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#651 無意味な習慣がなくならないニッポン

今でも小学校では冬休みの宿題の定番として「書き初め練習」がある。これ無意味だ。

学校の狙いは、「書き初めで字を上手に書けるようになって、いい一年のスタートにしてほしい」と言う意図があるのだと思うが、こんな事は、子供の自主性を損なう可能性だってある。

筆者は小学校から中学卒業まで【習字】を強制で習わされていた。

冒頭の練習は拷問だった。超絶無駄、無駄の時間だった。

一応、腕前は書道は四段、硬筆書写検定は初段だが、誰に自慢できる事でもないし、経歴書系に書ける程のものでもないので、ほぼ無価値。

書き初め練習、いや書道の習慣も含めて、語弊を恐れずに言えば、ある意味現代の教育における闇である。

自主性を圧倒的権力で抑えつけ、潰す。「納得いかない無意味とも思える苦痛にも耐えなさい」「やれと言われたことをやれ。その意味を考えるな」「みんながやることには従うしかない」実にナンセンス。

習字に限らず、好きこそものの上手なれだと筆者は考える。それぞれが得意なことだからこそがんばれるのだ。

それを、好きでもないことは「最低限やれ」とか、苦手なことをひたすらやらされるというのは、苦痛でしかないのだ。


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