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NNNに狙われて②

お腹をすかせた子猫は猫缶を瞬く間に平らげ、ゴロンと転がりわたしの足にスリスリしながら甘え出した。

夫は私にサンダルの右足を取ってきてくれて、一旦仕事のカバンを取りに部屋に戻った。またすぐ仕事に戻らなければいけないようだ。

そしてわたしは閃いた。
夫不在時に使用可能な「なんか知らんけど増えた」作戦の強制行使を。

天才だ!天才だわたしは!
わたしは考える葦なのだ!
子猫を抱きかかえて帰ろうとした途端、5階のベランダから「里親を探すならいいよ」という声がした。
くっ、さすが夫。刺身醤油皿ほどのわたしの浅はかな考えなどまるっとするっとお見通しなのだ。夫はいつでもちゃんと考えている。これがほんとの葦。考える葦。

早速実家に連れて帰り、母・トモコと姉・巴月が子猫をお風呂に入れた。
ピンクの洗面器にぬるま湯を張って、子猫を後ろ向きにだいた巴月が少しずつ、少しずつ、後ろ足からお湯につけた。少しお湯に慣れてきたところでトモコがぱしゃぱしゃとお湯をかける
「あちゅくないでちゅよ〜」
「きもちいいでちゅね〜」
って初孫の産湯みたいになってた。
本当の初孫はわたしの腕に抱かれて不思議そうにみてた。

トモコがふと、黒いのあるね〜!と子猫のお腹についている黒いつぶつぶを取ろうとした瞬間、つぶつぶが移動した。黒いつぶつぶはノミか、ダニだった。子猫の下半身に潜んでいたやつらが溺れてなるものかと上半身へと集団で移動してきたのだ。

2人ともひいいいいい!とかぎゃああああ!とか叫びたいところを子猫に配慮して小さな声でひゃあああああって言ってた。
そこまでボリューム絞れたんならいっそ無言でいいのに、と思った。

わたしはわたしで、お湯から逃げおおせたつぶ母が、我が子がいないことに気がついて助けに戻る想像をしていた。
無事助けられたつぶ子がドゥワナクローズマイアーイズでヘルメット持って帰ってくるところで子猫の産湯が終わった。

その後は動物病院へ行ってスポット(ダニノミ治療薬)を首の後ろに打ってもらい、うんちの検査をした。
子猫のあまりの甘えっぷりに先生も
「この子はきっと飼い猫ですよ。飼い主さん探された方がいいと思います」
と言った。

うーんそうだよなーわたしも思ってた、薄々勘づいてはいた。やっぱりか。
わたしも飼い主さんを探すべきだと思ったけど、こんな小さな子猫を外飼い、もしくは外に出られる状況で家族に迎えるような人にこの子を返すのをは嫌だなあ。ただ逃げてしまっただけかもしれないけど。

「ですよね〜こんな甘えん坊なノラいませんもんね!おっけーです!」
思いとは裏腹にとっさに笑顔が出た。


三毛のこの子猫の名前はランジーに決まった。
三毛猫→ミケ→ミケランジェロ→ランジェロ→ランジー
という流れでの命名である。

我ながらよい名前をつけたと思っていたのにトモコと巴月はコソコソと
「プーチン始まって以来の悲劇や」
とか言い出した。

我が家には老猫のロシアンブルーが一匹おり、その猫の名をプーチンという。
こちらはロシアン→ロシア→プーチンという流れでの命名である。

「プーチンちゃあん!次どうぞ〜!」

と呼ばれると待合室が少しざわつき、みんなプーチンを見て、わたしを見て、目を逸らす。
たぶん
「プーチン!?ああ、ロシアンブルーだからロシアのね、んでこいつが、名付け親か」
みたいな感じで視線が上下する。

巴月が
「ロシアンでプーチンとか安直すぎ、ほかになんかあったやろ」
と、いうので
「じゃああんたやったらどうするん?」
ときいたらすっごい小さい声で



・・・ピロシキ

 
と言った。


セーフ!!!セーフ!!プーチンセーーフ!!!この名前を後生大事にしてくれ!


そんなこんなで、ランジーはうちの子になった。長くいればいるほど情が泉のように湧いてくるのはわかっていたので、その日のうちにポスターを作り、近所に配り、飼い主を探した。

その日の晩、動物病院の先生から電話があった。
ランジーのうんちを調べたら木片と草がたくさんでてきた、きっと食べるものがなくて手あたり次第食べてみたのだろう、ということだった。

電話を切ったあとわたしの緩い涙腺は簡単に決壊した。夫に
「木食べてたやって、かわいそう」
と言うと夫は
「ごぼうやね」
と言った。

米軍捕虜みたいなことを言うな。

翌日、わたしは近所を一軒一軒訪問しランジーが飼い猫じゃなかったこと確認した。





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