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連続的なものとしての生

最近、年齢って連続しているなと思うことがある。

自分の今の年齢と訪れるかもしれない80歳は、つながっている。

そう思うと、今の高齢の方に腹を立てることもできなくなる。

同時に、自分がこうはならないように今から健康や考えに気を付けようと思う。

とかく、自分と高齢の方を切り離して考えてしまう。

髪の黒色が抜けて、肌の艶もなくなってきて、背中も曲がってくる。

重要なのは、なってくることなのに、今なっていることに注目してしまう。

ピンピンしている自分と、ひざが悪い高齢の方。

でも、それはおかしいと最近思い始めてきた。

体の変化は毎日起こっていて、その集積として目に見える変化が生まれているに過ぎない。

今の生活により、内臓が悪くなっているかもしれないし、膝を異端ているかもしれない。少しの変化は、若さで補えているが、それが利かなくなってくる。それが年を重ねるということではないだろうか。

日々の変化の積み重ねとして老いていく。そうであれば、日々の生活で少し健康に気を付けてもいいのかもしれない。



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