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青谷かみじち史跡公園
鳥取県鳥取市にある青谷かみじち史跡公園へ行って来ました。
この青谷かみじち史跡公園は、今年2024年3月にオープンしたばかり。
私は、今回オープンして初めて来ました。
青谷遺跡とは
鳥取県を東西に走る山陰道建設の際に見つかった、弥生時代の集落跡の事です。
その集落跡には、無数の人骨や、生活で使われていたもの、家や倉庫に使われていた柱などなど、多くの遺物が見つかりました。
遺物が出てきた地層は湿地状態だった為、空気が遮断され、遺骨の中には通常ならば腐って無くなってしまうはずの脳の一部が残っているものもあり、発見当時から大きな話題を呼んだ遺跡です。
遺跡から見つかったものなどを展示していたところが、大きく綺麗になっただけでなく、遺跡から分かった当時の青谷集落が再現されて、歩いて見て回れる公園になっているんです。
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再現された池にはガマの穂など生えています。
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展示ガイダンス施設前に駐車場があり、展示施設は2棟に分かれています。
無料の展示ガイダンス棟と有料(¥200)の重要文化財棟があります。
展示ガイダンス棟には、弥生時代の青谷周辺の様子や、遺骨、遺骨から復元された模型、丸木舟など展示されていました。
復元された模型は青谷かみじろうと名付けられて、かみじろうのそっくりさんコンテストなどあって話題になってたので知っている方も多いと思います。
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史跡公園に行ったとき、丁度学芸員さんのギャラリートークも聞けて知ったのですが、展示してある「かみじろう」の頭蓋骨には切断された跡があるんです。
その理由は、脳を取り出すため。
つまり、脳が残っていた遺体の持ち主は「かみじろう」だと、そのときはじめて知ったんです。
発見された「脳」は鳥取県立博物館に保管されていて、今現在見れないのですが、私は数年前に鳥取県立博物館のイベントの一環に参加することができ、幸いにも実物を見ることが出来ました。
ほんの小さなものから、幼児の握りこぶしくらいの脳が水と共にタッパーに収められて保管されていました。
なので、いくつか見た、その「脳」の持ち主が「かみじろう」だと知って本当にびっくりしました。
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奥に高床倉庫が見えます。
遺跡調査の発掘は続いており、昨年10月にも現地説明会がありました。
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琴など木製品は空気に触れないように水に浸してあります。
現地説明会の内容
「かみじろう」さんたちの遺骨は、ここからもう少し右手(西の方角)行ったところから発掘されたそうです。
その際は、ほぼ成人した骨しか出てこなかったそうですが、今回見つかった遺骨は、そのほとんどが子供の骨だったそうです。
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一辺が5mくらいに小さく区画されています。
漢字の田の字のように区画された田んぼ。
一辺が約5m程の小さな区画になっていたので、気になって学芸員さんに聞いてみたんです。
Q:どうしてこんなに小さな区画にしてあるんでしょうか?
A:弥生時代には田の土を平にする方法が無く、人力で田を均すためには、区画を小さくする必要があったのです。
そう聞いてよく考えたら、農業に牛を使うようになったのはもっと後の時代なんだと気付きました。
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保全のためのネットがされていますが、すごく丁寧に再現されていました。
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鹿の角でつくられたアワビ起こし(マグネットアワビで体験もできます)
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展示ガイダンス棟内では、「かみじろう」の隣にももう一体、頭蓋骨と復元模型が展示してあります。
骨の特徴から推測して女性と判断して復元を始めたそうですが、その後DNA鑑定で15才くらいの男の子と言うことが分かったそうです。
その他にも、DNAで「かみじろう」は縄文人と弥生人の混血であったり、
「男の子」は弥生人の父母から生まれたことが分かっているそうです。
DNA解析ってそんなことまで分かるんだそうです。
他にもDNAから分かったことは、発見された遺骨からはかなりのDNA分析が出来て、見つかった遺骨の血縁関係が3組しかなかったことや、少なく見積もって150体以上の遺骨が埋まっていたこと。
見つかった遺骨の状況から、切られたり、矢尻の付いた骨があり、手足の関節が切断されており、何らかの争いで亡くなった可能性が高いこと。
また、骨の変形などから結核の感染症に罹っていたことまで分かっているそうです。
見えなかった弥生時代がとっても良く分かる場所です。
機会があれば是非言ってみて欲しい施設です。
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