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夏の思い出

2022年7月30、31日。


父母、私、日本在住の子供たち全員集合。
一泊2日の家族会。


大人になっている孫たちに、久々の再会を果たした私の両親は、「あなた誰?」状態。

孫がいっぱいで、長年、「マゴマゴしちゃう!」と言い続けた両親。

娘である私の行動は、親の理解をはるかに超えていた。
離婚、再婚、離婚の間に生まれてきた異父兄弟姉妹たち。それでも、母として、人として、悩んで、考えて、選んで今日まで、生きてきた人生。

後悔がないなんて、嘘になる。
変な宗教カルトに捕まって、それを正義だと思い込み、無知で未熟な、自分勝手な選択をして、教祖を名乗る人物の危うささえも見極められず、自分も周りも傷つけたこと数多く、自分が自分を許せずにいたり、人を恨んだり、親のせいにしたり、育った環境のせいにしたり、運命を呪ったことも多々あった。

愛というものが、どのような姿をしているのか?
私は、知らなかった。

そんな中で、生まれてきた子供たち。

離婚と脱退後、仕事で成功したら、過去の失敗も埋め合わせられると思って、がむしゃらに働いて成功できたら、母親として、失った信頼を取り戻せると思い込んだり、現実逃避したり、ボタンの掛け違いは、そもそものかけ違いに遡るしかない。
メチャクチャだった。
そのうち鬱になり、希死概念に取り憑かれて、身体も悲鳴を上げて、化学物質過敏症も発症。

癒しと回復を必要とした。

子供たちは、安心できる家庭をどんなに切望した事だろう。
でもそれを叶えてあげられず、母は、苦しみながら、悩みながら、もがきながら、一つ一つの人生の場面での選択をしてきた。

頼りになるのは、兄弟姉妹だった。
その兄弟姉妹さえも、私の選択によって引き裂いてしまうことになった。

過去を振り返り、これだけは言える。
複雑な家庭の人間関係の中、できる限りその時点での最善を選んできたのだ。

自分の心が、これ以上持たなくて、その場から逃げないと、自分が続かなかった過去の過酷な状態。
(ここに書くには、あまりにも複雑すぎるので、省略)

集まった息子、娘は計6人。
一人一人、年齢と名前と近況報告をしながら、父母は、成長して社会で生きている孫たちを嬉しそうに眺めている。こんな日が来るなんて、感無量。

一人一人が、サバイバーだ。

そして、みんな、大の仲良しだ。

長男が、父親と兄の役割をしっかり果たして、別荘を購入して、実現した家族会。
彼の家族を思いやる心は、ハンパない。
それを理解して、尊敬し、対等につながり合い、共鳴し合う弟や妹たち。
ここで家族の麗しい型が、できている。
この子たちを授かったことを、心の底から、感謝する。

リーダーシップは、仕えていく愛の姿をしている。
機能する家族には、良きリーダーシップが必要だ。

80代の両親、50代の私、30代、20代の子供たち。

3世代、9名が集まった居心地の良い、緑の多い、小鳥のさえずりが響く高原地帯の時空間。

バーベキュー、交流、笑い声、
ある程度、年齢がいったからこそ楽しめた、夜の人生ゲーム。

笑い声。

私が、一番複雑な感情を持て余していた。

自分は、母として失格者だと思っているから、みんなの中に入って楽しむことはできなかった。
ただただ、その光景を眺めて、安堵し喜ぶだけ。

親孝行ができる子供は幸せだと知っていても、感謝できる親でないと、それは難しい。強制できるものではない。

それでも自分自身の存在と人としての品性のために、孝行できる健全な心を持つ子供であってほしいと願う。

今回は、全員から、「産んでくれて、ありがとう」と言われた。

今までの全てが報われた。

長男、ありがとう。
次男、3男、次女、3女、4男、ありがとう。

ここまで信頼して見守ってくれた、父母の存在がありがたい。

一人一人の存在が、かけがえのない宝物だ。

同じ部屋に布団を敷いて川の字になって雑魚寝。
この懐かしい、嬉しい、暖かな、安心できる空間。

ー Healing Space   ー

ずっと、魂は、これを願っていた。

どうか、一人一人の人生が幸せでありますように。

それぞれにピッタリな、祝福された人生を健やかに、護られて、歩んで全うしていくことができますように。

自分も周りも、より良くなるために、命の光を燃やし続けて行けますように。

ずーっと、ずーっと、願ってきた。

笑いあり、涙あり。

人として、互いを思いやることから生まれる、

当たり前の安心感と喜びがここにあった。

青い鳥のストーリーを思い出した。


過去に向き合って、その時のトラウマとくっついてる未処理の感情をしっかり味わって、許して、昇華させてあげて、これから未来へと切り替えてあげる素晴らしい機会に恵まれたんだ❕

過去の事故のような状態で、傷ついた心と人生の癒しが、確実に進んでいる。

ここまで来るのに、どれくらいの愛のエネルギーが注がれて来た事だろう?
想像を絶する。

癒しのプロセスに与れる、魂は、幸いである。

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