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若いことを自覚した瞬間ワープする

「若いんだから」


って、言われることが多い。
20代やからかなと思う。といっても25歳やからか。



確かに人生を全体的に見れば25歳は若い。
それはある種数字的な目線で、経験値とか思想は含んでない。
なので本質的に若いわけではない。



数字は記号って誰かが言ってた。
ただの物差しであり、記号でしかないって。
ほんまにそう思うよ。
その中身の密度は人によって雲泥の差があるから。



20代やのに行動とか言葉とか考え方が、君人生2週目ですか見たいな人もいる。
かと思えば、30代40代になっても中学生みたいな人もいる。
年齢なんてあてにならん。その人から飛び出る言葉とか、行動が教えてくれる。



「若いんだから」



その言葉を、どう受け止めるかも、千差万別。
でもこの受け止め方で、いわゆるその人の年齢は決まるかも。



これが僕の「若いんだから」への考え方やけど、
これは「忠告」だと思ってる。



「若いんだから」は裏を返すと「若いのは今だけ」ってこと。
若い時間は長くは続かんし、体力も思考力も貴重。
この時間にできることは山ほどある。



でもそう考えない者もいる。
「若いから」つまり「まだまだ時間がある」と考える。
それもまあ、間違ってない。
でも、危険な判断というか。危険なボタンを押した音がする。



若い時間は、自分が苦労して手に入れたものじゃない。
生きていればやがてやってくる悠久の流れの上にあるもの。
故に大切にしにくい。貴重さを認識できない。



だからこそ、都合のいい判断をするんかも。
「俺は若いから、まだまだ時間がある!」って。
そんで遊び、消費し、垂れ流し、疲弊する。
気づいたら40代くらいになってる。
んで、言う。
「気づいたらこの年になってた。」って。



それってある意味、ワープボタンを押したのと同じ。
20代の頃に幾度となく言われる「若いんだから」。
その言葉のどこかで、「まだまだ時間がある」、そういう油断がワープへのボタンになっていて、40代へワープ。
気づいたら、そんな歳になってる。




若いことを自覚してはいけない


すこし語弊はあるかもしれん。
でも大方間違ってないと思う。
若いことを楽観的に自覚した瞬間、目を開ければ40歳よ。



だからこそ、自分の若さを現実的に捉えないと。
「若いけどこの時間はあっという間。だから大事にしよう。」って。
考え、工夫し、行動し、改善し、また行動する。
これは若い時にしかできない。



その若い時の積み重ねが、お金でなくても、それに類する財でなくとも、後悔には絶対ならないと思う。



若いかどうかは、周囲が勝手に認識すること。
重要なのは、自分はどう思っているかどうか。
周りからはそういわれるけど、自分自身はそうは思わない。
そう思えるなら、あなたはきっといい時間を過ごしている。
自分が若いことを認識しながらも、緩んでいない。




若いかどうかは、あなたの認識できまる。

沖縄おいで~