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並木藪

浅草の自宅の近所に、並木藪という老舗のお蕎麦屋さんがある。

味は上品でありながらも、東京の下町の味であり、初めて伺ったときは鴨南蛮の時期で、浅草に住んでいた主人に薦められて食べたその美味しさに感動した。
厚切りの鴨肉数枚に鴨のつくね。ふかふかとした上等な白ネギ。そして鴨の脂がにじみ出た馥郁たる東京のお出汁の香り。

私は、並木藪初心者だったので、熱々のおつゆとお蕎麦のバランスがよく分からず、おつゆを少し残した。
主人は、鴨肉、おネギ、お蕎麦をバランスよく頂き、おつゆ一滴残さない。
蕎麦湯の必要もない、見事に美しい食べっぷりだ。

主人は、私のきれいな魚の食べ方や、食事のマナーをとても褒めてくれる人だったが、お蕎麦のいただき方は彼には適わなかった。

主人と、お蕎麦以外のことで、凄いね!と並木藪について驚嘆したことがある。100年以上営業を続けられている老舗だが、建物の老朽化で建て直すんですよ、ご心配なく、以前のお店と変わらないように建て直しますよと言われ、更地に戻して直ぐに東日本大震災が起きた。
きっと、以前の古い建物であれば、かなりの被害があっただろう。

今から思えば、主人の病の兆候が表れたのは、並木藪で座敷はしんどいから椅子席が良いと言い始めた頃だった。歳なので、お座敷はしんどいのかな、椅子席がいいのかなと思っていたのだが、水頭症という足に障害が現れる病の初期症状だった。

背に床柱 前に酒 両手に女 懐に金

並木藪でおどけていた彼は、お座敷での食事を好んでいたが、椅子席が一杯だったときは、また今度伺いますねとお隣のフレンチで食事した。

先ずはビール中瓶一本を分け合い喉を潤す。
その後、両関を二合。
蕎麦前は、決まって、海苔焙炉で焙られた焼きのり、自然薯をすりおろしたわさび芋、板わさだった。お酒を注文すると供される蕎麦味噌を、夏でも冬でもぬる燗でちびりちびりとかじりながら、ザルは一枚づつ。
それが二人のお決まりのコースだった。

週に一度二人で通っていたけれど、月に一度になり、数か月に一度になり、どんどん痩せて衰えていく主人は明らかに病んでおり、私がお昼に一人で行くようになると、ご主人さまお加減いかがですかと尋ねられた。
あまり体調は良くないんですよと答えたら、やさしい声で、うちのお蕎麦、ご自宅までお届けしますよ、いつでも仰ってくださいねと、出前をするお店ではないのにそう言ってくださる。
ありがとうございますと答えたけれど、その私の声は潤んでいた。

ああ、並木藪のお蕎麦が食べたいな…
主人がそう言うので、大柄な男性を自宅に招き介助してもらいながら連れて行こうとするのだが、直前になると、やっぱりいい、しんどいから寝ていたいと答える。

それでも、彼の外食の最期の晩餐は、並木藪になった。

2月の終わりのとても寒い雪の日、あまり食べられなくなっていた彼が急にお蕎麦が食べたいという。

私は、彼を車椅子にどうにか乗せ、雪で滑る道を並木藪まで連れて行った。

驚く店員さんたちに、まだ、生きてますよとしわがれた声で笑う夫。
直ぐに、テーブル席の椅子を抜いて、車いす席を作って下さった。

あんなに食べることがしんどくなっていたのに、いつもの蕎麦前を頂き、お酒を飲み、鴨南蛮をお願いする。
すると、主人の鴨南蛮のお肉だけ食べやすいように小さく切ってあった。時折むせて咳込みながらも美味しそうに口に運ぶ。
コロナの真最中だったので、迷惑な客のはずなのに、ご心配ないですよとティッシュの箱と小さなゴミ箱を卓に隠れるように用意して下さる。

主人は、あれだけ美しく食べていた鴨南蛮を残してしまった。

お気遣い頂いたのに主人は食べきれませんでしたと伝えると、女将さんは、たくさん召し上がってくださいましたと喜んでくださった。

彼がまだまだ元気だったころ、急に並木藪で年越しそばを食べに行くと言い、3時間並んで食べてきたことがある。
そんな、頑固というか気長なところがある人だった。
それは、生まれつきの頑固な性質と、医者という職業で培われた待つことしかできないときもあるという気長な性質だと私は思っている。

最期の晩餐は何がいいですかと尋ねられることがあると、私は、並木藪の鴨南蛮だと答える。

あなたと二人で。









































































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