call endのはなし

たまに息を吐き続けていると意識がなくなりそうに内臓と頭の血液が一つの場所にまとまるような感覚になりますライブの時。
それを人は立ちくらみというのかもしれない。

たまにめちゃくちゃ叫んで最後にあ、これはクラっとしてる。って時にどこか客観的に見て、いいぞいいぞ。と思っている自分がいてそれがきらいじゃない。

息継ぎする間もないような歌を歌いたかった。発端は。

特に悲しみに焦がれている歌でもなく、そのまま思った事を書き記しています。

泣きたい夜に笑う事は変だと思うし、あなたをずっと思えていたらよかったのにそれも出来なかったし、冗談まじりのような存在の女になっていることも知らずにアーティスティックな情緒なんて語りたくもないし、愛は録音で全てとっておけないし、頑張って悲しくなることもできない。

愛してふざけずきてしまったら上手な場所に置いておいてもらえなくなったこともあったし、電気はいつだって優しいだけではなくなってしまったし、不便とすら感じることもある、ずっと繋がっていられることが悍ましい事のようにも感じる。理想を持つ事で全てがうまくいくわけじゃないとも思った。理想を持つ事でどこかがうまくいかなくなる時もある。でも衝動的にそれでもいいと思う時がある、その時の一番を隠してしまいたくないから、後でする後悔も未練も全て良いよ。と言っていたい。

そう思った。

気付いたら1人になっていた。の逆もあって、気付いたら後戻り出来ないくらいに沢山の人やものに愛されていたんだ。と気づく事もある。

むかしにヘイトという歌を作ってその時の思った事と少し似ていた。
1人じゃなくて怖くなる。

今でも思う。
1人だったらそれ以下にはならない。
命がなくならない限りそうはならない。
ただ、1人の方が捨て身でいい場合もあるんだけど、1人でいることに恐怖だってやはりある。あるんだよ。
ただ、怖いから何かを諦めたり、捨てたり、見て見ぬ振りするなんて事はしたくない。
そう思う。

これはもう本能の話であって賢い話ではない。
今やりたい、今だ!突撃しろ!と思う気持ちは頭を使っていない。
普段どれだけ計算を組んで、企みを拵えたとしてもその時の衝動は本能でしかない。

それを隠してはいけないと思う。

だからぬるく永遠に一緒にいるという約束があったとしても本能的に今の一番。というものは逃してはいけないと思った。

いつか後悔するよ。なんて言葉のいつかはその時に全部引き受ければいいのではないでしょうか。

そんな事を息をする暇もなく歌うのが気持ちよかった。

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