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やりたいをやらなきゃ

どうも、わたしです

結果論のハナシ
選んできたものは、私が傷つかないものだったこと
「コレ逃したらもうでてこないかもしれないから」
「コレしか選択肢がないから」
って
「やりたいこと」を見ない、見つけてこないでそこにあるもので賄ってきたから今「なんで生きてるんだろ」って考えがふと過ぎる
選んだのは自分だし、確かにそこに幸せはあったし導きでもあるし学びもあったし
それはそれでいいんだけどやっぱり足りないからこそ自分に自信がつかなくて「いざ」が効かなくなってる

やりたい!って思っても、やれない言い訳を作り始めていて「ほらやっぱりやれないよね」って言い聞かせて諦める。うまーい言い訳作るのは得意
味気無いね
残り10年としても
10年を同じことで消費するのもなんだかね
かと言って大きい望みは何?って聞かれても何も出なかったりして
これが「やりたい」を叶えられなかった末路
だからね、諦めぐせのある人はそうあって欲しくない
諦めぐせある人ってもうそれでいいよって考えの人が多いんじゃないかな。「私なんてこんなもんだよ」って
でも絶対そんなことないから
これは自分にも言い聞かせてる事だけど、やりたいことをやらないと達成感も味わえなくなって本当の望みがわかんなくなるしあっても具体的に想像できなくなるから

失敗しても、どん底に落ちても、迷惑かけても「やった、やれた」って事実が次を産むから
どうか「やらない」選択や「これぐらいしか来ない自分の設定」はしないで欲しい
そうやって人は成長するし進化もするし思いがけないチャンスも転がってくるから
それを生かすも殺すも自分次第なんだけどどうか生かせるあなたでいて欲しい
自分はまだ実験中でただの老害の戯言に聞こえるだろうけど無気力な時間を過ごした私が伝えたいメッセージです

活きるように生きよ