2.土台
おはようございます。竹早です。
みなさんは、自分の思考。ここでは思考は、何かを見聞きしてそこから自分なりの大なり小なり持った考えのことと致しましょう。で、自分の思考に自信はありますか?
たぶん自分が思考してるって意識することってまず少なくて、そんなに振り返らないからよくわかんないかなと思います。まあ、今の推測もも私の思考の産物なわけです。そのくらい人って四六時中思考してる気がします。
私は自分の思考に全くと言っていいほど自信がございません。こうして思考の産物を置き去って行く時も大量に逃げ道を用意するほどですからね。
2019年の秋頃です。学校の校外学習で某大学を訪れまして、ある方の講義を聞いたんですね。もちろん私達のレベルに合わせたやつを。異文化理解の話だったんですが、自分の考えのメッキがパラパラと剥がれ落ちてゆく感覚がしました。
話の中身は、ステレオタイプとか自文化への軽蔑、最後にロジカルシンキング&クリティカルシンキングの話でしたね。たしか。
そこで、普通というものが音を立てて崩れ落ちたわけです。
人間は無意識のうちに筋道を立てて考えることを習得すると思うんです。筋道を立てて考えると言うのは、ある事から導かれる別のことから導かれるある事から導か、、と言った具合に考えていくこと。これが論理的思考、ロジカルシンキングの始まりですね。
しかし、大きな違いがあります。そのべつの考えの土台となる考えの正確さです。事実を元に考えなくてはいけないのです。数学の証明みたいな感じですよね。事実を積み重ねて事実を導き出すのです。この事実というものがなんとも厄介なのです。
それを聞いてはえーってなってた私に追い討ちをかけたのが批判的思考、クリティカルシンキングです。
正確にはその、片鱗と言った所をおしえてもらったんですかね。
批判的思考(ひはんてきしこう)またクリティカル・シンキング(英: critical thinking)とは、あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。
つまり、鵜呑みにするなっちゅーことです。もっと言えば他者から与えられたものを鵜呑みにしないのは当たり前、じゃあ自分のことは鵜呑みにしてないか?ってこと。
論理的に事実を積み重ねていくのはとても大切なことです。でも、その事実は本当に事実なのか。そしてその事実は正しいものなのだろうか。
まあ、もともと異文化理解というもののを考えていくと正しい解を求めるというか、最適解を探し続けることが見えてきます。まあ割愛しますけど。
自分を疑うことはとても難しいことです。私はこのクリティカルシンキングを教わったせいで自分の思考に自信が無くなりました。
もうなにも信じられないのです。最悪です。無意識のうちにしていた思考まで振り返ってみてください。
電気消したかしらガス閉めたかしらカギ閉めたかしらが永遠に付きまとってくると思ってください。
はい。気疲れします。(でもあっちのアカウントがあった頃よりはとても良い)
数学の証明に例えると、ユークリッド原論を読みながらいちいちいちいち定理なんかの根拠まで書かなくてはならないようなもんです。ほんとにこれはあってたのか?の連続です。
でもね、日常生活の中で役に立ちますよ。リプと引用RTでドンパチやってる光景を見ることありますけど、そこで、もし参加しようとしてたらちょっと自分に聞いてみてみてください。なんで参加するの?それが分かったら、なんでバトルしてるのか考える。それも理解したら、じゃあ先客はなぜバトルしてるのか考える。あっ、その考えた結果が正しいかも疑ってくださいね。それで、参加することにしたなら、とっても有意義なバトルになると思いますよ。
ん〜、相当大変ですね。
下手したら善悪観とか価値観とか人生観とか全部崩れます。私いま、その状態です。ああ、大失敗だ。自分なんか疑うんじゃなかった。ああ、人生の大失敗だ。
この記事は自分語りだから主張がないおかげで書き方がよくわからんなぁん〜ありがとございました〜
ところでホントに人生の大失敗なのかな?
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