LGBT問題に関する女性達の意見① 1〜10
1-1. 無題(30代女性、路)
エスケーさん、いつもありがとうございます。少しでも隙を見せれば一斉に攻撃されるこの環境で、いつも情報発信をしてくださることに感謝しています。
最初に結論から言うと、私は戸籍は身体的性別により分けるべきだと考えます(女性スペースについても同様です)
特例法については、身分証には元の性別が分かるような記載方法を行うべきと考えます。
私は元々「LGBTQフレンドリー」に生きていました。二丁目に行ったこともあるし、ドラァグクイーンやゲイの方とも沢山接してきました。
そのようなLGBTQフレンドリーな会場・人々と接している中で「女子トイレ」や「女子更衣室」に身体男性の方が入ってきたことは一度もありません(少なくとも私は見たことがない)。
いわゆる「アライ」はそういった経験から「性自認=戸籍としても、別にトラブルは起こらないのでは?」などと思うかもしれないですね。実際LGBTQイベントに行くと「ぶつかりおじさん」等女性に対して加害をしようとする男性は極端に少なく感じます(快適な空間です)。
しかし、世間は違います。
LGBTQイベントは「女性を性対象としていない男性」の割合が多く、また有料の場であることから、そのような治安・環境になっているだけです。
もし一般的な場であれば、LGBTQイベントのように「ゲイ・トランス・ドラァグは当然男子トイレを使うよ」などという気遣いをしてくれる男性は少数派でしょう。
言うまでもなく、少しのチャンスがあれば女性を加害しようとする男性が山ほどいるからです。
この日本で、女性に加害しようとする(またはそれを傍観する)男性は非常に多く、私もいち女性として毎日気が気でない日々を過ごしています。
このような環境で、女性用トイレ・女性用更衣室・女性専用者は、絶対に必要で尊厳に関わる問題です。
例えば、まだ私は深夜に残業していても人気のない女子トイレを安心して使用できますが、仮に女子トイレとトランス(かもしれない)男性と遭遇してしまったら…考えるだけで恐ろしいです。何事もなかったとしても、私は二度と残業をしたくないと考えるでしょう。そして残業ができなくなった私は、また一つそうして仕事で男性と差を付けられるのです。「女は仕事ができない」だとか何とか言われるのです。
私は男性から加害されない・性的に扱われない人生を過ごしたいと考えています。
しかし圧倒的に男性より弱い体躯、年を取ればさらに弱くなるであろう筋力を持って、いつまで男性の暴力・性的暴力から逃れられるか、10代の頃から不安でたまりません。
将来仮に介護されるような境遇になったとしても、生まれながらの女性にしか介護をされたくないです(少なくとも脱衣・触れるような場面では)。
最後に、特例法について…。私は特例法は性同一性障害の方にとってなくてはならない救いの法なのだと考えていました(今でも考えています)しかし、性転換してでも女性に加害をしようとする男性やオートガイネフィリアの事例を知ってしまった今、このままにしておくのは女性の尊厳・生命に関わる問題だと考えます。
特例法については、元の性別がわかるような表記・身分証記載とすべきです。そうすれば、どうしても元々の性別が影響する医療の場でも絶対に役に立つはずですから(実際性転換・戸籍変更済みの方は、病院でどのタイミングで性転換したことを言うべきなのか、迷うことがあるようです)。
1-2. 無題(50代女性、さくら)
トランス自認女性(生物学的男性)は、自身が男社会の中で居心地が悪いからと、女性のエリアに逃亡しようとしているようにしか見えない。
男が男を差別して、男から排除しようとする圧力があるからこそ、世間的に男らしくないとされるタイプの男が、女に擬態して女のエリアに侵入して君臨したがっている。その暴力的かつ支配的な振る舞いこそが、皮肉なことにまことに男らしい。
この世間的に男らしくないとされる男が生きやすくなるには、男が男を差別するのを止める、排除せず、男の中で男の多様なバリエーションを認めればよいだけだ。これこそがジェンダー解体、ジェンダー解消、多様な生き方ではないか。
スカートを履いても、化粧をしても男は男。
トランス女性は男性です。
どう自認しても、生得的女性の安全圏に侵入する権利まではない。
女性女児の安全圏を侵すな。
男尊女卑が厳しいこの日本での少ない女性の社会的保護枠を奪うな。
1-3. 無題(50代女性、匿名希望)
LGBT運動推進側の姿勢はあまりにも硬直していると感じます。手段と目的が入れ替わっている。その結果の軋轢が、女性のみならずセクマイ当事者達にも生じたのが海外で顕著になり始めているのに何故そこに目を向けないのか。何故日本とキリスト教圏ではこれまでの社会的事情が違う事を軽視し強硬に海外で失敗したやり方に拘るのか。きちんと議論と検証を重ねて運動の方向性と指針を見直すべき時代はもう来ている筈なのにその妨げにしかなっていない。そこに強い不信感を感じています。
1-4. 女性保護法の立法が急務(30代女性、匿名希望)
タイトルのとおりですが、FtMを含めた生物学的女性の心身、尊厳、生存権の保護のための立法が急務だと考えています。
今まで(恐らく敢えて残されていた)グレーゾーン運用+女性専用スペースで女装男性に遭遇しても避難を優先せざるを得ない女性特有の事情により「問題がほとんど起きていない」がために
特例法利用による法的性別詐称男性を含むトランスジェンダー男性(トランス女性)が増長しているのは明らかです。
K氏、Y氏、S氏、I氏ら活動家のトランスジェンダー男性は女性スペースを我が物顔で侵略しており
多くの女性の尊厳や生存権が脅かされています。
(※注: 訴訟リスク回避のため、固有名詞をイニシャルに変更しました🙏 戸籍変更済みの性自認女性、出生時男性で性別適合手術済みの人物の名前が挙げられていました)
一刻も早く立法府に働きかける必要があると思います。
このままでは物理的or身体的弱者女性(障害者女性、幼年〜若年女性、心身に疾患のある女性、高齢女性など)を守ることも適いません。
特に幼い子ども達や若年女性は今まさに各地で洗脳教育を受けさせられており、女子トイレに女装男性が居ることをリスクと認識できなくなりつつあるものと思います。
生活のある市井の女達に出来ることは限られていますが、一刻も早く動かなければならないと考えています。
1-5. 無題(40代女性、匿名希望)
女装男が女子トイレで物色していて幼い娘が1人でトイレに入った時に個室に押し込まれる事態が怖いです。また更衣室で1人で使用している時に女装男が来て2人きりになった時は非常に怖いです。妊娠させられる性は1番守る必要があります。女子スペースに女装男が入ったら逮捕されるよう法律を作らなければいけないと常々強く思っています。
1-6. 同性愛には偏見無いけど性別というものは身体性のみです(30代女性、Sara)
元々トランス男性の出産→母という言葉を無くそう、に反感を持ってトランス問題を調べ始めました。
同性愛には元々何の偏見も無いし、同性婚も認められるべきだと思う。
だけど心の性別なんてものは無いし、人間は性転換出来ない。
ジェンダーは解体するべきだし、らしさの押し付けは消えるべきです。
昨今のトランスイデオロギーは女性差別/女性蔑視だと感じてるし、キャンセルカルチャーもアライによるヘイトも言論弾圧だし、最早カルトです。
科学的事実を述べることがヘイトだとは思わないし、女性が権利侵害を訴えて憤ることを「ヘイト」にされては堪らない。
そして同性愛や同性婚も、身体性が同性のみに適応されるべきだし、生殖医療や養子に関しては異性夫婦のみとされるべきだと思ってます。
精子卵子提供も代理出産も反対です。
なのでそれを抱き合わせるなら同性婚も反対です。
1-7. 女性スペースを守って!(30代女性、中途半端な人間)
医療従事者の一人として意見します。
女性スペースを守らなければ、例えば性自認女性の身体的男性が女性部屋に入る可能性まであります。私達医療従事者は、患者さんの生命、健康を守る義務があります。区別は必要です。でないと、医療の崩壊に繋がります。ましてや、トランス女性が産婦人科受診出来ないのは差別だなんて論外です。当たり前なんです。だって身体的男性なんですから、女性特有の疾患なんてある訳ないんです。
余りにも女性を軽んじている事に憤りを覚えます。
1-8. 無題(?歳、匿名希望)
とにかくあいつらは女性を物としか見ていないのが、本当に恐ろしいと思います。
今度は女性だけでなく、お年寄りや子供さえも人権は無いと言い出し、まさに社会の敵ですね。
1-9. 無題(10代女性、匿名希望)
正直世の中の風潮が恐ろしいです。特に私の周りの同級生はテレビのニュースしか見ていないのか、トランスジェンダーに好意的な人もいます。話を聞いてみると女性スペースの問題を知らない人ばかりが好意的です。メディアは今すぐトランスジェンダーの美化をやめるべきだと思っています。
1-10. おぼえがき(20代女性、大学生)
バイセクシュアルの女性です。昨今のLGBT運動において包括されていると感じることは殆どなく、また日本においてバイセクシュアルとして差別をされた経験は殆どありませんが、女性として(制度的なものからマイクロアグレッションのような"些細な"ものまで)差別された経験や性暴力を受けた経験は数えきれません。差別の実在を示す統計資料も枚挙にいとまがありません。LGBTのTを支える思想そのものも女性差別なくして成立しないと考えています。
なお、私は8年前まではFtM自認、その後はFtX自認でしたが、ここ5、6年ほどは性自認をもっていません(ちなみにADHDであり、ASD傾向があります)。70年代ごろの研究を読み漁っていても、性役割への適応度について思春期・青年期の女男で有意に差があること(日本)や、男性の性役割態度は女性と比べて社会に求められるものと比較的一致しているため葛藤の経験が乏しいこと(アメリカ)などが述べられています。これは私の経験や私の周囲の友人知人(主に女性)の経験を鑑みて大いに納得のいくところです。また、「シス」という侮辱的なワードを受け入れる人が男性に多く見受けられるように思える理由もこの辺りにあるのではないかと、漠然と考えています(男性は、女性である私個人の目で見える範囲において、例えば服装ひとつとってみてもあまりに多様さに欠けています)。このあたりの事情が、つまり男性の「社会の求める・つくりあげる性役割」への無菌状態がつくる「規範に対する違和」への免疫のなさが、「トランス女性(つまり男性)」がその在り方を強く発露していく現状を引き起こしているのではないかとも考えています。どこまでも、抑圧階級である男性の多様性のなさの問題なのではないかと。
それに、私の友人で「シス」と定義しうる人(女性)は一人もおらず、皆多様に柔軟に日々を生きています。
人間の性別は二つしかないこと及び決して変えられないことと、その事実に苦しむ人々の実在及びそのケアが現代における重要な課題であることとは、矛盾なく両立します。子どもたちまで巻き込み、考え続ける女性たちを簡単に「差別主義者」「ヘイター」とレッテル貼りできるこのカルト思想に、日々怒りと悔しさ、そしてやるせなさを感じています。また、特例法を含む「性別を変えられる」制度及び幻想は、統計という客観的な指標すら狂わせ、女性差別を見えづらくさせます。それを少数だからかまわないだろうと切り捨ててしまえるのもまた抑圧階級の男性の「特権」ですし、例えば実際に女性枠の公募で枠を得た男性2人がいるという事実には到底言葉では表しようのない怒りや絶望を抱きます。
「生きづらさ」を抱える人々や社会の現状にとって必要なのはある種の妄想(社会的につくられてしまうもので、こんな社会で生きていたら仕方のないことだと思います)を助長させることや言葉遊びでマイノリティ(女性や子ども)を弄ぶことではなく、「生きづらさ」へ真摯に誠実に向き合うことであると考えます。
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