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vol.4 センセイ、自由は欲しくないですか?

博士とフランケン サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(56:30)は購入後に視聴可能。

その4(全5話)

「自分は医者じゃないから関係ないな」そう思った人もいるかと思う。確かに本作は、博士とフランケンという二人の医師が、同胞へ向けて発したメッセージが起点ではある。

しかしながら、そこには「勤め人すべて」に共通する真理が流れている。

医師といえば、まず思い浮かぶイメージは「頭がいい」「エリート」であろう。事実、大学受験における最高峰は東大理Ⅲであるし、”医学部”自体も雲の上の偏差値だ。一般の受験生からしたら夢のまた夢、まさに別世界だ。

まず4年制大学へ進学する高校生が約半数。理系でさらに半分。そしてその中で、トップ層の上澄みの中で争うのが”医学部受験”である。

これを勝ち抜いた者は、選良の中の選良、まさにエリートと呼ぶにふさわしい。彼らは幼き頃から両親の英才教育を受け、神童として「末は博士か大臣か」と周囲の期待を集める。たゆまぬ努力の末に、受験戦争を制し、医学生となっても戦いは終わらない。そこからも修練の日々は続き、たゆまぬ勉強の末、医師国家資格を突破し、ようやく「医師」となる。

そんな彼らを、聖帝は作中で「士大夫(したいふ)」と呼んだ。

士大夫とは、科挙に登第した知識階級を指す尊称である。もちろん科挙とは試験内容が異なるものの、そのたゆまぬ勉学への姿勢と成就の難易度を考えたとき、現代における士大夫とは医師であると言えよう。

また同時に一般庶民が「医師」と聞き連想するのは「年収が高い」であろう。事実、医師の年収は高い水準にある。何しろ最難関国家資格である医師免許である。むしろ、その最難関の医師免許をもってして、それに見合う高年収が得られないとなれば、志す理由のひとつが潰えてしまう。

そして最後に思いつくイメージは「モテる」であろう。「医師」と聞けば目の色が変わる女性も多い。なんともゲンキンな話ではあるが、この資本主義経済における男性の武器は、なんといっても”経済力”である。ゆえに女性がその経済力に惹かれるのは当然のこととも言える。それだけでなく、職場には若い女性、看護師さんがたくさんいる。その集団のアルファ・メイルである医師がモテるのは自然の理である。

このようにして、医師とは、

最高峰の頭脳

最高峰の年収

最高峰のモテ

これらを兼ね備えた存在になる。

仕事の内容も「人命を救う」という崇高で、やりがいにあふれる仕事であり、人々の尊敬を集める者だ。それらのことに異論を挟む余地はない。

そんな医師たちは、ある意味で人間としての臨界を極めているはずだ。

しかしながら、そんな彼らに唯一欠けているものがある。

それはタイトルの通り「自由」だ。

「センセイ、助けて」と呼ぶ声があれば。

「センセイ、早くきてください」とスマホが鳴れば。

いついかなる時でも現場に駆けつけ、人命を救わなくてはならないという使命をも、その身に負う。それが、医師という職業である。

ゆえに、真の意味で心休まる時はない。ベッドに入る時も、温泉に入る時も、携帯電話は手放せないのだ。ポケットの中で振動したと思ったスマホは、実は鳴っていなかった。そのような一種の幻覚を見るまでに、彼らは医師という役割に縛られている。

「センセイ」

その言葉は、栄誉の称号であると同時に、彼らを縛る鎖でもある。

「医は仁術なり」

医師たる者、正義と仁慈の心を持って、患者に真摯に向き合うべし。

それらの倫理観と使命感に強く背中を押されながら、今日もセンセイたちは医療現場へ向かう。

ひとつの命も、取り零さぬよう。

ひとつでも苦痛を減らせるよう。

まさに「仁」の心でもって、彼らは日夜戦っている。

しかしそんな自分たちを、博士とフランケンはこう振り返る。

「お医者さんって…高品質な”乾電池”なんですよ」

ーーー乾電池。

いわく、そこに自らの意志はなく。

定められた医療を支えるパーツであると。

医師になる過程で圧倒的な”詰め込み”を受けた、画一化された完成品。そんな我が身を振り返り、二人は自らを”乾電池”と呼ぶ。

またこの乾電池には、もうひとつの意味が込められている。乾電池は使い切りであり、交換可能な品物ーーーコモディティ品、ということである。

学歴の最高峰へ登り詰め、厳しい修練ののちに難関を突破して、とうとう士大夫になった彼らを待っているのは、乾電池となって医療を支えるパーツとなることであった。

人命を護る仕事といえば聞こえはいいが、見方を変えればこれは体のいい「やりがい搾取」である。日本の医療とは、そんなセンセイたちの苛烈な奉仕によって支えられているのだ。

センセイたちは、医師である前に人間である。

そして同時に、勤め人でもある。

これを読むあなたも含め、世の中の大半の人々は、勤め人だ。

彼らは手に職をつけようと資格を取る。代替不可能な存在になりたくて、仕事の練度を高め、習熟する。市場価値を高めたいと願い、スキルを身に着ける。一般の勤め人たちは、少しでも良い暮らし、安定した暮らしを求めて、そんなことに汲々としているのだが―――ちょっと待ってほしい。

最難関の資格を有し、知識経験を積み重ねて市場価値が高い医師でさえ、この「勤め人」という枠の中から逃れることができていない。

地位も名誉も、カネもオンナも、最大限に満たされている。

それなのに。

それなのに、たったひとつ「自由」だけが手に入らないばっかりに、センセイたちは人生に閉塞感を感じている。勤め人の最高峰たる年収とモテ、そして崇高な”やりがい”すら揃っている医師でさえ、閉塞感を感じるのだ。

このことからわかることがある。

いかに資格を持ち、年収が高く、異性にモテようとも、そこに「自由」が欠けていたら、充実した人生は過ごせない。

つまり「勤め人」という生き方は、どこまで突き詰めても結局は「勤め人」なのだ。

博士とフランケンの証言を聞くだに、勤め人という生き方の限界を思い知らずにはいられない。

「勤め人」という枠組みに捕らわれている限り、真の自由はない。

勤め人の最高峰たる医師でさえ、そうなのだから―――

そんな爽やかな”あきらめ”を、本作は教えてくれる。

そうして清々しく”あきらめ”た後は、もはや勤め人に未練はない。

前だけを向いて、歩いていける。

つづく。

著・ヤコバシ



【オーディオブックの正しい使い方を伝授する】
1.集中して聴かない。オーディオを聴くための時間をわざわざ取らない。スキマ時間や作業時間に『ながら』で聴くのが正しい使い方である。
2.ぼけーっと繰り返し聴く。聴き返すたびに毎回聴こえ方が違うぞ、とか、刺さる言葉が違うぞ、と思ったならそれは良い聴き方。一回で全部吸収してやろう、と言うのは悪い聴き方。
3.PCのnote.muサイトからMP3ファイルをダウンロードする。itunesその他で、スマホに同期する。電車や車での移動中、家事の最中に聴くのが良いと思う。ストリーミング再生で聴くのはあんまりおすすめしないかな。

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