校を悪の組織みたいに仕立て上げて、負けた方を悲劇のヒロインにするのはドラマの見過ぎでウケるなと思いました。ほーんと、他人の青春を都合よく消費するのが上手なんだから。

これはシャニラジの中の放クラのサイドストーリーで園田が言っているセリフですね。古典の課題に取り組んでいる樹里に凛世や夏葉が補足をする中で、「和歌のフレーズを引用して手紙に認める」という手法が出てくるんですが、それに対する園田の感想だったりします。ストーリーとしてはこれでいいんですが、事実としては正確じゃない気がしています。

古典に引用される文献の中に残っている人間模様って基本は高貴な人間(あるいは教養のある人間)のものが多くて、そういう人たちが粋なやりとりをしていたのは事実だと思いますが、そうじゃない恋愛模様だってきっとあったはずなんですよね。残ってないだけで。だからまあ、そういった高度なやり取りばかりがあったわけじゃないんじゃないかと。わかんないですけどね、教育制度が確立されてない当時の一般の農民とかが和歌の引用とかができる気がしないな〜って。


8月、体調を崩したあたりから思考が加速してて下書きで文句とかを言いたい放題になってますね。文句じゃない部分はThreadsに飛ばしてたりもしてて。Threadsは連結して1投稿を完結させる設計だと思っているので、ポジティブかつオタクの話を主にするようにしています。

映画は見てないです。そんな余裕なかったというか、体調崩して家でゆっくりしていたので療養って感じが強くて、ソファーに座って映画を見るような感じではなかったんですよね。

シャニマスのコミュを読んだやつはThreadsに書いてあったんですが、怪文書になっちゃってるので完全に自分用ですね。

久々に見てよかった。この話が一番好きかもと思ったくらい。

今月はなんか映画見られるかな。見たいな。


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