その人の名は祈(いのり)   その3祈の娘は Lavender's Blue が好き  (祈の本当の母)

8月6日朝、広島に原爆が落とされた音を私も母のお腹の中で聞いていました。母は広島が全滅らしいと聞くと、広島に嫁いだ小さいころから仲の良かった友人の静子が気がかりで伯母が止めるのもきかず、翌朝電車に乗って広島に向かいました。途中、広島からくる列車は大やけどやけがをした人で超満員でした。電車は広島まで行く前に運転中止となり、母はお腹の私に声をかけながら長い距離を歩いて市内へ向かいました。途中で避難してくる人の群れは悲惨でした。おお火傷で焼け残った衣服が身体にくっついていたり、ぼろきれのように焼けた皮膚を垂らして歩いたり、まるで幽霊が行列をなしているようでした。母は友の名前を叫びながら、嫁ぎ先の家を目指しました。見つけるまで何時間もかかりましたが、友の嫁ぎ先の家は全焼して跡形もありませんでした。友の姿を見つけることもできませんでした。母は翌日、伯母の家に戻りましたが、どうやって戻ったか全く覚えていませんでした。母が伯母に伝えたのは、「広島は地獄そのものだった」の一言でした。
 
8月15日敗戦となりましたが、母も伯母も伯父も誰も嘆いてはいませんでした。いつもと変わりなく、大勢の子供たちのために、食べるための農作業に勤しみ、将来のために読み書きそろばんの指導もしていました。母は子供たちがけんかをしているときは、強引に全員を集会室に集合させ、ピアノを弾いて歌を一緒に歌いました。歌ったのは戦時中には禁止されていた英語の歌でした。私が好きだったのは古いイギリスの歌 Lavender's Blue 
Lavender's blue, dilly, dilly, lavender's green,
When I am king, dilly, dilly, You shall be queen.
Who told you so, dilly, dilly, who told you so?
'Twas my own heart, dilly, dilly, that told me so. ・・・・
母のお腹の中で私も一緒に歌っていました。母はクリスチャンだったはずですが、なぜか讃美歌を歌うということはありませんでした。
 
10月のある日、伯母が母を集会室に呼んで二人きりの話をしました。伯母の話はとても驚くものでした。「母から頼まれていたことをあなたに伝えます。落ち着いて聞いてください。私は実は長姉ではなく、私に5歳年上の姉がいました。名前は文子(あやこ)です。あなたを産んだのはその姉です。私が16歳の時にあなたは生まれました。姉はあなたを産んだ直後に亡くなりました。姉は子供を産むにはとても身体が弱かったのですが、あなたを何としても生むと言って聞かなかったそうです。私はあなたの父親が誰か知りません。母はすべての事情を考えて、知り合いの医師に頼み込んで、あなたを自分が産んだものとして届けました。姉はあなたを抱くこともなく亡くなりました。とても残念だったと思います。私の話はそれだけですが、大丈夫ですか?」母はとても驚きましたが、落ち着いて伯母に尋ねました。「私の母はどんな人だったのですか?私を愛していたでしょうか?」「姉はとてもきれいなひとでした。」伯母は、数枚の写真を母に見せました。母によく似たとても美しい人でした。「私は見たことはないのですが、ある画家が姉の絵を描いたのを母が持っていましたが、空襲で焼けて残ってはいないと思います。姉はとても情熱的な人でした。どなたかと激しい恋をしたかもしれません。詩や短歌も作っていて、明星などに投稿していたと聞いています。」そして一冊のノートを母にわたしました。母はノートを見ながら伯母に聞きました。「そのある画家という方が私の父ということはありませんか?」「わかりません。その方はフランスに留学したと聞いていますが名前などは聞いておりません。」母の頭の中はグシャグシャニなっていました。伯母は次の言葉を言ってその場を去りました。「父と母と姉はあなたが生まれる数日前に相談して、あなたが幸せな人生を送れるようにと、男でも女でも名前を祈とすることにしました。姉があなたを愛していたのは間違いありません。」

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