ガダルカナルの鐘           ツィッターで綴った小説

1.
8月29日深夜。ぼろぼろの軍服を着たおおぜいのカオナシが踊り狂っている。
うつつか夢か、夢かうつつかの鐘ならし、ピンピンシャンシャンドンガラガ、ピンピンシャンシャンドンガラガ
「信夫起きろ。俺を呼んだろう。」カオナシが私を起こす。叔父か?
 
2.
踊りと賑やかな音は続いている。
「父親と同じだな。腑抜けた顔をしている。」父は25年前に10歳年下の叔父の所に行った。叔父の写真がないので、顔は知らないが戦死したのは24歳の時。軍刀を差した小隊長として。「あの軍刀は俺のではない。分隊長の奴が自分のなまくらと・・・
 
3.
「軍刀はどうでもいいか。えらい奴は後方で部下が全員死ぬのを見ていた。そして俺の軍刀を下げて、勇敢に戦って死んだと報告した。たいしたもんだ。敵がどこにいるかわからないのに突撃を命令され、進軍したとたん機関銃などで十字砲火され全滅さ。これが知りたかったんだろ。」
 
4.
「本当に健人叔父さんですか?」父から戦死した叔父が出るとは聞いたことがあるが、それから25年たって自分に出るとは。さてどう接するか? 高校生の頃叔母から聞いていた話を思い出した。叔父は十二歳の頃から、ヴァイオリン製作をするためにイタリア語の勉強をしていた。
 
5.
裏板を2枚の板を張り合わせて作った、ヴァイオリンの接着はがれの修理をして、元通りの響きとなるのを弾いて確認していたことも聞いた。叔母は叔父の1歳下で叔父とは双子のように育ったと言っていた。「なんで軍人になったのでしょうね。わかる気もするけど」と言っていた。
 
6.
「叔父さんはヴァイオリン製作者になるのが望みだったのでは?軍人ではなくて」叔父の表情はカオナシで分からないが、予想しなかったことを聞かれたということが感じられた。「ヴァイオリン弾きになろうとは思っていた。智子はピアノで二人で音楽の勉強をするつもりだった。」
 
7.
「音楽は好きか?」僕は何もしないけど、庄司沙矢香のヴァイオリンの響きが好きで何度も演奏会に足を運んでいると伝えた。「響きか。子供の時に父の出す音を聴いて、どうしてこんなに違うのか考えた。よく見たら、ヴァイオリンの裏板の膠の接着が駄目になっているのに気付いた」
 
8.
「ヴァイオリンの二枚の裏板を接着していた膠が、何故はがれたかわかるか? 板厚やニスの塗りの不均等などために、音を出すと振動してはいけない膠が振動してはがれた。当然響きも良くない。それで自分で修理したいと思って、イタリアの本を読んで調べた。面白かったよ。」
 
9.
「陸士に入った時に音楽は捨てた。戦場に音楽はないと思っていたが、葉っぱで笛を作って吹く10歳以上年上の部下がいた。ブラームスのレコードを聴いていたら、特高に睨まれて送り込まれたと言っていた。踊りながら歌っているあの歌も彼が持ち込んだ。どこにでも歌はある。」
 
10.
「信夫に頼みがある。俺たちを風の盆に連れってくれ。」今日9月1日から3日間行われるのは知っているが、どこでやっているかも知らない。「カオナシの皆さんを連れて出歩いたら大騒ぎになります。今からでは切符もかえないから無理です。無茶です。」「俺たちには顔がないのか?」
 
11.
「俺たちの顔が見えない?」「皆さん顔がありません。顔のない人たちを連れて歩くなどできません。」「信夫が行けばそれでいい。俺たちはお前のいるところにいる。しかしなぜ顔がない?お前の父親は俺を見てもそんなことは言わなかったぞ。兄は風の盆に連れて行くと言った。」
 
12.
「風の盆では夜通しで歌い踊ると聞いている。それに合わせて俺たちも夜通しピンピンシャンシャンドンガラガと歌って踊る。それがみんなの願いなんだ。」「皆さんは私の言っていることを聞いているのですか?」「聞いている。兄が連れて行くといったから、約束を守ってくれ。」
 
13.
とにかく行くことはできないので、テレビ放映されている風の盆を見せた。しかし、彼らはテレビ画面の映像を認識することはできなかった。彼らの歌や踊りは相変わらず続いていた。「残念だな、今回はあきらめて帰る。」今回はあきらめると言うことは次があるということか?
 
14.
「まだ聞きたいことがあります。叔父さんは、父と私以外の人とは話さないのですか?」「後から上陸した同期が一人。俺は反転攻勢を狙って最初に死んだから、飢えることはなかったが、後から来た連中はひどかったよ。武器が不足しているなんてもんではない。敵は飢えだった。」
 
15.
「彼の聞きたいことはわかっていた。問われる前に言った。『鬼になるな。虫でも草でも食って生き延びろ。それでもだめなら、白旗を作って降参しろ。お前らが勝てる公算は万に一つもない。俺は靖国でお前を待つつもりはない。』彼は涙を流しながら笑って、最後の突撃をした。」
 
16.
叔父はクリスチャンだから靖国に行くことはない。「それは違う。国も靖国も人間が作った幻想だ。幻想を守ると言う愚かなことで戦争をする。キリスト教などの宗教も同じ。自分のすることを正当化するために考え出したものだ。人を殺しても救われることはない。俺は救われてはいない。」
 
17.
「なぜ軍人になったと聞いていたな。単純なことだった。自分の国を信じていた。キリストの教えを信じていた。中国やアジアのために大東亜共栄圏を築かなければならないと信じていた。だから軍人になった。しかし、フィリピンやシンガポールなどで俺がしたことは違っていた。」
 
18.
「国のため、家族のために戦うという気持ちはあった。しかし、戦争であろうとなかろうと、人の命を奪うということの意味をしっかりと考えることができていなかった。ガダルカナルで自分と仲間がなすこともなく殺されてしまうという結末を、全く想像できなかったわけではないが」
 
19.
「陸士に入って軍人になっていなくても、一兵卒としてガダルカナルで死ぬことにいなっていたかもしれない。」他のカオナシがいなくなっていた。ピンピンシャンシャンドンガラガの音も消えていた。「俺も帰らないと。信夫はまだ死ぬなよ。死んだら俺を呼ぶ人間がいなくなる。」
 
20.
日が昇っていた。夢ではないという確信があった。聞きそびれたこともたくさんあった。叔父はいまどういう精神状態にあるのだろうか?風の盆以外に何か希望を持っているのだろうか? 父には兄弟姉妹が10人いたらしいが、健人叔父を入れてもそのうちの5人しか会っていない。
 
21.
父のことも良く知らない。祖父はどんな人だったのか?家族は祖母以外全員クリスチャンで、ピアノやヴァイオリンの西洋音楽をしていたが、祖母一人が曹洞宗徒で数十人も弟子がいる琴の師匠だったのは知っている。いったいどうゆう生活をしていたのだろうか。叔父をまた呼ぶか?
 
22.
昭和初期には、アメリカ人の宣教師が同居していた時もあったと智子叔母から聞いた。叔母は宣教師とは英語でしか話さなかったと言っていた。そして敗戦後にその宣教師の紹介でGHQオフィスに通訳として勤めた。叔母は数年後米軍将校と結婚してアメリカ南部へ向かうことになった。
 
23.
叔父は叔母からは呼ばれてはいなかったのだろうか?叔母は結婚相手がかつて奴隷を多く抱えた大プランテーションを保有する南部の大富豪の跡継ぎであることを、アメリカで初めて知った。そして彼の一族は跡継ぎに白人でない敵国の血が入ることを許さず、結局離婚させられた。
 
24.
20代半ばで戦死するということはどう考えればいいのか。ウクライナでロシアと戦っている若い兵士は死にたくないだろうと思う。しかし、すでにおおぜいが亡くなっている。侵略側のロシア兵はどういうつもりで戦場にいるのだろう。叔母のことも含めて叔父とまた話をしたくなった。
 
25.
何度も叔父の夢をみたが、あの時のようには叔父は現れなかった。いつのまにか叔父のことを考えなくなったころ、40年来の友人だったアルメニア出身のアメリカ人が亡くなったと連絡があった。春には彼のボストン郊外の家の庭一面にアネモネが咲き誇っていたのが印象に残っている。
 
26.
現代のアルメニア人にとって、生きることは戦うこと同義だと彼は言っていた。アネモネ(Wind flower)は春が終わると風に散るように枯れてしまうが、地面の下で球根が辛抱強く生き残り、また春に美しい花を咲かせる。アネモネはアルメニア人そのものだと彼は言っていた。
 
27.
アゼルバイジャンとの間の紛争はまだ終わっていない。ロシアとトルコとの関係も難しく、彼は国の外から戦争という血を直接流す手段ではなく、アルメニアにとって利となるような活動をしていた。武器を持っての力では勝てないとも言っていた。彼は武器を持たない兵士だったのか?
 
28.
アルメニア人(アメリカ人とは言わなかった)の彼は、アルメリアの歴史、人々、生活、信じていることそしてアルメニアの未来について穏やかな声で私に話した。彼には希望があった。ただ、一度もトルコ、アゼルバイジャンそしてロシアとの未来の関係について語ることはなかった。
 
29.
紛争はなくならない。国の違い、民族の問題、宗教の問題など紛争の種が消えることはない。人が地球上に現れて以来、知能というものを獲得し、他の生物より自分を上位にあると位置づけて以来、人間は力でほかの者の上に立つという歴史を繰り広げてきた。その結果が戦争である。
 
30.
人が一人も死なない、負傷もしない戦争というものはあるのだろうか?多分持っているものの違いで勝負が決まるのだろう。核兵器を持っているから、金を大量に持っているから、強い相撲取りがいるから?負けた方は勝った方のいいなりになる。新彊ウイグルやチベットなどはそうだ。
 
31.
「信夫いい加減に目を覚ませ。何日寝ているのだ。」とりとめもないことに頭を占領されているうちに寝ていた。どれくらいの寝ていたのか、叔父は笑っている。「アルメニアに行ったことはあるのか?行かなければわからないことはたくさんある。特に隣の国との付き合いについては」
 
32.
「アルメニアへ行ったことがあるのですか?」「行ったことはない。アルメニアのことは、家に下宿していたアルメニア人の宣教師から少し教えてもらった。アルメニアには独自のキリスト教があるが、彼は何故かそれとは違う長老教会に属していた。彼は大虐殺の生き残りだった。」
 
33.
「アルメニアはソビエトの一部で彼はソビエトに期待していて、いつか国に戻れると思っていた。」「ソビエト連邦が今はないことを知っていますか?ロシアに戻って、ウクライナに対して侵略戦争をしています。80年という時間はとても長く、世の中は大きくかわっています。」
 
34.
「時間が何であるのかよくわからない。我々にとって死んでから、1秒も過ぎていないようにも、既に何世紀も過ぎているようにも思えるのだ。信夫に呼ばれてすぐこなかったのは理由がある。部下の一人が妹に呼ばれて、満州の妹の元に行った。それ以来彼は死にたいと言い始めた。」
 
35.
「彼が何を見てきたかはわからない。ただ彼は死んで妹の所にいきたいと言うのだ。彼の様子を見てほかの連中が動揺しだした。みんな家族に会いたいのだ。死んだら靖国にいくと言われてきたが、そんなところには行きたくないのだ。一緒に死んだ我々はまだ死んだ場所にいる。」
 
36.
「ところが、二人だけどこかへ行ったものがいる。二人とも、島に高い山がありその中腹で鐘の音を聞いたと言ってから、しばらくして姿を消した。鐘を見つければどこかに行けるとみんなは思い始めている。どうしたら鐘の音を聞くことができるか?そもそもどこに山があるのか?」
 
37.
ガダルカナルには島の中央にポポナマセウという2000m級の山がある。だが、山はたくさんある。「山の上方からアメリカ軍に射撃されたから、山に登ろうとは誰も思はなかったが、山を探索するしかないかという話になっている。」「みなさんは三途の川はわたっていないのですか?」
 
38.
「ほかの連中は知らないが、俺はクリスチャンなので関係ない。」
「今度は何を聞きたいのだ?」「智子叔母さんからは呼ばれないのですか?」「それらしきことはあったが、見たこともない大きな建物の中に、智子らしい人がいたが、髪型や服装、それに言葉も全く違っていた。」
 
39.
叔母は離婚して幸せではなかったが、現地で仕事を開拓して友人もたくさんでき、決して孤立はしていなかった。だが寂しかったはずだ。私の父への手紙はまれだったが、戦死した叔父には住所がなく投函しない手紙をたくさん書いていた。そのいくつかを30年前に見せてもらった。
 
40.
叔父には愛した人がいた。幼馴染で智子叔母の親友だったが、父親が決めた結婚のために二人は会えなくなり、しばらくして叔父は陸士に入学を決めた。叔父が戦場へ向かった頃、彼女は親に抵抗して結婚を断った。そして叔父を待つことに決めた、ということを書いた一文もあった。
 
41.
アメリカという国が外向けに見せている顔と実態がいかにかけ離れているかを、事細かに書いた文もあった。人種差別がないと言いながら、見えるものだけでなく、見えない差別がはびこっていること。叔母が日常感じたこと見たことを日記のように叔父への手紙として綴っていた。
 
42.
特に多かったのは日本の将来の事で、友人が多かったインディアンに模して書いていた。インディアンは圧倒的な力で白人に負け土地を奪われ、後に政府は自立のために居留地を定め優遇政策をとったが、結果は優遇とは全く逆であった。叔母は、日本が独立を保てないと思っていた。
 
43.
叔母の好きな言葉は「死は存在しない。世界が変わるだけ。」インディアンの言葉である。だから、叔父にたくさん手紙を書いていたのかもしれない。叔父は受け取ったのだろうか? 聞いてみると、「世界が変わるだけかもしれないが、残念だが、我々の世界に郵便配達人はいない。」
 
44.
「陸軍での厳しく理不尽な訓練で、死の軽さを徹底的に叩き込まれた。自分の死も殺した相手の死も軽い。蟻を踏みつけるようなものだ。その後に別の世界がありようもないはずが、俺たちは死んだところで彷徨っている。そこが意味のあるところなのか、何かの罰なのかわからない。」
 
45.
「智子とは話はできなかった。これからもないだろう。
俺たちはいま彷徨っているところからどうやって抜け出すかで頭を悩ませている。しばらく、いろいろなことを試してみることになるだろう。みんな天国か極楽に行きたいと思っている。俺も天国の存在を信じ始めている。」
 
46.
「叔父さんはAI、人口頭脳を知っていますか?AIは人と同じように物事を経験し、学習して消えることのない知識を蓄える機械です。そのうちAIは人の能力を超えると思われていて、感情や魂も人と同じようにAIに宿るかもしれません。でも、AIは壊れたらただのガラクタになります。
 
47.
「壊れると言うのは死ぬのと同じかもしれません。死んだら別の世界に行くのではなく、バラバラにして使えるところを使い、作り直してまたAIにするかごみとして捨てます。」「人間も作り直されるか、ゴミになるというのか。」「私は別の世界、あの世というものは信じません。」
 
48.
「聖書の物語は物語に過ぎません。138億年前に宇宙が誕生し、超新星が爆発して元素が作られ、その組み合わせで生命が誕生し、人も生命のほんの一部の存在です。あの世も、別の世界も極楽浄土も地獄もみんな、人間の頭脳が作り出したものです。これが現在の科学の理解です。」
 
49.
「俺たちは星から出来たというのか?魂や霊魂を俺は信じるが、それも星から作られたというのか?俺たちのような存在は何なのだ?」「ひょっとすると、私の妄想にすぎないのかもしれません。叔父さんと話をしたいという思いで・・・」「俺は妄想か?だが俺は実在している。」
 
50.
私はずっと夢を見ているだけかもしれないという考えが、突然浮かんできた。写真を見たこともないからどんな顔をしているかも知らない。それでカオナシなのかもしれない。「妄想でもなんでもいい、信夫に考えてほしいことがある。俺たちが鐘の音を聞けるようにしてほしい。」
 
51.
「鐘の音を聞いたら、何かが変わるかもしれない。地獄に落とされるかもしれない。そうなら死んだときにそれは決まったことだと納得する。ずっとガダルカナルで死んだときの状態を続けるのはどういうことかと、考えてもわからない。島に鐘を持ってくるのも方策かもしれない。」
 
52.
「島には、島の人によるものと、日本からものを入れて色々な形の石の慰霊碑がある。中には鐘が置かれているところもある。子供たちがいたずらで鳴らしていたが、あまり良い音でもなく、我々には何も起きなかった。俺たちが聞くべき鐘の音は、山の中腹で響く鐘の音だと思う。」
 
53.
叔父の声が次第に遠くなり、うつつか夢か、夢かうつつかの鐘ならし、ピンピンシャンシャンドンガラガ、ピンピンシャンシャンドンガラガと歌い踊るカオナシたちも遠くなった。叔父とは話せても、他のカオナシとは全く接点を持てていなかった。来年は風の盆に行ってみるか・・・
 
54.
風の盆も素朴さが薄れて、観光客でにぎわうお祭りになってしまったようだが、カオナシたちが姿を見せて、歌い踊ったらどうなるだろう? 風の盆で本当に彼らを迎え送ることができるかもしれない。彼らの姿が私以外のものにも見えるようにするには、どうすればいいのだろうか?
 
55.
叔父の夢を見ることもなくなった頃、叔母の息子という人物が訪ねてきた。「母が数か月前に病死し、遺品を整理したら大量の手紙が出てきました。遺言状には財産のすべてを先住民へ、手紙をあなたへ残すとありました。あなたが了解すればお持ちします。不要であれば焼却します。」
 
56.
「手紙はどのようなものですか?」「すべて同じ人向けに書かれたものです。封筒に入れたものもあれば、便箋だけのものもあります。全て最後に書いた日付が書かれています。」健人叔父宛てに書いたものだと分かっていた。叔母から亡くなった後に処分するように頼まれていた。
 
57.
「私は叔母から子供はいないと聞かされていました。」「私は10年前までは母に捨てられたと思っていました。」彼の話によると、叔母はアメリカにわたってすぐに夫の家族から離婚をするように迫られ、そして最初の子供を身ごもった時に、子供をあきらめるように強くせまられた。
 
58.
精神的に追い詰められてついに流産してしまい、叔母夫婦は夫の一族と一緒に住むのは無理と判断して、実家の豪邸を出て、だいぶ離れた町に小さな家を建て移り住んだ。1年ほど経って落ち着いたころ、夫の父親が急死し事態は一変した。夫に後継者としての責任が生じたためである。
 
59.
夫は実家に戻って以来、叔母に連絡をしなくなり、代わりに夫の代理人の弁護士が離婚の手続きのためにやってきた。住んでいる家と相応の額を条件に離婚しろというのであった。叔母は夫に知らせていなかったが新たな子供を身ごもっており、そのことをしっかり考える必要があった。
 
60.
離婚する、しないで争っていると、妊娠を知られてしまい、またどのような嫌がらせをされるかわからない。そのため、二度と夫と夫の家族と会わないことを条件に離婚に同意した。そして生まれた長男にケントという名前を付けた。ケントが生まれたことは別れた夫に伝えなかった。
 
61.
ケントが5歳になるまで何事もなく過ぎた。しかし、叔母が子供と住んでいることを夫の代理人に知られ、認知を要求するか聞かれた。そのようなつもりは全くないと返事していたが、再婚した元夫の妻が病弱なこともあり子供ができないため、ケントを跡取りとすると言ってきた。
 
62.
叔母は拒否したが、訴訟を起こされケントをとられてしまい、ケントと会うことも禁止されてしまった。夫の一族には弁護士だけでなく、判事も検事もいてアメリカの訴訟にうとい叔母には対抗する手段がなかった。夫の一族はケントに対し、母親がケントを捨てたと言い聞かせてきた。
 
63.
「ケントという名前は、日本語では‘健人’と書くのではないかな?」彼は自分の名前の由来を知らなかった。叔母はケントを取り返すために猛勉強をした。英語の強化のために、膨大なブリタニカを頭からすべて記憶した。大学へも通った。叔父への手紙には日々の努力が綴られていた。
 
64.
叔母が弁護士の資格を取った時には、ケントはすでに16歳になっていた。ケントは実母が自分を捨てたと言われてきたため複雑な感情を抱いていたが、決して忘れてはいなかった。母が弁護士となり、先住民や黒人のために働いていることも知っていた。しかし会うことはなかった。
 
65.
自分が父の一族に引き取られた本当のいきさつを、父の弁護士から知らされた時には、ケントはすでに30歳を過ぎていた。それから5年たってケントは叔母を訪ねた。私が伯母に最後に会ってから2年が過ぎたころである。ケントも弁護士となっており、その後は叔母のサポートもした。
 
66.
ケントは叔母を家に呼ぶことはなかったが、自分の妻と子供たちと一緒に叔母の所へ頻繁に訪れた。叔母は孤独を愛していたが、家族に囲まれた晩年は幸せだっただろう。「僕たちは従兄どうしということになるね。手紙はすべて読みましたか?」「私が生まれたころなど一部は。」
 
67.
「日本語の勉強は難しくて挫折しました。一部を読むのがやっとでした。」「私はすべて読むつもりです。あなたに話すべきことに思い当ったら、ケントさんの所に行きます。黙っていた方がいいと思ったら黙っています。多分膨大な量だと思いますがすべて引き取らせてください。」
 
68.
叔母の孤独が紙の端々から届く。孤独を受け止めるのは叔父。幼いころから叔母と野山で遊び、モーツアルトのソナタを奏でた叔父は、叔母のこころの中で生き続けている。これを私が読む意味を考える。私のことも書いてある。どういう表情をして、どういう生き方をしているかを。
 
69.
叔父と叔母が幸福な時を過ごした小さな町が何度も出てくる。瀬戸内の刻一刻と変えていく光の情景と、波音の調べが私の胸に響く。まるで二人と同じ時間を過ごしたかのような錯覚を抱いた。別れた夫の一族のことはあまり書かれていない。息子を失ったいきさつだけ書いていた。
 
70.
カオナシの叔父は、やはり私の夢だったのだろう。あれ以来現れていない。
叔母の手紙から叔父の顔を思い描くことができる。叔父がどんな人であったか叔母の手紙が語ってくれた。叔父のことを知りたいと思っていたのであのような不思議な夢をみたのだろう。多分、もう叔父の夢を見ることはないだろう。
 
71.
やるべき宿題ができてしまった。風の盆にでかけること。ガダルカナルの山に登ること。手紙を全部読むこと。まだ段ボール5箱分ある。英語で叔父と叔母の子供時代のことを書き、ケントと彼の子供たちに残すこと。叔父と叔母のことを知っている人が一人でも多いことを願って。
 
72.
ガダルカナルの強い日差しが私を迎えた。叔父の属した支隊が全滅したイル川は小さな川だった。暑いだけで、狭く長い砂浜が続き、低い植生ばかりで大きな木はない。叔父の小隊が展開した河口は、高台から丸見えだったと思われる。遮るものが何もない中を突撃した結果は明らかだ。
 
73.
私は登山の経験が少ないので2000m級の山は避けて、少し低い山の尾根伝いに歩くことにした。日射を完全に遮る熱帯雨林の濃い植生がしばらく長く続いた。足元は腐葉土が厚くつもり、一足進むごとに靴が沈み込む。ゆっくり進むうちに、あちこちの腐葉土が沈みこむのに気付いた。
 
74.
おおぜいの人と一緒に歩いているような感覚が襲ってきた。あの歌声が聞こえてきた。≪うつつか夢か、夢かうつつかの鐘ならし、ピンピンシャンシャンドンガラガ、ピンピンシャンシャンドンガラガ・・・≫姿は見えない。しかし足跡は明らかにたくさんある。カオナシも歩いている。
 
75.
やがて、目の前が開けて尾根沿いに歩いた。誰かに急かされているように、飛ぶように道を作りながら進んだ。そしてカオナシたちが、銃撃や砲弾を受けてボロボロになった軍服のまま姿を現した。カオナシではなくなっていた。歩いている一人一人の顔の表情もはっきり見える。
 
76.
思わず叔父を探したが、叔父がどのような顔をしているか思い出せない。叔母の手紙の文章を一つ一つ声に出しながら叔父の顔を心に描いていると、急に彼らの歩みが止まった。そして彼らの表情が明るくなったと思ったら、みんな姿を消していた。どこかで 遠くで、明るい鐘の音がひびいていた。
 
77.
しばらくその場を動かず静かに待ったが、彼らが再び姿を見せることはなかった。尾根を下りながら考える。彼らはここを去ったのか?もう私の前に姿を現すことはないのか?鐘の音はまだ聞こえる。どこから聞こえてくるのか? やがて麓に辿り着くころには、鐘の音は消えていた。
 
78.
地球には生命があふれている。人はそのほんの一部に過ぎないが、その‘ひと一人’の生と死はほかの者とは同一視できない、譲れない一人のものである。顔を取り戻したカオナシたちが教えてくれた。
兵士として個人を消して生き、そして死んだ彼らには家族があり、愛する人がいる。
 
79.
私の記憶の便箋に文字を書き記していった人たちが、次から次に現れる。父と母は遠慮気味に私を見ている。ヘビースモーカの兄が煙草をふかしながら、画いていた70年ほど前の小学校へ続く麦畑を見せて、覚えているかと聞く。高校生の時に付き合っていた彼女が獄中で、叫んでいる。
 
80.
『お前は冷たい!』と言い切った友が追いかける。
会ったことのない祖父の記憶はいくつもの姿を見せて混乱する。祖母は相変わらず、‘おてもやん’を歌いながら振りをつけて踊らせようとする。叔母と会った時間は20日間ほどしかないが、記憶のページは分厚く、まだ増え続けている。
 
81.
叔父が見せた戦争の記憶に、姿を現した叔父の戦友たちの記憶が重なる。ガダルカナルのうだるような暑さと鐘の音が、今年の夏をいつまでも終わらせない。半世紀以上経つのに戦争は絶えることがない。地球に人間がいたという記憶が、どこにも存在しなくなる時が近いのかもしれない。
 
82.
井田川沿いにゆっくり歩いて、八尾大橋に着いた頃には夜の9時を過ぎていた。町流しの胡弓と三味線の音に向かって歩く。人が多すぎて、深編笠の踊りの列に近づくのは容易ではない。人波を避けて寺の境内に入り遠くの囃子の音を聞きながら、叔父が来ていないか耳を澄ます。
 
83.
12時を過ぎたころに境内を離れる。まだ残っている町流しへ向かう。哀愁を帯びた胡弓を伴奏に、カオナシたちの歌を口ずさみながら踊る。おおぜいの兵士が一緒に歌って踊っている。夜が明けるころまで踊り続ける。明るくなるにつれて、兵士たちが順に西の空へ去っていく。
(了)

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