「かわいげ」なんて要らないーラランドの声溜めラジオより

人は「人間性」なのだろうか。
この世には人付き合いがうまく、可愛がられる人種がいる。傍からみるとそういう人間は幸せそうに見えるし、仕事でもそういう能力を持った人の方が昇進しやすいということが言われたりする。

お笑い芸人ラランドがやっている「声溜めラジオ」の「永野」ゲスト回でこんな一幕があった(ゴッホより普通にラッセンが好きな永野)。

話は「クラスで中心だったやつらは地元を出ない」という内容に。面白い。

ラランド「でもそういう人って幸せそうで羨ましいよね~」
永野「ほんとに羨ましいと思ってるの?」
サーヤ「実際はあんまり思ってなくて馬鹿にしてます。自分はそうはならないけどね、がでかいです」
そして永野がニシダに「永野さんはほんとにいいな~って思ってるんですか?」と尋ねられると、「いやいいな~とは思わないけどね。歴史に残りたかったんで。そういう人って歴史に残らないから。」
そこから永野の芸人としてのスタンスの話に。
「芸人で、モテたい、漫才やりたくないとか言って、そんなクズな自分も愛してください、みたいなやつも心から軽蔑してる」「僕の人間まるごとです。ってやつは、おれ卑怯者だと思ってる

ラランドの声溜めラジオ #250 卑怯者

私もアピールや小細工は嫌いだ。必要ないと思っている。みんなに好かれるためのアピールは誰からも本当の意味で愛されない。
現代人に必要なのは一貫性だ。芯とかブレなさ、と言っても良い。努力は見せず、結果で語る。目指すところにもよるが、立派な人間になるには、ええ格好しいではなく、そういうマインドが重要だと思う。
人間は、「愛してくれ」と大声で叫ぶ人間を愛せない。「愛してほしくない人」や「愛してほしいのにそれを言えない人」を愛したいと思う。不器用だからだ。少なくとも私は、器用な人間は簡単に信用できない。「私は不器用です」という器用さだってある。自分は○○だから許してくれという器用さ、図々しさ。

だから、不器用な人。自分の努力をアピールできない人。あなたはそのまま生きればいい。そのまま見えない努力や気遣いをし続けてください。
無責任だが、結果はいつか出ます。
そしていつかその生き方に気づいてくれる人がいたら、きっと同族です。
同じように不器用な人の見えない努力に気づいてあげたらよろしい。愛してあげたらよろしい。
そう思います。



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