ジェンダーギャップと人生記〜女性について考えよう〜

ー「男らしさ」「女らしさ」という固定観念によるジェンダーギャップー

以下、私の人生を「ジェンダー」の観点から省察してみようと思います。
(※ちなみに、ジェンダーとは、多義に渡りますが、社会的・文化的につくられた性別規範等を指します。簡単に言うと「男性らしさ」「女性らしさ」のようなものです。ジェンダーギャップというのは、それによる男女の差の事を指します。もちろんLGBTも含みますが、ここでは問題が分かりやすいよう、女性学にフォーカスしたいと思います。)

それでは、私の人生は「ジェンダー」の観点で、どうであったのか見ていこう。

まず、私は物心がついた時から、「女の子としての振る舞い」を意識して育ちました。例えば、「女の子なんだからお手伝いしなさい」と親に言われたり、近所の人から「女の子がいるとお手伝いしてくれていいわね」と言われたり。
なので、昔から料理や、裁縫などはやっていました。特に料理が好きだった訳ではなく、その方が褒められるし、「女の子」だから。親からも周りからも「女の子がいてよかった(ね)」とよく言われたものです。女の子に期待するものとはなんだろう。

私の父と母の世代は、専業主婦の多い時代で、まだ共働きも少なく、男女の役割が文化的に決められているのが当たり前でした(女性が家事、男性は働く等)。そのため、男とはこうあるべき、女はこうあるべきといった固定観念が強かったのだろうと思います。

以上が私の記憶する小学生までのジェンダー観です。次に中学生〜高校生。所謂思春期と呼ばれる時期です。

この時期は特に、異性(私の恋愛対象が異性だったので)の目を気にしだす時期でもあり、周りは「可愛い」や「ゆるふわ」のようなものを求め出しました。ちなみに「可愛い」は中学生以前も求められていましたが、自ら求め出したのは中学生くらいだったと思います。その方が好かれると思ったからでしょうかね。また、私は背が低いこともあり、より「可愛らしさ」と関連づけて見られがちでした。

「可愛い」とは、無害ということです。赤ちゃんや動物などに多く使われることから容易に想像できますが、無害であること、存在を脅かさないこと、癒しを提供できることが求められます笑

私の中学生時代は特に、番組でも「ヘ○サゴン」など、「知識がない方が可愛い。天然がいい。」などの印象を与える番組も多かったですし、ファッションもパステルカラーや、森ガールなど「ゆるふわ」で「柔らかい」女性像が求められました。つまり、男性の立場を脅かさない、無害な存在としての女性像が求められたのです。

また、逆に「オッサン女子」「歴女(歴史の好きな女子)」「リケジョ(理系の女子)」など、「女子力」に合わない女は少数派としてラベリングされ始めます。

高校生。大学進学を考え始めたころ、私は上記のような環境だったこともあったのか、そこまでテストの点という意味での“学力”は高くはありませんでした。ただ、議論や社会問題には関心があり、担任の先生に新聞を切り抜いて自分の意見を書いたものを渡したりしていたのもあり、先生から勧められAO入試で地方の国立大学を受験しました。

さぁ、いよいよ大学生。ここで、私のジェンダーという観点で人生に変貌が見られます。

今まで、「男性」=異性としか思わなかったのが、共に活動することが多くなり「男性」であっても仲間意識のようなものが芽生えます。また、大学の講義で「ジェンダーギャップ」について学んだのも大きかったです。そのため、見た目に関しても、「可愛らしさ」ではなく、1人の人間としてどうありたいのかを考えるようになりました。大学では自分で講義を選択し、周りの目を高校生までと比べて、気にしなくて良くなったというのもあるのかもしれません。また、家族との時間も減ったため、これまでの凝り固まった価値観が変えやすかったこともあります。

一番大学で大きかったことは、研修でアメリカに行ったことだと思います。それまでの私は、「海外なんて行かなくても、英語なんて話せなくても生きていける」といった精神の持ち主でしたので、全てが衝撃でした。まず、アメリカでは、女性が上の地位に就くことも多いというのが見ただけで感じとれました。日本では「女子力」=可愛い、家事ができる等だったのに、それは一切感じられませんでした。むしろ、Women’s Powerは、自律だったり、女性のEmpowermentをも意味するのではと思いました。

今ではカナダに留学したり、英語関係の職に就いたりなど、昔の面影はどこへいったのやら。

そして、社会人になりました(社会人という言葉はあまり好きではないが)。

社会人一年目、私は公立学校の教師をしました。そこでもジェンダーギャップを感じました。私の担当教科は音楽。音楽の教師は女性が多く、音楽部会という、市内の音楽の教員が集まる組織でも、女性が全体の9割近くをしめていました。にもかがわらず、男性2人がリーダーのようなポジションで仕切るという状況。また、職員室でも、管理職の割合は圧倒的に男性が多かったです。セクハラやパワハラのような事も起きている実態さえありました。

そして、私はカナダに飛びました。カナダでは、多文化国家ということもあり、多様性にあふれ、様々な人と知り合うことができ、自分が日本人であることや、女性であることを気にすることはありませんでした。また、ホームステイを受け入れてくれた家族も、旦那さんが主に料理を作っていたりなど、家事分担がされており、女性が家事をしなければならないという価値観は少なくとも私が関わった家族からは感じませんでした。

そして現在、わたしは、大学院進学を考えています。

ただ、大学院進学を考える上でもジェンダーは大きく関わってきます。例えば、「女性が大学院まで行くと結婚しにくくなる」や、「結婚が遅くなる=妊娠しにくくなる」など。

私とジェンダーとの闘いは今もなお続いておりますが、闘い方を学んだ私は、それに屈する事なく、苦しみながらもそれと向き合いながら生きていくことになるでしょう。

女子力ではなくWomen’s powerを持ち、女性の権利を訴える1人の人間として。

※今回は私の人生を羅列しただけですので、「なぜそれが問題か」については触れてきませんでした。今度問題点についても触れたものを書いてみようと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。今の私がいるのは、大学時代関わってくださった方や、それ以前に関わってくださった方、全ての皆様のおかげです。この場をお借りして感謝申し上げます。












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