読んでるだけで、鬱っぽくなるような、文章…って、かけるのかな?とか、

こころのなかにそういうものがあるのと、それを表現するのは違うと思うので、どうなるかわからないですけど、

ネガティブなものを、ネガティブとそのまま、飾らずに出していったらどうなのかなと。


どういったら、いいのかわからないけれど、これちょっとどうにかして下さいって、言われるくらい、くらいことが、書きたい。



どうせ私なんて、とか、積極的に肯定していこう。
ハッピーなことなんてこれっぽっちも起きえないとか、肯定していこう。

そういうことがあったな。というのは事実だけれども。いまは、まっくらなんで、関係ない。

楽しいことと、憂鬱なこととか、地続きで、ぐるぐる回ってるとか、真実かもしれないが、いまは認めないでおこう。


ちょっとくらい憂鬱なとき、このまっくらが、こころのどこかにキューブになって、どこかにあるんだけれど、それを、見ないふりしている。嘘。

まっくらな気持ちはある。種類はそれぞれだけれども。

まっくらは、まっくらだ。


目に見えるものが、色褪せて、モノクロに感じる。
食事は、義務。あるいは、食べざるを得ない。
大丈夫だよ。と思うときもある。
そう思う隙間がないときもある。
言葉の意味が理解できない…

たすけは、来ない。

できる限りの課された日常をこなしていく。

ぐるぐる回る日常。
大丈夫だよ、それは息が止まるまで続くから。
日常に収監される。

でも、しっているから、日常も壊れるようなまっくらがあるのも。
大丈夫だよ。死んでないから。

息ができれば、あしたはくる。

美しく感じなくても、日はのぼる。

光がわからなくても、1日がはじまる。

望まずとも。


眠ろう、いまは全てを拒絶する。

明日が始まる時間まで。



#フィクションとノンフィクションの間

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