いのち根(=38億年の叡智)に生かされる健幸楽のすすめ(3)
生命誕生から間もない頃、私のイノチは共生による進化で生存の危機を乗り越えたということへの感動
前回の記事で、38億年前に真っ暗な海の底に生まれた嫌気性の古細菌だった私(のイノチ)は、、酸素を出す新人の微生物を自分の体内に取り入れることによって、環境変化に対応する進化を遂げ、生き延びたことをお話ししました。
私などは 進化と言うと、はるか昔の学生時代のおぼろげな記憶の底から、生物学の授業で習った突然変異や適者生存、弱肉強食などという言葉が浮かんできます。
ところが誕生して間もない私(のイノチ)は、共生という平和的な手段でピンチを乗り越え、進化のエスカレーターに乗って、今のわたしにまでイノチを届けてくれていたのです。
またいずれ、詳しく触れることになると思う土中微生物の世界でも、また私たち自身の腸の中でも、驚くほど緊密な共生関係が展開されている様なのです。
生命循環の輪の中に、異種の生命同士が助け合い、与えあう共生という在り方が大きな役割を果たしているとしたら、私というイノチを見るときも、共生している多様な微生物たちや、自分の37兆の細胞との共生関係を視野に入れることが重要になってくるということを意識の隅に留めておいて頂けたらと思います。
微生物や細胞にも意識があると思いますか?
あなたは小さな微生物や私たちの体を構成している37兆の細胞一つ一つに意識があると思いますか?
私はあると思っています。
と言って、無いと思う人を否定したり説得する気は毛頭ありませんが、自分の細胞一つ一つにも、100兆とも1000兆ともいわれる腸内細菌一つ一つにも、意識があると信じています。
嫌気性の古細菌が、酸素を生み出す新しい生命体を体内に取り込み、共生することで生き延びるという選択をしたのも、取り込まれてミトコンドリアとなってエネルギー供給する役割を引き受ける代わりに、生きる環境や栄養を提供してもらって生きるという選択をしたのも、それぞれの意識による選択の結果だと思いませんか?
なぜこのような話をするかというと、私たちの肉体を、たくさんの部品により組み立てられた精密な機械のようなもので、各パーツは脳や各種のセンサーからの指示命令により忠実に動くロボットのようなもので、意識など関係ないのだという考え方も人間機械論として存在し、現代医学の発達にも関わっているようだからです。
しかし、私がこれから皆さんとご一緒に探究していきたいのは、症状を病気とみなし、詳細に分析研究して、薬や手術で抑え込んだり切ったり焼いたり人工の部品に取り換えることで、健康を取り戻すことを目指す医療の分野ではありません。
イノチの本質やイノチがすこやかに働くトータルな仕組みを少しでも深く理解し、誰もが心身のすこやかさを維持発展させる健幸創りのノウハウとして身に着ける新たな健幸楽(学)を作って行きたいのです。
進化の始まりのころから、共生が選択されたことの意義
進化の本質は弱肉強食であり、弱いものが淘汰されて、より強いものが生き残った。だから、人間社会でも、強いものが弱いものを支配するピラミッド型の社会になって当然なのだ、というのは 社会を支配する側に立ちたい人たちが作った仮説であり、ダーウィンの進化論は人々を納得させる洗脳手段として利用されたのだと私は思っています。
しかし、生命進化が始まったころから異質な生命体同士がそれぞれ意識または意思をもってつながりあい、補い合い、ともに力を合わせて生き延びるモデルが成功していたということは、生命循環の原理のところに意志的な選択と愛の要素があり、その後の生命進化のモデルにもなっているのではないか、と私は思うのですが、あなたはどうお思われますか?
いずれこのことについては、腸内フローラについてお話する時に、ご一緒に考えて見たいと思います。
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