2020年代前半からずっと AI絵師が絵師ではない理由

twitter壁打ち第二回
twitter壁打ちとは、twitterで議論が紛糾した出来事について、レスバの世界を離れて自分なりの考えを整理する場である。
本日の議題は「AI絵師が絵師でない理由」について。

結論ファースト

箇条書き三行で

・手で書いてないから
・意図を完全に反映できないから
・出力結果に責任を負えないから
→普通の「絵師」と同じ土俵で戦おうとする限り、それは叶わぬ夢である。別軸を目指せば評価の芽はある。

本題

議論の背景

画像生成AIがにわかに実用段階に達した令和の世。多くの「絵師」の絵柄を学習したAIが猛威を振るっている。
さらに反AI派も現れ、日夜激論が繰り広げられており、なんか色々とすごい。
私は著作権などの話は一切興味がなく、今回は純粋に
AI絵師は絵師(画家)ではない、ひいては芸術家・アーティストでも(現状)ない
という点を論じたい。
分かりきったことを言うだけ。ごめん。

芸術家・アーティストとは

XはAではない、というからには、XとAの定義を設定しておかねばなるまい。
AI絵師は、生成AIを用いた何らかのシステム(ソフトウェア?)に対して「プロンプト」と呼ばれる「文字情報」(自然言語)による指示を出し、絵を出力する人である。
では、絵師・芸術家・アーティストとは何か。
絵師とは、絵を描く人である。
芸術家は

芸術作品を創造し、また、表現する人。詩人、美術家、音楽家の類。

『日本国語大辞典』

であり、アーティストは

({英}artist 「術(わざ)を持った人」の意)《アーティスト》
(1)芸術家。美術家。演奏家。また、歌手、俳優、ダンサーなどの芸能人。
(2)技芸、技術にすぐれた人。

『日本国語大辞典』

となる。じゃあその芸術は何かというと

(3)鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術。空間芸術(建築・工芸・絵画)、時間芸術(音楽・文芸)、総合芸術(オペラ・舞踊・演劇・映画)など。また、その作品。

『日本国語大辞典』

らしい。

第一の論点―身体、あるいはテクニック

芸術やアートという言葉は、慣れてしまって意識が向かなくなっているが、「術」や「art」であるから、一種のテクニック、「技術」であることが要件であると言える。
テクニック。練習を繰り返して習得した、「体が覚えている」技法である。線を引く時の力の強弱や筆の運ばせ方など、言葉では言い表しがたいが体が覚えている技術というものが芸術の要件であると言えるだろう。

(余談だけど身体的な知覚の議論ってめちゃ軽視されてる気がせんでもないよね。みんな言語好きすぎ)

プロンプトの入力は身体的なテクニックを伴わず、身体的な技法の発揮とは当然言えない。であるから、AI絵師は絵師ではない。

ここで文芸の存在が一瞬脳裏によぎる。小説や詩。あれは身体的なテクニックを伴わず、文字媒体によったものであるが、確かに文芸は芸術の一ジャンルだろう。
つまり、「AI絵師が入力するプロンプトは文字情報であるから、AI絵師は文字情報を操る芸術家であり、その結果として多様な画像を出力する文芸作家なのである」と主張する可能性が生まれてきたわけである。

当たり前だが、我々はプロンプトを鑑賞するわけではないので、これは即座に退けられる。

第二の論点―創作意図の反映

実はこちらの方が大きいのかもしれない。
創作をする際、作者はその作品をどのように作るか、意図を働かせている。

絵で言えば、絵のどこに何をどのように書き、何を書かないか、ということがすべて作者の意図に基づいて表現されているのである。それが強く意識されていようと、ほぼ「手癖」で描かれていようと、作者の意図が反映されない部分は存在しない。すべて(妥協があろうと)「作者が決めたこと」に則っている。言い換えれば、「作者の脳内にある完成図」を極力現実に再現しようとしたものが成果物となっているのである。また、それは絵のあらゆる部分に作者が「責任を負っている」ともいえるだろう。

一方で、生成AIによる出力を考えてみる。こちらも、作者の頭の中に完成図がまず存在する。そしてそれを可能な限り再現できるプロンプトによって出力させる。しかし、この時に必ず「意図しない部分」が現れる。否、むしろ「意図した部分」は存在していないのではないだろうか。
プロンプトという言葉では脳内に存在する「完成図」をAIに完全な形で伝えることはできない。だから、AIはAIの判断によって「似た」絵を出力してくれる。しかし、それは製作者の描いた想像図ではなく、AIの判断した想像図に依ったものであり、結局作者の責任は存在しない。「私はこの部分はこういう意図で描きました」と説明できる箇所が微塵も存在していないのだ。

AI絵師は芸術家か?

AI絵師は明らかに絵師、固く言えば「画家」ではない。
しかし、最終的に「芸術家であるか」と問われれば、私は、これを肯定しないが、しかし可能性を排除することはない。
将来的に生成AIによる芸術、つまり独創的なプロンプトのキーワード選定によって予測できない、独創的な(他者の模倣とは思えない、カオスティックな)作品を生み出す芸術が成立する可能性があるからである。

AI絵師が完璧な絵を出力することを誇っている、出力結果の完成度を鑑賞の対象としているうちはAI絵師は芸術家ではない。
しかし、AI絵師が出力結果の偶然性に着目し、その偶然性や非意図性をあえて意図してメタ的な芸術に昇華しはじめたら、それは芸術(いわゆる現代芸術?)と言えるだろう。ただし、その芸術家としての在り方は、もちろん絵師(画家)のそれとは別のベクトルの存在であり、並ぶことはできない。

結論

AI絵師は絵師(画家)ではない。
それは自分で「描く」という行為をしていないし、また作品に対して説明責任を負っていないという点で証明される。

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