【WIT】戦うは他が為【黑き隣人の宴】
山風は強く冷たい。
供えた花束から花弁がいくらか離れ、宙を舞う。思わずそれに手を伸ばしかけて、ひっこめた。
この風が山を越え空を駆けるように、せめてこの場で命を落とした民たちの思いが浮かばれますように。
かつて故郷があったはずの山肌を見下ろし、リリー・S・ジャンダルムは黙祷する。
故郷ジャンダルムは、平和な国だった。
牧畜と鉱業が盛んな、大きくはないけれど穏やかな国だ。
その頂点として国を切り盛りしていた父と母。それを継ぐべく"機関"と呼ばれる場所で修行をしていた兄。幼いながらもそんな家族の姿に憧れ魔法を学んでいた妹。
そんな王族と呼ばれる一家を支える、兄のように慕っていた騎士たちや、多くの民。
平和だった。ただ、平和とは儚いものだ。
故郷の墓参りへ行った帰り道のことだ。「銀龍の村が魔物に襲われている」という話を耳にしたのは。
龍の話は、休暇を取る前に小耳にはさんでいた。モンスターの討伐ではなく退治というのは、自然を重んじる小さな組織にとっては大事な差別化だろう。意思が通じない相手を傷つけずに追い払う、という行為は神経を使う。きっと向かうのは実力派のチームなのだろうな、とリリーはぼんやりと考えていたのを覚えている。
ただ、その村に魔物が現れたとあっては他人事ではない。
リリーはちらりと、バディでもあり従者でもある騎士の顔を見上げる。普段から私語が少ない男ではあるが、墓参りの前後は特に言葉を控えている印象があった。
「イグニール、私の言いたいことは分かりますね?」
「…一旦、様子を見ましょう。加勢できる状況であれば、機関から指示があるはずです」
ため息混じりに返答をしたイグニールに、リリーは苦笑交じりに礼を告げた。
故郷から西の属国までは少し距離がある。たどり着く頃には状況は少し変わっているかもしれない、そんな話をしながら二人は道を往く。
到着して目の当たりにした事態は、想像以上に深刻だった。
崩壊しかけた防衛線。視界一面を覆う、報告とは異なる姿の魔物。戦い傷つき倒れる兵。怯える人々。
防衛線の後ろへ逃げ込んでいた民たちの安否すらわからない。無意識に食いしばった歯が、ぎりと音を立てる。それは背後に仕えている騎士に聞こえていたのかもしれない。
「イグニール。装備を整えます、旅装束のままでは戦もままなりません」
「…姫様」
「私は武器である以上問題ありませんが、せめて貴方は防具を」
「姫様」
淡々とした指示に、イグニールの言葉が重なる。見上げれば、彼は痛ましそうにその眉間のしわを深くしていた。
しかしその鈍い金の瞳は、酷く穏やかなもので。それはいつの日か見た情景を思い起こさせる。
「我らは、引きましょう」
……思わず、言葉が詰まる。
あの日も、この騎士はそれを選択した。魔物を焼く兄の炎を背に、故郷を後にした。
崩れた城から逃げ生き延びたのは、たったの二人きりで。麓の街で同じく生き残った同郷を見つけた時の感情は、今でも言葉にできなくて。
「まだ機関からも指示がない状況です。戦況も芳しいとは言い難い。このまま闇雲に戦う中に飛び込むのは、危険すぎます」
まっすぐに向けられるイグニールの目は、不安に揺れながらも真剣そのものだ。それが分かっているからこそ、リリーはさらに唇を噛む。そして。
「ここに居る人々を、捨て置けというのですか」
彼が最も傷つくであろう言葉を、吐く。
「貴方が私を、剣を取らないのであれば。私は一人になってでも、民の命を守ります」
彼が守ろうとしていたものが何なのかを、リリーは良く知っている。
それでも、守られるだけの幼い姫はもういない。
リリーの目には、あの日見捨てた故郷が見えていた。
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殲滅指令が出る前の時間軸となります。
バディと意見が食い違う結果となっても、住民の避難・保護を優先するでしょう。