仕事の選び方 公務員を17年続けてやめた男のつぶやき
僕は少し人と違っているのかもしれない(少しじゃないかもしれないが)。
なぜなら、仕事はできるだけしたくないのだが、仕事の選び方には興味があるからだ。
具体的には、人はどういう風に仕事を選べば幸せになれるのかを調べ、考えるのが面白くて仕方がない。
そういう系の本は、そこそこ読んできたつもりだ。
本によっても考え方はいろいろあって、若いうちから自分のキャリアの計画をしっかり立ててやるべき、という考え方の本もあれば、これから伸びる業界に行くべきとか、行き当たりばったりでOKという考え方の本もある。
それはそれでいい結果になるのだろうけど、どちらかといえばエリート向けの方法だと思う。
僕のようにエリートではなく、中年まで公務員の世界で過ごしてきた人間にとっては、民間で伸びる業界を知ることは難しいし、”いまさら感”が半端なくて、挑む気すらなくなるのがオチだ。
そもそも伸びるというだけで、経済的に超安定している、ある意味伸びる(年功序列で)公務員をやめるなんて、モチベーションがもちそうにないではないか。
じゃあ、そのまましがみついて、ただ時が経つのを待つのかといえば、そんな人生も嫌だなと思ったので、次のことを少し考えた。
それは、誰にでもいつからでも遅くなくて、そこそこ幸せになれそうな仕事の選び方はないのだろうかということだ。
結論から言うと、答えは一つしか見つからなかった。
それは、「自分の性質に合う好きなことを仕事にする」ということだ。
僕が公務員になった理由
そう考えた理由を説明するため、僕が公務員になった理由をここにお伝えしよう。
まあ、平凡で浅はかな理由なので、期待しないでいただきたいが、
公務員は黙っていても給料が上がっていくので、安定性がある。
ずっと同じ県内に住んでいたい。
中学校の頃の相対評価に不満を感じ、公務員になってそれを変えてやろうと思った。
つまり、安定性、居住地を選べる、使命感の3点が公務員を選んだ理由だ。
しかし、ここでは大事な視点が欠けていたのだ。
それは、公務員の仕事が自分の性質に合っていて、好きなことかどうかという視点だ。
実は、上記3点はかなり崩れやすい代物だということが、今になってわかった。
まず安定についてだが、確かに毎月決まった給料は出るので安定している。
だが、民間企業で通用する仕事をほぼしないので、定年後や中途でその環境から飛び出すと人材として価値が低く判断される可能性がある。
長い人生で見ると、かなり大きなリスクだと僕は思った。
知っている人に怒られそうだが、実際、そこそこ公務員では仕事ができると思っていた僕も、町内会活動に参加した時に何もできず、ただの無能であることを何度も何度も痛感させられた。
また、運悪くヤバい先輩・上司に当たろうものなら、常軌を逸する理不尽な攻撃により体調を崩す可能性がある。
運が良く僕はそこまでハードなものには当たらなかったが、周りを見ていると比較的高い確率で当たるのではないかと思っている。
実際、人間関係が理由で体調を崩して休んだり、退職したり、ひどい時は最悪のケースになったりしたこともあった。
安定など、どこにも存在しないのだ。
次に居住地だが、誤算が一つあった。
当時はあまり深く考えていなかったのだが、我が県は思ったより広いということや、持ち家を持つことになった等、自分を取り巻く環境が変わったのだ。
そんなこともあり、徐々に考え方も変わった。
今では除雪が嫌なので、沖縄に行こうかと考えているくらいだ。
最後の使命感については、そもそも一介の地方公務員では、制度の大きな部分を変えることはできないということを知り、変えられたとしても間接的であったり、何年もかかりその頃には自分は老人になっていたりすることが想定された。
つまり、めちゃくちゃ遠回りもしくは不可能な方法で、使命を全うしようとしていたことに気がついたのだ。
そんなわけで公務員を続けているうちに、上記の3点はもろくも崩れ去り、何も残っていない状態であったが、運良く素晴らしい仲間に支えられながら数年間を過ごし、それでもいよいよ耐えきれなくなって退職したという悲惨な歴史が僕にはある。
こうして振り返ると、この僕の仕事選びの歴史において徹底的に痛かったのは、仕事内容に好きという気持ちが湧かなかったことだと自分では思っている。
そうなったのも、ずっと自分の好きなことは何かという問いに、向き合ってこなかったからなのだ。
なんとなくはわかっていたけれど、ガチで向き合うことをしてこなかった。
「仕事はつまらないものだ」という世間の多数を占める考え方に屈して、仕事選びの際に疑うことをしてこなかったからだ。
内容はどうでもいいやと。大事なのは安定だと。
でも今は、自分がどんなことがずっと好きだったのかわかる。
僕は昔から、良い景色を見て感動するのが好きだった。
人間はなぜ生きるのかなど、哲学的なことを考えるのも好きだった。
フィクションの世界が本当にあるのではないかと信じる、夢想家でもあった(最近もスプーン曲げに挑戦したところだ)。
個人で何かやることも好きで、クリエイティブなこと全般が好きだった。
どう考えてもアーティストになるしかない気質だったのだ(笑)
それが、決められたことを確実に集団でこなす仕事に就くなんて、ラーメン屋でカツ丼を頼むほどの判断ミスであったと言う他ない。
なぜ好きなことを仕事にしたほうがいいのか
それは嫌いなことは続かないからだ。
そして、嫌いなことが好きになることはないからだ。
よく、仕事をしてみたら嫌いだったことが好きになったという人もいるが、それはそもそも好きなことを認識していなかった状態で仕事を始めて、仕事ができるようになったり、より深く知ったりすることで、自分の好きという気持ちに気がついただけだと、僕は思う。
生理的に嫌いな人を好きになれる人はいるだろうか。
嫌いな食べ物を好きになることはできる?
嫌いな昆虫とずっと一緒に過ごしていたら、好きになることはできるだろうか。
人間の好き嫌いというのは、本能的なものが関わっていて、基本的には変えることはできないのではないかと思う。
だから、仕事を選ぶ前に、まず自分がどういう人間で何が好きなのかを考えたほうがいいと考えるのだ。
あとは自分の性質に合っているかどうかも大事だ。
好きなことを仕事にすると良いこと
好きなことで食えるかどうかは、今実験中なのでわからないが、すでに大きなメリットを感じている。
まず間違いなく、幸せや充実感を得られる。
あととても大きいのが、自分の選択に誇りを持てるということだ。
これは自分で好きなことを選んだ人にしかわからないと思うが、その後の人生に与えるインパクトはかなり大きいのではないかと感じている。
また、好きなことを自分の選択の軸にしていると、様々訪れる自分の選択肢に対して、それを自分がどれくらい好きなのかを測る感度のようなものが鋭くなるように思う。
おそらく人生における選択の精度が上がるので、後悔が少なくなるのではないかと思うのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?