マッド・ラッド・ホープ

優しさに胡座をかく君
お互い様と言って笑う
テレビ屋みたいな日々も暮れ
涼しい夜に身を任す

正しいことがしたい
それが僕の喉を絞める
どこに行けども溢れては
満たすものも無くなっていく

遂には数も数えられず死んでく
そんな大人になるまでの暇つぶし

ゆっくり刺されていく理想も

どこもかしこも敵ばかりだろう
笑うことで何とか保っている
決壊スレスレの痛み
吐いて戻すこと
みないで欲しい

どうにもできないなら
どうにかなった日々を返せよ
階段を降りるその時だけ
空は青くそして赤い

不束者でありたい
一生誰かを追っていたい
明るい道の未来のその果てと
心中するからさ

帰る場所を無くしている子ども
帰す場所に唾を吐く外野
何も考えられず海を見る
そんな奴らだけ置いて行く
どこもかしこも敵ばかりだろう
ありのまま生きてくのも無理じゃない?
マッドラッドホープと名付けて
8月はどうにも昏い

人だかりの朝ぼらけ
曲がる背骨自ずと見えるよ
透けていく白い霧霞
明日はここ

立ち尽くす交差点の真ん中
ここで死ぬことばかりを考え
てはないさ子どもを舐めんなよ
明日も明後日も未来永劫

カスみたいな期待に身を委ね
川の流れに心乱して
過ぎゆく過去の
意義を数えて
死ぬまで見続けるマッドラッドホープ



えー
長い。長くてウケる。語ります
これは当時フラれて最寄りで鬱々としながら書いた歌詞が原型になってます。
胡座をかくっていうのは気を遣わなくなるみたいなこと🦆。

ビー
倫理的、人道的な正義と状況に合わせた選択的正義っていうのはえてしてすれ違うものだと思います。生きていると悲しきかな、やりたいこととやるべきことに違いが生まれます。「溢れて」は「あぶれて」ですね。ハブ、ハブにされてるよーってこと

サビ前
人生ってなんぞやという問いは誰しもぶつかってひっくり返されるものだと勝手に思っていますが、平たく言ってしまえばほぼ100%の人が暇つぶしで、そこに当てはまらなかった人たちが世界を変えたりしているんだと僕は思っています。そうなると残っているのは、「生きているのか死んでいるのかもわからない呆けた状態になる」という薄暗い未来に続く一本道なわけですね。持っていた夢とかその類というのもある日突然パッと消えるのではなく、徐々に徐々に諦めていくのではないでしょうか。そのような経験、これを読んでいる皆様の中にも持ち合わせている人いらっしゃるのではないでしょうか。大丈夫です。あなたの夢、私が叶えます。嫌だ嫌だ


つらいよー、眠いよー、なんでわかってくれないんだよー、っていうのをできるだけ誇張して書いたらこうなりました。

書いててなんかしんどくなってきたのでここでおわり

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