ただ、悔しかったんだ
どうも、わたしです
今日、久しぶりに泣いた
ワークとセッションをしている中で自分の中途半端な生き方や夢なんて持たずに他人の敷いたレールに乗ってのほほんと生きてたことや他人に興味が無いことがあぶりだされて
でもこれは自分で薄々気づいていた事で、もう生きる意味ないなーってこのところ思ってたからなんてことなかったんだけど
自分の傷と対峙した時に
「私を見て欲しかった」
「悔しい」
って気持ちを言葉にした途端ドバーって涙が溢れてきた
無視されるのが怖くて嫌で
でもその状況を飲まなきゃいけない時があって
少しでも痛くないように痛まない方法を考えて壁を作っていて
それに
「悔しい」のあと
「でもこんな奴に悔しいと思う自分は惨めで嫌だ」
って思いが繋がってるから素直に「ただ、悔しい」が言えずにいた
「でも」の部分は曲がったプライドらしくて
最初の気持ちだけを認めることで「だから乗り越えるためにこうする」が生まれるみたい
負けるのは嫌いだ
反面、負けるのが当たり前になってたから負けるのを前提として本気にならなかった自分もいた
言い訳をいっぱい作って、言い訳の相手は「相手」じゃなくて「自分」で
汚い部分も素直に出せてたらここまでひねくれなかったかもしれない
生きなおしは早ければ早い方がいい
でも遅すぎることもない
でも年齢も気にするのは確かなんだよ、やれることが狭くなっているから
だから気づいた今本気でやらないと
彼氏がどーだとか言ってる場合じゃなくて
未来に会うかもしれないパートナーに自信もって自分をプロデュースするために頑張らないと
きっと待ちわびてるだろうからね
相手も、乗り越えてくれてるはず
完成形で出会いたいものです