家族とはなんぞや、という話

マイナスなことがあると筆が進む。歌詞も同じ。
なぜかというとマイナスなことの原因はまず自分にあって、結果自分の内面であったり考えていることの輪郭をはっきりさせようとするからだ。うい。

1日何もなかったので映画「スパイファミリー」を見てきた。漫画、アニメと全部通っているので普通に面白かった。斜め前のDK達は終わったあと「やー眠かったわ〜」とか言っていたが、男子3人で見にきてる時点でかわいい。「そういうこと言いたくなる年頃だよな」とか思ってしまう年に自分もなった。

この作品の何がいいって、とにかく今の自分とは全く違う世界の物語であって、変に現実的な要素をマシマシにせずしっかり浸らせてくれるところだ。ミュージカル映画とかは例えば実写だと、現実とフィクション、演出の塩梅がめちゃくちゃ難しいから個人的にはあまり好かない。the・嘘っぽいな〜と思ってしまう。

まあそいでこの作品は、各々が秘密を持つ偽りの家族を描いたポップなやつなわけだが、そういう構成だから「本当の家族とは」みたいなメッセージがキャラクター自身や我々読者に度々問い掛けられる。見事感化されてしまったのでそれをずっと考えながら映画を見ていた。

おれの家族は母がミュージシャンで父親がデザイナー、父が母を手伝いつつ他の仕事もやる、といったものだ。自分が物心つく前は多少なりともいちゃいちゃしていたような記憶もあるが、記憶がはっきりしているあたりからはそんなこともない。いつしか喧嘩の方が多くなり、俺が間に入り、気づけば母に代わっておれが父親と取っ組み合い殴り合いをするようになった。そんなもんだから自分の認識の範疇では家族という場所に「恋愛」とかその類のテイストはあまりない。

そもそも家族とは何ぞや。ここにきてタイトルを回収しにきたわけだが、普通に考えれば「恋愛の延長線上にあるもの」だ。けれどもさっき言ったように、自分が持つ「家族像」と「恋愛」という二つのブロックは上手いとこハマってくれない。

人と付き合うことがある。これは自分が本当に酷いことをした後から特に意識してしまうようになったことだが、先の見えないものには中々価値がつけ辛い。人との関係性というのはプライスレスなわけだが、それはあくまで一般論であり、自分の人生という総資産の中で幾らかの割合を消費しているのが他人との関わりや家族というものである(個人の意見です)。そうなるとできれば寄り道は少ないに越したことはない。

高校の担任の先生は初めて付き合った人とそのまま結婚された。究極これが理想のルートだと思う。知らぬが仏というのはその通りで、無知は罪になることもあれば人を救うこともある。

そうなった時に陥るのが、最初に失敗を想像して結果何にも踏み出せないことだ。自分は同期に一年遅れて就職をする予定だが、この遅れた原因も同じ思考のせいである。まずはやってみろ、という意見は5000%正しい一方、選ぶのが中々難しい。

話を元に戻すが、家族とは何事もなければ人生の大半を一緒に過ごしていく人たちだ。何度も選び直すなんて現実的でないし、そもそもそんなことをすれば自分のことがとんでもなく嫌いになりそう。

この問題に結論は出ないので有耶無耶にしてまたいつか考えようと思うが、とりあえず人と離れることは嫌だなーと思う。全然おもろくなかった講義の先生とかでも、最後の授業でお疲れ様でしたの挨拶とかされると無条件でちょっと愛着が湧く。でもおもろくないから単位は落とす。今日はここで終わり。明日はバンド練なのでしっかり寝て朝からギターを弾きます。頑張っていい機材を最近買ったのでその紹介というか自慢も近々します。

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