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vol.1 アルバイト医として生きていく ~開いてしまったパンドラの箱~

やさぱす サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(59:30)は購入後に視聴可能。

第一話(全5話)。

音声チェック済み。
前回のオーディオでいろいろと粗相をやらかしましたので、ちゃんと音声編集した上でアップしております。
紹介文はまた書きますが、音声については万全です。
内容は、まあざっくり言うと、寝当直でお金稼いで不動産賃貸業を目指すお医者さんの話です。

聖帝

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色々と忙しくしていたこともありまして、リリースしてからこの一発目のコンテンツ紹介文を書くまでに、かなりの時間が経過していたのでありました。すまぬです。

やさぱす先生のインタビュー『アルバイト医者として生きていく ~開いてしまったパンドラの箱~』について、紹介かたがた、オーディオ絡めてエッセイを書いてみようと思うのですが、テーマはズバリ、

「本質的な価値の追求」

としておきましょうか。

さて、では、始まり。

まず大前提としてきつい指摘を先に済ませておきたいのだが、寝当直専門のアルバイトで生きていくとか、美容整形クリニックに転職して稼ぎまくるとか、そう言う生き方は恐らく、口にも出されるレベルに達して、賤しい、とされている訳である。勤め人路線の王道(医局って言うんですか?)で身を粉にして働いている勤務医ほど、こういう主流から外れた生き方や、自分の内面的幸福にフォーカスしようとする価値観を見下す傾向が強い。僕の知る勤め人世界とほとんど同じ事情であろう。

一体なぜ見下すのか、考えた事はおありだろうか?

これをお読みの方はこの問題の答えを言語化できるだろうか?

最近は全然更新していないが(2020年9月現在)、僕はvoicyというインターネットラジオのチャネルを持っていて、そこで繰り返し発信する軸となるメッセージが、

「商品を持ってニートになってぶらぶらしている」
「勤め人のクソな競争社会からは降りた」
「ボロい車に乗ってボロい家に住んでる」
「毎日昼に起きて家の前の温泉に行ってまったり」
「やることなくて暇で気が向けば本読んだりゲームしたりしてる」
「3000坪の農地で焚き火して焼き芋して遊んでる」
「以上のことどもが僕にたいへんな幸福感をもたらしてくれる」

と、まあざっとこんな話であった。非常にたるんだ暮らしぶりが伺える。とは言え、僕は10年ぐらい真剣に考え抜いている。自分の人生の幸福とは何か、自己満足とは何か、という問題を真面目に追求し、その果てに、上に並べたライフスタイルに至ったのである。

僕もまた、微かに繋がりが残っていた勤め人時代の友人知人から、我が生き様を痛烈にバカにされた。特に、ボロい車とボロい家に喜んでいる下りなどには汚物を見るようなリアクションを頂いた。仕事もせずにぶらぶら暮らし。僕は、彼らにとって理解不能の生物として、間もなく彼らの視界から消えた。

話題を進める。

この資本主義の世界には、大きく二つ、幸福の源泉がある。

一つは、資源の大小や安価高価について他人と比較する事によりはじめて満足できるもの。
もう一つは、そのリソース自体に価値があり、それが存在するだけで喜びを得られるもの。

前者は、学歴だの資格だのから始まり、所得だとか社会的地位だとか会社の役職、車の豪華さや家の値段、果ては腕時計の値段だのSNSのフォロワーにまで至る。

ナンパ界隈では即数、不動産界隈では所有物件数や投資総額がそれにあたるであろう。マウンティングに勝たなければ決して満足を得られない資源の事である。

後者はたとえば、自由、ゆったりした時間、家族との愛情、健康、睡眠、集団への帰属意識、趣味への没頭、などなど。それ自体から幸福や満足を得られる。

満員電車ですし詰め通勤させられたり、嫌な上司にネチネチ怒られたり、いきなり転勤させられたり、そういう自由な人生の選択を奪われることが無いというのは、掛け値なしに幸せな事である。人は本来、生きているだけで幸せなのだ。

それにしても勤め人「族」はとかく競争が好きだ。

マウンティングして満足を得たい、劣位の者を見下したい、そのためにはどんな犠牲でも喜んで支払って、会社組織の走狗となり、上司に一声ゆけと言われれば火の中水の中もいとわず、時にあっては極道もし残虐もし、絶えざる良心の呵責と理不尽への無力感を味わいながら、毎日汗水垂らして苛烈な労働の日々を送っている。

僕はこれを、学校や会社に洗脳されているからだ、などとラジオで軽く論じていたが、今これを書いていて思いつくのは、教育だけじゃ無理じゃねえか?なにかそう言う性淘汰の圧がかかって僕らは選別されて来たからなんじゃないか?と。

後天的に学校教育で「見栄を張ること」「マウンティングすること」「おもちゃの勲章を喜ぶこと」を刷り込まれた、と論じていたが、おそらくそれは間違いだったのだ。

勤め人たちが住んでるタワマンの値段を競ったり、会社の役職とか社長表彰の数を誇ったりするのは、人間が猿だったころから性淘汰の積み重ねによって培われた本能なのだろう、と。

群れの中の序列にこだわり、競争に勝ち、ライバルを蹴落とし、勝利して配偶者を得て、子孫を残す。
群れの序列に無頓着だったり、競争に向かっていく勝負根性が無い個体は、土壇場の粘りが出ず、子孫を残せなかったのかもしれない。

ゆえに、我々は年収や役職でマウンティングしたい、車や家のランクで見栄を張りたい、という強烈な本能を持って生まれてきていると言える訳である。その本能に真っ向から抗うことは困難で、一旦諦めて受け入れるしかない種のものだ。

んでね、ここでお医者さんという種族の際立った特徴が、今からお話するオチの部分に効いてくる。

競争大好き、ペーパーテストの点取り競争や偏差値自慢が三度の飯より好き、そこは競争に勝たないと絶対になれない職業ナンバーワンのお医者さんである。

お医者さんの「生き辛さ」についての話を聞くにつけ、お医者さんを支配し使役する階層の人々は必ず、彼らの競争心やマウンティング欲や選良意識をくすぐる方法によって御している。そしてどうも、赤子の手をひねるように他愛もなく、それらのマネジメント()は奏功しているらしい。

本能には逆らえないからだ。

特別その本能が強化された個体を選別し、お医者さんという集団を作っているのだから、競争に勝ちたい、見下す側に居たい、もっと序列の上に行きたい、いい車欲しい、いい家欲しい、子どもの教育でも絶対に負けたくない、という志向が強烈なのも無理はない。

だがしかし!
人生における本質的な価値というのはそこにはない。競争とか比較優位じゃない。

時間があること、自分の人生を自分で決められること、生殺与奪権を他人に渡さず自分が持つこと、これらの資源は非常に金銭価値に換算しづらいし、また社会の中であまりにも稀少なリソースゆえに多くの勤め人は見たこと触れたこともなく、彼らはこの資源について評価のものさしを持っていない。

「俺、勤め人の仕事は辞めたよ、カネは貧しくても悠々自適に暮らしてるよ」

と聞いて、競争心が強く見栄っ張りな人間ほど、決まって、

「あいつは負け犬だ」「落伍者がなんか吠えとるわ」

と感じるのである。

だが、僕は自信を持って言えることなんだけど、カネや社会的地位は貧しくとも悠々自適、自分の生き方は自分で決めている、という人の方が、競争まみれの勤め人よりも本質的な幸福度は間違いなく高い。これはガチ断言できる。

他者との比較じゃなく、その資源の存在そのものから、継続的に満足を得られる。

アルバイト医として生きていくというテーマは、要するに本質的な価値の追求という事だ。本能を克服し、無駄な競争から降りる。見栄の張り合いで消耗しない用に節制する。そして、本質的な自分の価値を追求してゆく生き方が伝えたいテーマなのである。

不自由から脱し、自分の生き方を自分で決めたいとう方の助けとなれば幸いです。

【追伸】お医者さんのATM婚問題。あれもまた、競争に勝ちたい、マウンティングしたい、と言う趣味嗜好(それはあなたの不幸な人生を確約する)がマッチした女と一緒になるからだ、と思うな。いい女というのは、幸福を自分の内側から作り出せるものなのである。知らんけど。

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