恋愛ソングってむずいんだわ

ナカノキルユー(今の頭の中)

恋愛ソングってマジで難しい。レッドオーシャン過ぎる。偉大なる先駆者たちが多過ぎるわけです。例を挙げていくと

ストレート枠 マイヘア
酔っ払い枠 RADWIMPS
ヤング枠 ヤングスキニー
やさぐれnight枠 まかえん
殿堂入り aiko

とまあヤバい。メタルくらい新規参入の枠が狭い。命かけて山籠りとかしなきゃ無理だろこんなん。
おれもナカノキルユーしてたい。レスポールの残像で一生乗り切りたい。だが現実そうはいかない…?いや、いける。

どういう人間になりたいか、どういうバンドになりたいかを考えることがある。そしてそういった理想というのは、今の自分を遥かに上回ったまだ見ぬ自分へと重ねてしまうことがある。ただ最近思うのは、多分こうやって考えるうちはまだ視野が狭い。自分を飛び越えて自分を描くなんてのは現実逃避でしかないし、今の自分が嫌いなら未来の自分だって嫌いだと思う。忘れちゃならないのは、過去の自分も、今の自分も、未来の自分も全部同じってことじゃないですか。知らんけど。

この間両親に、「何がやりたいかをピンポイントで探すのはなかなか難しい。ならどういう暮らしをしたいのか、何を叶えたいのかを考えて、それを実現できる最低ラインを見つけた方がいい」という話をされた。

バンドというのは今の自分にとってかなり大事なものだ。金もかけてるし、大学で音楽をやっているのも結局最後は自分のバンドに還元するためだ。音楽は自分の人生において不動のピースのようになっている。

多分これではダメなのだ。

音楽もまた、何かを叶える手段でしかない。綺麗事はそれを無視して、「音楽をやることが全ての幸せ」というMCを音楽の歴史において全肯定してきた。

もちろん音楽も幸せの一部だろう。少なくとも今の所は音楽無くして自分の幸せは成り立たないと思っている。だけれども自分は音楽がどうしようもなく苦しい時がある。自分の意思が伝わらない時。結果が出ない時。未来が見えない時。いつか来るかもしれない、音楽をやめる選択を想像してしまう時。等々。

僕の論においては、永遠に続く幸せはない。何だって多分その内飽きる。佐々木希がいい例だ(最悪の例え)。でもそこで新しい生きがいやら幸せを見つけて死ぬまで生きていくのが人間の本懐だとも思っている。

不幸は逆にはっきりしている。やりたいことがない。叶えたいことがない時だ。音楽が全ての幸せなら、音楽に飽きた瞬間その人の幸せは永遠に失われる。新しく求めようともしない。音楽を通じて新しい幸せのかたちに出会うことがあるからこそ、音楽は結局幸せへの手段に過ぎないと僕は考えている。

ここまで話していて幸せとはなんぞや、と思う人がいると思う。究極これは結果論であり、自己満足でしかない。もう死ぬって時に、幸せだったなと思えたのならそれは幸せを掴んだということだし、後悔が多いならまた来世で頑張ろうぜってことだろう。正解があってたまるかと思う反面、正解があった方が楽なのは間違いない。だから宗教がある訳ですよ皆さん。

そういった意味で恋愛とはいい箱なわけです。最も流通してる幸せの定義だと思う。みんな経験するし、歌にもしやすい。なんだ、コシヒカリか?チャーハンにもぴったり。

ヤバい、話広げる方向間違えた。タイトル詐欺になってて草

とりあえず恋愛ソングでは勝負しません。VIYONファンなら分かってくれよな。



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