過ぎたものは


高校生の時、付き合いたての恋人と東京ディズニーランドに行く約束をして私は始発のバスで待ち合わせ場所へ向かったけど恋人は1時間近く寝坊してきて、着くなり私にずっと謝っていた。
私はその時なぜだか「もう過ぎた事はしょうがないから行こう」と言った。
今でも深く覚えている。
私は以降そんな事口にした事なかったような気がする。

これは親友が中学生の時ろくでもない男と朝まで遊んでいて初めて朝帰りした時に親友のお母さんが言った言葉だ。

「過ぎた事はしょうがない」

その時の私にとっては救いの言葉みたいだった。私はしっかりとずっと、過ぎないように生きてきたつもりだったけど、あぁ、過ぎてしまったらそりゃもう仕方ないもんなぁ。と救われた気になった。

だからその時の事を思い出してその時恋人に言ってみたんだと思う。
内心は穏やかではなかったし、帰り道も思い出したら腹が立った。

過ぎた事は仕方ない。

というのは過ぎる様を見届けた人の我慢によって成り立っているんだなぁ。

と思った。

それから私も沢山人様からそう思われる事をしてきた自負があるけれど、

今はなんだろう。

過ぎた事は仕方ないから落し前つけてもらいますよ。過ぎる前よりよりいい方向にね。

と言える強かさを学んだ気がする。

前向きというのも考えようで、疲れるなぁと思うけど、過ぎたもんにねぇ、なんで、どうして。なんて言ったって意味はない。
それは時間が余って余って仕方ない喫茶店での一人の時間の暇つぶしにでも使えばいい話題である。

もう、過ぎた事はしかたねぇ。過ぎる前よりいい未来をやってくれよ。

と思うと気が楽になる。
やっぱりこの言葉のはじまりに私はずっと救われているような気がする。

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