ヴァージニア・ウルフ著      『自分だけの部屋』   を読みながら        『わたしのペンは鳥の翼』          『十六夜橋』『椿の海の記』石牟礼道子 『掃除譜のための手引書』       ルシア・ベルリン    を読む  

最所に本文を書いている私は男性である。
 
ヴァージニア・ウルフは1928年10月ケンブリッジ大学のニューナム女子学寮とガートン女子学寮の女子学生から、『女性と小説について』の講演を依頼された。彼女は二日間考えたあげく、このテーマで何か述べるとすると、“女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たねばならない”ということを述べることしかできないという結論に至り、『自分だけの部屋』というタイトルで話をした。と言えば簡単に講演が済んだかというと、そういうことはなく、講演の草稿は170頁に及ぶ膨大で緻密なものであった。この結論はある意味事実であったかもしれないが、どんなに優れた才能と可能性があっても、こういわざるを得ないほど女性が文学をするということが当たり前ではなかった時代があったということである。そして、1928年の若い女性に向かって、どんなに大変でも本を書きなさい、そうすることで将来の女性につなげることになると呼びかけて終わっている。
 
彼女が生まれた1882年という年は、女性が自分でお金を稼ぐことが許され、そのお金を自分のものにできるということを可能とする法律(既婚女性財産法)がイギリスで制定された年である。それまでは外に出て働きお金を稼ぐことは許されず、なんとか稼いでもその金は自分のものにできず、夫のものとなった時代である。女は子供を産み、育て、夫に仕えることをもっぱらとするものとして扱われていた。未婚の女性は結婚相手を親に決められ逆らうことは許されなかった。当然のことながら書斎のような自分だけの部屋はなく、食卓テーブルで編み物をしたりするのがやっとで、そこで詩を書こうものなら、夫や父親から怒鳴られ殴られるのが一般的であった。そうした中で、ジェーン・オースティンやエミリー・ブロンテが優れた作品を書いているが(一緒に紫式部と紀元前のギリシャのサッフォーをあげている)、彼女たちは創始者であると同時に継承者であり、女性が自然にものを書く習慣を持つようになったからこそ存在した人であることを彼女は述べている。その意味でも、多くの女性が書くことをつないでいくことが大切さを述べたと思う。
 
2023年タリバン支配のアフガニスタンで女性が詩を書き、小説を書くことがどういうことか考えてしまう。女子教育が禁止され、働くことも許されず、人権も認められていない中で書くと言うことがどれほど大変なことであろうか。(10月にあった地震で多数の死者がでたが、男性がいない家族は援助を受けることができない。「女性だから、外に出て支援を受け取ることもできない。何が必要なのか、誰もテントまで来て調べてくれない」これが現状)そうした中で書くことを続けている女性たちがいる。MY PEN IS THE WING OF A BIRD『わたしのペンは鳥の翼』で18人女性作家が殺されるかもしれないリスクをおかして短編小説を書いている。書きたいと言う切実な思い、書くことの喜びが伝わってくる。彼女たちはどのようにして書いたのだろうか?自分だけの部屋などは当然ないだろう。ただ物語は私の母や叔母たちの戦前からの生きざまと重なるところがある。
 
石牟礼道子は重い作家として読むことを避けてきたが、何の気なしに手に取った『十六夜橋』に取りつかれてしまった。このような豊かな物語を綴る人であることを発見して、避けていた苦海浄土も読まねばならないと強く思った。優れた小説は多数読んできたつもりだが、この本は私に読むのに長い時間を要求し、かけた時間以上に心に余韻を残している。天草や水俣の言葉で物語が綴られ、声や音を聴き、においを嗅ぎ、情景が3次元的に浮かんでくる。ゆっくりと時間が流れ、私の読む速さもそれに合わせてゆっくり進んだ。この人はどのような環境で書いていたのか気になった。短歌は幼いころから書いていたようで、それが血となり肉となっていったのだろうが、苦海浄土を書き始めた時には40近くになっていた。余裕のある生活ではなく、当然自分だけの部屋もなく、食卓テーブルの片隅で書いていたようである。彼女の幼いころの心を病んだと言われるおもかさまとの交感が石牟礼道子を産んだと思われる。どんなに困難な環境でも書くと言うことが必然であった。
 
ルシア・ベルリンは岸本佐知子が訳さなければ読まなかった。読んでびっくり。『掃除婦のための手引書』でルシアは様々な場所に現れる。彼女の生涯が色濃く反映されているとしたら、どのような一生だったのだろうかと思わざるを得ない。とても面白い物語群だとしか言いようがない。彼女の物語は詩でもある。彼女の生涯はどのようなものだったのだろうか?彼女は何故書いたのだろうかと思いいたる。何度も読んでいる。何度読んでも面白い。彼女は自分だけの部屋を持っていたのだろうか?
 
また、石牟礼道子に戻る。彼女の幼児体験を昇華させた『椿の海の記』を読んでいる。池澤夏樹は、石牟礼道子は近代工業社会とその前の農民・漁民の世界、そして世の初めからその外にある異界にあって、彼女自身が異界に属する者であることを産まれて間もなく知って、孤立感の中に生きてきたと言う。そして、人が(とりわけ疎外されているもの、奪われているものが)こころの中で言っていることを文字にしてきた。これは石牟礼自身が渡辺京二に言っている。おもかさまと道子はほかの大人たちと同じ世界にいるようでいない。これは彼女の自伝ではない。不思議な物語である。まだ当分読み終わりそうにない。引き込まれるが、私は彼女の世界の外にいる。


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