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会津の旅


何年かかったであろうか、ようやく実現した糸さんとの会津行き。柔道仲間のきむさんも交えて。士道を歩む我らにとって、会津は思い入れの強い場所なのです。



8月31日


 私は車で一足先に会津入り。夜勤明けの身体に鞭打ち200キロ5時間ものロングドライブ。金が勿体ないので下道。R4をひたすら北上。宇都宮、日光を経て福島入りし、会津若松を目指す。運転は好きなので苦にならないが、長時間の運転で腰をやるのが怖いので、途中の南会津町にて宿をとる。すんげーど田舎。

まあ身体を休められればなんでもいい。それにこういう雰囲気も悪くない。とりあえずラーメンでも食いに行こう。時が止まったようなラーメン屋発見。何でもいいから腹ごしらえ。明日は糸さんらと合流して会津巡り。




9月1日

 晴天。良き日なり。美しき国、会津若松を目指す。いい朝だ。お気に入りのfavoriteソングを聴きながら。かぶってます


途中対向車がパッシングしてくる。車を転がす人はわかるでしょうが、対向車のパッシングは、この先ネズミ捕りやってるよ、という意味です。案の定やってやがった。ありがとうございます。ゴールドになったばかりでパクられたらテンションガタ落ちは必至。

会津若松に着く。が、糸さんたちが来るまで時間があるので、カフェにてくつろぐ。会津若松のカフェにて本日の相場確認。上げてるじゃねーか。下げると思って少し売ってたんだがまた損切りじゃねーか。


 お昼ころ糸さんらと合流。まずは、白虎隊自刃の地、飯盛山を目指す。


自刃の地は山の一角のけっこうせまいところ。残念ながら現在はいろんな建物の影で鶴ヶ城は見えませんが、当時はここから燃える鶴ヶ城が見えたわけです。(実際は燃えてない)私も当時の白虎隊士の心境になり鶴ヶ城方面を眺めてみました。



飯沼貞吉の墓。自刃した白虎隊20名唯一の生存者。後年彼が重い口を開いたことで、白虎隊の壮絶な自決が世の知るところとなったわけです。


 …戸ノ口堰洞穴見るのわすれた



 次に向かうは会津武家屋敷。会津藩の有名な家老、西郷頼母の屋敷を再現したもの。

 そう、日本人であれば何か感じるものがあるはず。歴史の知識はなくとも、日本人のDNAを、魂を揺さぶるものがあるはず。私のようなボンクラでも何かこう、シャキッとしてしまう何かがある。



余談だが、姿三四郎のモデル、西郷四郎は頼母の養子だそうです。



次に向かうは鶴ヶ城

天守閣まで登れます。中の展示物は当然撮影NGですが天守閣からの外の撮影はOK。絶景なりや。会津の街が一望の内です。小田山も見えました。小田山は自称官軍がアームストロング砲を設置した山で、そこから鶴ヶ城に連日雨のような砲弾を浴びせました。



9月2日


 この日は糸さんらとは別行動。私はどうしても古戦場跡が見たかったので。


1 母成峠



 白河、二本松を攻略した西軍は怒涛のごとく進軍し会津を目指しますが、猪苗代を経て会津に入るにはいくつかの道があり、会津は兵の配置の分散を余儀なくされます。会津は、西軍は御霊櫃から来ると予測してましたが、裏をかいて天険母成から攻め入ります。東軍は土方歳三や斎藤一、大鳥圭介率いる伝習隊が奮戦しますが兵力差は埋め難く敗退します


2 十六橋



母成峠を突破され、会津城下はもう目と鼻の先になります。そこで少しでも時間を稼ぐべく十六橋という橋を破壊して足止め工作をはかります。佐川官兵衛らが破壊工作に当たりましたが、西軍の動きが思いのほか速く、破壊工作も間に合わずここも突破されてしまいます。



3 戸ノ口原古戦場


 十六橋を突破され、ついに白虎隊が出陣。なんとか西軍を食い止めるべく戸ノ口原という地で激しい戦闘となります。映画白虎隊ではけっこう奮戦しているように描かれてますが、相手は京や江戸で散々にテロを行ってきた、歴戦の強者。三度の飯より殺戮が好きなおっさん相手に、年端もいかず実戦経験もない少年たちが敵うはずもありません。銃の性能も違い過ぎ、散々に蹴散らされたことは想像にかたくありません。




4 小田山


この距離でも届くのか


遂に会津城下に西軍がなだれ込む。薩長を中心とする西軍が会津で何を行ったかは、広く知られているところです。
 そして小田山という小高い山に、アームストロング砲を設置して鶴ヶ城を散々に砲撃し、遂に会津は降伏を余儀なくされます。





 以上、会津の旅でした。全走行距離約600キロ。総じて言えることはどの古戦場も訪れる人少なく、なんか寂しい感じがします。色々考えさせられることが多いです。
 また、古戦場自体が、特に何もないただの土地ですので、特に好きな武将や戦といった思い入れがなくその場所に感情移入できない人、形あるものを見たい人には行っても楽しめないでしょう。小田山もそこに歴史がなければただの岡だし、戸ノ口原もただの空き地です。糸さんにも行きましょう、と言いましたが、あまり乗り気ではなかったので1人で行きました。私的には、昔の戦に思いを馳せて感傷に浸りたかったので、1人の方がよかったのかもしれません。独りで黄昏てましたのでね。
 また外国人観光客も少ない。というか、ほぼいない。例の福島の件もあるのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、インバウンド収入は少ないだろうが、外国人観光客がいないことにより、静寂と安寧と、そして何より品位が保たれている気がします。そしてそれはインバウンド収入にも勝る、プライスレスでかけがえのない価値を会津にもたらしているといえる。そもそも観光立国などという発想自体、日本を切り売りするろくでもない愚策なのだが。



余談


そんなわけで、会津に移住するのもいいかもしれん。社会人経験枠で役所の採用でもないかと探していたところ、年齢、ギリギリアウトでした。


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