無神経だよね?




だよねー♪ だよねー♪ いぅっきゃないかもね。
そんな時にはね。

というのが、頭をかすめた。


前回に引き続き、ちょっと書いています。
そういう鈍さを、そう言われるというか、ですね。
怒られたりなんかして、悔しかったり悲しかったりして泣いたりすると、
「泣けば許されると思って」
というのが、かすめて涙も引っ込む…わけもなく、泣くのは泣くんですが、なんだかちょっと感情を手放す感じで、押し流してしまいます。

そうすると、「かわいくない」とか、おきまりのコースなんですが、ようは、口答えせずに、はいはい聞いて、頃合いを見てごめんなさいと言えばいいのだな。ということは、学習するわけです。


無神経ですか?
でも、怒ると叱るを混同している相手には、そうするしかないわけで。怒ると叱るは違うというか、グラデーションでつながってようなわけで。
怒っても意味が伝わらなきゃ、叱ったことにはならないわけです。


またちょっとそれました。
ざっくり言うと、泣いても愚痴っても意味がないと身に染みていて、それは、無駄ではないけれども、何かが実るわけではないと感じている、というようなことですかね。

そういうタイプの人間なので、嘆いたり怒ったりすることに、あまり価値を見出してないかもしれないです。
そういうことに、共感する能力の低い人間なので、無神経なのかもしれません。


結局、泣いたり怒ったりするようなシチュエーションからは、自分で抜け出すしかないと思ったりしていて、もちろん、一人でじゃなくて、周りが助けてくれたりもするんですが、最初に一歩踏み出すのは自分なんです。


なんだか、すごい偉そうだけれども、自分だって、辛いことを逃避するために、一日ぼーっとしていたりもします。
辛いことの底の底で、真っ暗なこともあります。
ただあんまり表現しないです。
前述のような、抵抗感があるので。

だれかに、そうせよ。と言っているわけではありません。

ただ、底の底でもがいていると、知らないうちに水底に足が当たって、思わぬ方向に浮き上がることもあります。

前から書いているように、覆水盆に返らず。失敗したり壊したりしたものが、元に戻ることはほぼありません。

でも、いつのまにか、全く違った良い物を手に入れていたりするかもしれないです。

それは、自分で踏み出さなきゃ、なにも手には入らないのです。

そう思います。


自分の持っているコップの水を全部入れ替える…やりたきゃしてもいいです。でも、元の水に一滴違う水を垂らしてみる、それもまた、変化です。



なんか、また、お題とかけ離れてきたんですがー
〆ましょう。
わたしは、無神経です。

決してポジティブでは、ありませんが、泣き続けてもお腹が空くし、怒り続けても疲れちゃうと思っています。

実際のところ病んだりしていますが、えっちらおっちらやっていってます。


傷つかないってことは、ありません。泣かないってことも、ありません。
でも、取り敢えずちょっとだけ、頑張ったら、違うものや、場所が、手に入ったりします。
それは、失敗したり、傷ついたり、盛大にすっ転んだおかげだと思います。


わたしって、可哀想?
そうだね。
って、一回口先でいうと思います。
でも、心の中で、それをターニングポイントに変えられるのは、自分だけだよ。とおもっています。


あんまり上段に構えたことは、書きたくないんだけれども、こんな日もあるさってことで。



#アイドリング中 #薬の効きが悪いんだきっと

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