さくらの花の咲くころに

#渡辺美里



あの日、突然のつよい風に、一斉に桜が散った時。
「うわー」と呟いた間抜けな表情を見られていたらしい。


「お前はぼーっとしとるけん」
時々そう言われた。同級生の集団が、わりと苦手なこと気付かれていた。
仲のいいクラスだった。それでも、やっぱりズレていて、小さい集団にいるのが楽だった。

ある時、次の授業に遅れそうで、一緒に廊下を走った。
「パンツの見ゆっぞー」
(パンツ?パンツなの?)
そう思ったのを覚えている。なんて答えたのかは覚えていない。後にも先にも、女子(らしき)扱いをされたのは、それくらいだ。

彼は、黒いルーズリーフを使っていて、カッコよく見えたので、自分も真似をしてルーズリーフを使い始めた。気の置けない友達に冷やかされたが、格好良いのはルーズリーフだと思っていた。

ずっとそんな風に、今思えば、微妙な距離感で3年間を終え、卒業した。


そして、時は過ぎ、やはり、集団にあわせ切れないストレスと、真冬の風邪をこじらせ、私は休学することになった。
つよいストレスだった。どうしてできないのか、自分でもわからなかった。誰とも喋りたくないし、図書館と、保健室を行き来した。

その時の真冬の風邪は、なかなか高熱が下がらず、高熱といえる体温から下がっても、消耗した体はそこから熱が引かなかった。また、天井を見つめて、底無しに寒く、薬に内臓を痛めつけられる日々に戻りたくなくて、微熱に怯えた。
外に出るのが怖かった。

やがて、耳鼻科の治療が効くことが分かり、学校にも戻ったが、授業時数が足らず、留年は決定的だった。
風邪を引く前から、図書館と保健室を行き来することが多かった私は、担当の先生から、年度末まで休学することを勧められ、学校を休むことになった。


そんな、3月のある日、親友と共に彼に呼び出された。
理由が、よくわからなかったが、聡い彼のことだから、留年のことを聞いたのだろうと思った。それと同時に、彼が引っ越すという噂も聞いていた。
正直、親友ですら会いたくなかったが、お別れなのだろうと思って、2人で会いに行った。
ずっと心の表層で友達とやりとりをし、平静を装っていた。
「おれ、引っ越すとさね」
彼が切り出して、細かい内容は忘れたが、しばらく雑談をした。
「ジュースば、買ってきてくれんや?」
親友に言うので、自分もいくと言うと、
「なんで、お前ば呼び出したとかわからんやろが」
そう言われて、腰を下ろした。
(やっぱり、留年のことか)
心を装うというより、鎧を着込んだ。
親友が、買いに行き、彼は、少し黙り込むと、
「お前、大丈夫とや?」
と聞いてきた。
「大丈夫、なんとかなるなる」
少し、テンション高めに答えたと思う。不自然だったかもしれない。あの時、一瞬涙が滲んだ気がしたが、詳細に覚えていない。
心がなにか叫び出しそうだった。
「しょうがない」
言いながら、なにがしょうがないのか、わからなかった。必要以上に、にこにこしていたと思う。
社会のルールに従って、進級していく友達。
かたや、得体の知れない社会や集団に、疎外感を感じ続けている自分。わかり合えないと思っていた。

だからなのか、彼が、最初なにを言ってるのか、わからなかった。
「お前、俺のことどう思う?」
頭の中が、はてなでいっぱいになった。
「中の……ち、ゅ……う?」
「お前そう言うと思うたー」
彼は笑っていた。つられて笑うと気持ちがほどけていた。まもなく、友達が戻ってきて、3人でしばらく雑談した。

帰り道、思い出せば思い出すほど、彼がなにを聞きたかったのか気になったが、結局親友にはなにも言えず、別れた。


それから、また長い時が流れた。
最終的に学校を卒業して、社会人になった。
疎外感は、相変わらずだったが、なんとか折り合いをつけて、周囲に紛れ、人と出会い、好きになって、別れて、恋らしきものをして、思うようになった。

もし、あの時、もっと違う返事をしていたら、何か違っていただろうかと。何をどんな言葉で言えば、どんな結果が待っていただろうかと…



あの日、時が止まってしまった気持ちは、今もよくわからない。でも、自分のことで精一杯だった私が、あの時、出せる答えにあれ以上のものはなかった。


すぎ去る日常のなかで、時どき、彼のことを思い出す。


さくらの花の咲くころに



#フィクションとノンフィクションの間  

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