UTOPIAのはなし

わかってほしい。や、未来も一緒にいたい。や、同じ気持ちを少しでも共有していたいと思う人とは少なからずぶつかることや気持ちを揃えないといけない局面があると思います。
友達でも恋人でも家族でも仕事仲間でも。

もっと若い時はずっとそんな事をいろんな人にしていたんだと思う。
どうでもいい人の一言にも食らいつくような。だからとっても生きていくことが今より面倒だった気がします。

時間が経って最近は一緒にこれから先も居たいと思う人にしかそんなことはしなくなりました。諦めたわけでもなく、私の未来にあなたはいないから気持ちが違っても結構です。という意思なんだと思います。

いつの日か恋人にすらそれを感じたことがありました。
違うなぁ、と思うことにも頷いて笑って誤魔化すような。
それがひどく寂しく感じました。
いつだったか。その時には考えつかなかったけど未来に一緒にいないと思っていたのかなぁ。とUTOPIAを作る時ちょうどそんな事を思っていた。

わがままな話だけど自分でしていることにひどく寂しくなった。

今を一瞬の楽園みたいな時間だと思っているかもしれない。と思って。

同時にわたしがほしいのは自分自身で作る満足なんだろうなぁ。他人がどうしても埋める事ができない満足を欲しがっているんだろうなぁ。

と。
一過性の楽園はいつか終わる。
生活の中にたまにあるから楽園、UTOPIAなんだろうね。

だから気楽にアトラクションみたいに過ごしてる時間に悲しくもなりました。

そして人は生きているだけで官能的なんだと思います。
知らない人でも指先の仕草や、髪の毛の質感や、障害物の避け方、ライターを付ける時の手の動き、そんな普通のことで感じる官能的があるんだと思います。全く知らない人でも。
美しいなぁ。と思いました。

ただそれって他者がいないと成立しない。
こんなに美しいと思う現象でも他者を必要としている。

他者により満足出来ない事を嘆きながら、美しいと思う現象には他者を必須とする。

なんてあべこべな疎ましい話なんだろうか。

と思いました。

未だにわたしは面倒くさいおんなのままなんだなぁと面白くもなりました。

毎日の生活の中の欲しがっている欲求の全てに孤独がありそれを邪険な感情だと思わずに付き合っていく事がこれから少しずつ上手になればいいな。と思いました。

そしてこれからも面倒なほどに言い争いをするような未来を一緒に過ごしたい。と思えるような人と同じように見えて違うたまにある楽園みたいな時間を作りたいな。と思いました。

一瞬のユートピアなんかじゃわたしの最後まではみとれないわ。

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