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昔の話

10年近く前のある時期、「家族が死ぬ」というイメージを何度も受け取っていました。
もう、しつこいくらいに何度も。

当時はまだ次女が生まれておらず、長女は1歳半くらい。
家族って誰だろう?娘?主人?
と気配を追っても、どうも2人は大丈夫そうで。

実家にいる、今は亡き父、母。姉や義兄、甥や姪。主人の両親や兄弟でも無さそうで、それなのに消えない「家族が死ぬ」というイメージ。
気になりつつも普段はさほど気にせず、毎日を過ごしていました。

それが現実になったその瞬間。
それはとんでもない出来事でしたが、私は繰り返し受け取っていたイメージがこのことだと、全く気付きませんでした。

夜になり娘を寝かし付けて、会社から主人が帰ってくるのを待つ間に、TVを点けました。
そこには、各地の被害の様子が次々と映されていました。
激しい揺れ
火災
それから津波。

「家族が死ぬ」

それがこの出来事だと、その時初めて気づきました。この日は2011年3月11日。東日本大震災です。

「このことだったんだ…」

その後、東北では死者と行方不明者がどんどん増えて、福島第一原発のニュースも連日報道されました。

何が起こるか解りもせず、ただ嫌な予感にビクビクしていただけで、何の役にも立たなかった。
そのことがとても悲しくて、怖くて、私は何かの声を聞くことを辞めました。
数年経って、友人がきっかけをくれたことで再開するのですが、それからも役に立っているかはナゾです。

なぜ突然この話をしたかと言うと、今はこの時のような恐怖心ないってことを伝えたかったからです。
「きっと大丈夫!」そんな感じがします。

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