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vol.2 続・センセイ自由は欲しくないですか? フランケンの遺言編

博士とフランケン サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(56:49)は購入後に視聴可能。

第二話。(全三話)。

紹介文、なんと寄稿いただきました。
今回の収録に飛び込み参加していただいた、ソーダ先生による筆です。
ありがたいですね~。

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貴方はこんな言葉で殴られた経験は無いだろうか。
「お前は黙ってろ、口出す権利はない」
「あなたは後学のために黙って横にいなさい」
前者と後者は生きるレイヤーが遙かに高い人間の中に貴方が居合わせているという意味で、全く同義の言葉である。言葉を選ばず言うと、この場では貴方は同じ人間として扱われていない。その時貴方はどう思っただろうか。感情の起伏を感じた人に、vol.2は今後の道標となるだろう。
Vol.2は飛び入り参加した私SODAが、前作の振り返り、無給医、FIRE、血ヘドの4章に分けて紹介する。この“遺言”を最も活せる職種は医局に属した若手医師であるが、会社に属した士業職など参入障壁に守られたサラリーマン職人にも通じる重要な考えが内在しているので、汎用性は高い。
聖帝がvol.2の紹介を私に託したのは、この“遺言”が残酷なまでに胸をえぐっているのを現場で見たからだろう。私は刺された刃を抜くのに時間がかかったし、さらに何度もその血を拭った。それは血ヘドとは全く異なる色をしていた。刃を抜きながら、血ヘドで自らを染め上げた人間しかたどり着かない世界がある事を容赦なく知らしめるために語られた言葉を、私はゆっくり咀嚼した。さらに血ヘドを吐いた人間は、刺されるどころか刃の上を裸足で歩けると気付いたのは収録を終えた遙かに後だった。この理解に達したことで本来焦りを覚えるべき所だが、繰り返し聴いてたどり着いた解釈に私は少しだけ安堵した。


【前作の振り返り】
コロナ禍は前作に普遍的な価値をもたらした。そして燻り出されたサイファー達(映画「マトリックス」を観よ!ここでは「勤め人」と同義と解釈して大丈夫です)のあまりの多さは、一方で白熱教室の価値を担保した。そしてそのサイファーと真逆に生きる、やさぱすという男の文脈の価値に貴方は気付いていただろうか。


【無給医】
無給医がバグを生んだ歴史と現状、それに伴う教育システムの変遷、自由が得られない医師の構造についてフランケンが解説する。
無給医という雇用(?)形態は決して医師に限った事では無く、職人の丁稚奉公に相当すると考えると分かりやすい。職人の世界では近年、教育システムの流れが大きく変わりつつある。医学においても専門書どころかYouTubeから手技を学んでいる若手は少なくない。さらに新型コロナが教育システムをドラスティックに変え、今後もこの流れは止まることは無いだろう。
無給医とは医局制度から生まれたポジションであり、教育システムの一環と考えることができる。このシステムはかつて莫大な価値を生むのに成功していた。多くの犠牲も生んでいたが、犠牲者を救うシステムであった。この旧態依然としたシステムは、医師の給与システムのバグが不可欠だった。しかし日本の医療事情の変化に伴って、大学病院の経営を変化させると共にシステムは弱小化し、給与システムのバグだけ残った。
このバグをその後誰がどう使い、今後どう使われているのかを、現状から各人が解説する。無理矢理唐突にニーチェ風に一言でまとめるとこの章をまとめると以下となる。
医師免許は死んだ。


【FIRE】
ビジネスで業界の構造のバグを突いて儲ける。それ自体はビジネスとしては正解だ。そこまでは良い。でもその間、その後が重要なのだ。
最近しばし目にするFIRE(Financial Independence, Retire Early)という流れ。これは「経済的独立と早期退職を目標とするライフスタイルを啓蒙するムーブメント」である(Wikipedia)。この流れは理解できる。何故なら資本主義が行き尽くした今、FIREが可能になったからである。ただそれを日本で今目標にすることの危うさを考えたことがあるだろうか。
自分の将来を計画的に築いていくことは悪くは無い。当然、FIREを計画する医師もいるだろう。でもそれが誰かの価値観に踊らされているだけではないだろうか。例えばCM。魅力的に宣伝されつい欲しくなる。知らぬ間に数ある商品の中で、CMの品を手にしている。私は思う、CMされる商品のほとんどは要らないものなのだと。いや、何も考えずにCMに踊らされるままに踊るのも、1つの幸せなのかも知れない。ただこの白熱教室を聴く人間は、踊らされたくないというマインドを持つ同志と信じている。FIREという流れは果たしてどこかの誰かが何かを意図して作ったCMの様なものでは無いだろうか。
この章でやさぱす先生が語った「釘をコンコンコンコン打ちながら、自分の器を広げている」は名言である。聖帝の「不動産は人間の器を試される」に対応した言葉であったが、私にはじわりと響いた。1回聴いただけではその重要性は理解できないかもしれない。少なくとも私は分からず聴き流してしまった。しかし繰り返し聴くに伴い私の足りないモノを明確に表す言葉であることに気付いた。どうやらこの言葉の意味が理解できるのに私は半世紀近くかかったようだ。是非前後の流れをじっくり解釈してみてほしい。
最後この章を1文でフランケンの一言でまとめるとこうなる。
医者がFIREって、、、、カモじゃん?


【血ヘド】
血ヘドの解釈を、単なる粉骨砕身しろとするのは全く甘い。血ヘドはもっと明確な目的を達成するために吐かなければならない。そのキーワードは冒頭に出した“レイヤー”である。
ここでとある男の話をしよう。その男は大学院時代に教授から与えられたテーマがあった。同期の大学院生が煌びやかなテーマを与えられた一方で、その男のテーマは流行でも無いし注目もされていない分野だった。その男は同期の中でこう言われていた。「あいつ(の出世街道)は終わった」と。しかし次期教授になったのはその男だった。その男は誰も喜ばないそのテーマを、自ら開拓し世界のトップに上り詰めたのである。この例は成功バイアスだろうか。
話を白熱教室の内容に戻す。「血ヘドを吐け!」とは「大志をいだけ」と同義だ。そして大志を抱く特権は若者にある。血ヘドで染まった脚だからこそ上れる山がある。血ヘドで染まった手だから届く世界がある。ただし血ヘドの吐き方は考えろ。かつては血ヘドを吐かせる場があった。確かにあった。だがそれが今は無い。
いや、無くはない。ある。与えられていないと思うなら、問おう。「くれ」とって言ったことあるのかと。そのために、何かを捨てて、もらいにいったことがあるのか。高みにいる人間に頼んでみると良い。「くれ」と。

このvol.2の最大のメッセージがこの章にある。そう、これがフランケンの“遺言”だ。
『いいから、血ヘドを吐いてくれ。吐き方はここで教えるから。』


最後に一言謝意を加えさせて欲しい。私も医師になり、一時期血ヘドを吐いていたつもりでいたが、明らかに血ヘドでは無かった事が今回明確になった。血ヘドでレイヤーを上げられないまま小賢しいテクニックを身につけ振りかざしている自分がいる。そんな私を収録現場に快く受け入れてくれ、紹介文まで託してくれた聖帝の心意気に心から感謝している。


著 ソーダ


【オーディオブックの正しい使い方を伝授する】
1.集中して聴かない。オーディオを聴くための時間をわざわざ取らない。スキマ時間や作業時間に『ながら』で聴くのが正しい使い方である。
2.ぼけーっと繰り返し聴く。聴き返すたびに毎回聴こえ方が違うぞ、とか、刺さる言葉が違うぞ、と思ったならそれは良い聴き方。一回で全部吸収してやろう、と言うのは悪い聴き方。
3.PCのnote.muサイトからMP3ファイルをダウンロードする。itunesその他で、スマホに同期する。電車や車での移動中、家事の最中に聴くのが良いと思う。ストリーミング再生で聴くのはあんまりおすすめしないかな。

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