おれの歌詞のせいでバンドが売れないのでは

おはようございます。(午前3時)
今日はいつもより原稿用紙1枚くらい長いです。

最近自分のバンドが売れない原因は自分の歌詞にあるのではないかと思うことがある。

おれは断じてパンクロッカーではない。パンクロッカーの知り合いはいても自分はそうではない。今の世の中「一周回って」と言う話をよく聞くが、音楽界でもわりかしこれはあるのでは?

パンクとは言わないまでもライブには有り余るほどの情熱とそれを映し出す肉体的ディスプレイ、そしてそのディスプレイに映されて最大限「映える」力強い歌詞が流行なのではないか、と日々感じながらライブをしている。

はっきり言ってそう言うバンドは良い。ライブ感みたいなもの(何なのかはよくわからん)があるし、心に直接語りかけてくる、暑苦しさとそれにくるまった優しさみたいなものを感じられる。かつて初めて買ったバンプのbutterflyに付いてきたライブビデオは、あまりに原曲に忠実すぎて、、?となった。つまりおれの心にもパンクロッカーの卵が住み着いている。

だが自分でやるとなれば話は別だ。

別なのだ。

恥ずかしい。

僕にしてみればこれらの言葉は想像の放棄に近い。例えば歌の中なら「あなたが好き」とか「一生一緒にいよう」とか、歯が浮いて歯茎が痒くなりそうな歌詞も違和感なく収まる。この違和感のなさが、これらの楽曲に対する個人的な違和感の正体だと思っている。

卒業ソングを作りたいとする。おれは絶対に、「卒業おめでとう」とかそういう歌詞は入れない。そんなもんを入れるくらいなら全部ほっぽらかして先生にスピーチをさせた方が何千倍も良い。

音楽っていうのは聴き手に想像をさせる余地がある。誰かが作って、僕らが受け取るのは二次的情報となる。そこをペラッペラの一枚にするか、たっくさん重ねてしまうかは個人の自由だけれども、少なくとも正直すぎる言葉は歌っていてつまらないし、おれは断然後者派である。

違和感の話に戻るが、違和感であれなんであれ、引っ掛かりを感じた時人は初めて思考する。この取っ掛かりを作るのはもちろん歌詞だけじゃない。先日復活した閃光ライオットで優勝した「でかくてまるい」みたいな感じのバンドはすごいストレートなロックで、MCだって正直自分の好みではなかった。でもバンド名、ビジュ全てが引っ掛かりを持ってたし、結果としてそれは優勝というオンリー(ロンリー)グローリーへと繋がった。ただ若干付け加えるとするなら、このケースではそもそも、「このステージまで勝ち上がってきたバンド」という前提条件があって、既にどのバンドもある種の箔みたいなものを手にしていた。だからまあ正直何やったってアリ。ここまで来る時点ですごいマジで。

要は皇帝御用達の高級中華な訳だ。何出したって美味しそうに見える。おれらの様なしがない町中華が同じことをやったってそうはいかない。二番煎じ、まがいもんと言われて仕方がなさそうな顔で平らげられて終わりだ。それは嫌だ。町中華美味いだろ。誰の記憶にも残らないことは、自己顕示欲の一種なのだろうが、音楽をやる者として絶対に嫌だ。(うちの近くには美味しい町中華がありましたがこの間ひっそりと閉店してしまいました。)

とここまでつらつら書いてきたような理由で、おれは歌詞をかなり捻り上げて作るようになってしまった。最早自分でも元々何を考えていたのか怪しい部分もある。結果どうなったかというと

ウケが悪い

「何言ってるのかよくわからん」
「なかなか受け取りづらい歌詞」
などとこき下ろされている。無念。

おれだって顔も知らん声も知らん服の趣味も嫌いな食べ物も知らない他人に向かって「愛してるぜ⭐️」みたいなことをさらっと言えるような人間だったら、もっとウケがいい歌詞を書けたのかもしれない。だが現実問題おれは君らを愛してはいない(こういう言わなくていいことを歌詞にしたがる癖もある)。

愛の形はさまざまあれど、あらゆる人間に通ずるような、菩薩イエスか尖ったおもんない大学生しか使わんようなBIG LOVEを持ち合わせてなどいない。

結果歌詞が拗れた。伝わるはずが伝わらないことも増えた。それでも感じてくれる人がいる。本当に嬉しい瞬間が稀にある。売れれば尚良い。

ここからは余談だが、バンドが伸びるかどうか、音楽にどう救われるか、みたいな部分って、音楽自体の良し悪しってのもあると思うけど、究極それを歌い演奏する人間のバックグラウンドだったり、説得力に帰属すると思っている。ここまでストレートな歌詞はウニャウニャとゴネてきたわけだけど、おれはスーパービーバーが大好きだ。ライブに行ったこともある。それはVoの澁谷さんが本当にかっこいいと思ってるからだし、その生き方やバンドの歴史に心を奪われたからだ。歌詞はもちろん見るが二の次感は否めない。素晴らしいという前提にほぼ全てが吸収されてしまっている。

僕の言葉にはまだ説得力がない、楽曲の持つポテンシャルと釣り合っていない。それはつまり僕自身の存在に説得力がない、ということだと思う。精進する幅があるということです。みんな、歌詞も見てね。

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