罪の意識に苛まれ続けなければならない

前提として、別にキリストの原罪とかそういうことについて言うわけじゃない。
でも、これは僕だけでなくみんなが背負うべきものでもあると思う。

僕らは、常に考えていないといけないことを意図的にか無意識的にか頭の隅に追いやって生きている。
まるでそれがこの世にないかのように。
毎日ニュースで流れる"悲惨"を情報として処理している。
又は、それを切に感じ取っても自分にはどうしようもないことだと諦める。

確かに、どうしようもないことかもしれない。
でも、でもだ。どうしようもなくても何とかしようとしないと何も変わらないんじゃないのか?
今までの色々な改革、例えば黒人差別の解消に向けた動きとかはどうしようもない中でもなんとかしようとしてきた人たちの手によってなされてる。

様々な理不尽に加担している僕はどう生きればいいんだろう。
まず資本主義の存在がアフリカの人たちを苦しめているともいえる。
それで僕は安寧とした世界で生きている。
じゃあどうすればこのクソみたいな状況から抜け出せる?

多分、それをするには一生を捧げるほどの覚悟と苦痛がないといけない。
僕には、恥ずかしいことだがそれはない。

でも、ならばせめて、そういう人を応援するくらいはしたい。
卑怯だとは理解してる。罵られても何も言えない。
そんな自分で行動を起こせない、耳を塞いでる罪の意識に僕は心を傷つけられている。
でも、それすら気づかない厚い皮膚の持ち主でいるよりはまだましだと信じたい。

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