子供の頃

幼少の頃からを語ると、どこまでさらけ出して良いのか?手探りになりそうだけど
強烈な記憶に今でも支配されている、この複雑な記憶を少し書いてみたくなった。

吐き出す事で、自分のがんじがらめに縛られ続けているような気持ちが、少しは変化するかもしれない

小1になって2ヶ月くらいだろうか、この辺りで両親が離婚。
その後がめまぐるしく、大衆演劇の家庭でもないのに転校が4〜5回
引っ越しは何回したか分からない
母と父の間を行き来
「もう育てられない」と母が私を父方の親戚宅に預ける
私には「半年だけ行ってて」と嘘をつき、無理やり行かせた。

ざっとこんな流れで、平穏だとか暖かい家庭とかには縁がなかった。
普通の家庭がとても羨ましかった
支え合える兄弟が欲しくて仕方なかった。
預けられた過程で、メンタルがだいぶ不安定になり、大好きな祖父母や伯父にはかなりの迷惑と心労をかけてしまった。
自分の中で十字架のように重くのしかかっている

母は恋多き女性で、父と離れた後にはいつも誰かしら居た気がする。
父は某海外籍🇹🇭の女性と結婚
二人の娘をもうける(私の腹違い)
時期不明で別れてた
🇹🇭女は父をATMだと思っている。
いつまでも都合よく遣うつもりだろう

書きながら、私は蚊帳の外だと感じる。
どんなに仲の良い子にも、自分の家庭の事情はほとんど話さなかった。話せなかった。

稀に根掘り葉掘り聞いてくる友人や、友人の母親が居て、しつこく聞かれた時の苦痛さは、今でも覚えてる。

母の名誉もあるので、どこまで書いて良いのか微妙なラインだけど、母はメンタル面も体調面も安定した人ではなかった。
恐ろしく変貌する母を、怯えて泣きながら、大人しくなるのを待った。
大人達の飛び交う怒号
時には包丁も持ち出し、命の危険を何度も感じた
自分の存在って何なのかな?
いらない子供だったかな?
そんな風に思う日もあった

中1から20代前半まで、自分の体を傷つける自傷行為がやめられなかった。

悲しいかな、楽しい事も沢山あったはずだけど
よく思い出すのはこういった悲しい記憶だ。

私の文章は変じゃなかろうか
自信がない
ここまで書いてもう、気持ちがキツい
今日はここまでにします。


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