最近の山田亮一
せっかちが好きです。あとは豚の貯金箱
最近はハヌマーンとバズマザーズとサニアラズの山田亮一(敬称略)がTwitterをやっている。自分の想像していた人間像とはちょいと違うけどそれはそれでいい。好きなアーティストの人生の一端にこうも簡単に触れられるツールは何て便利なんだと感動していたりする。
さてその山田亮一だが、この間物販募集します。無給だけどライブ見ていいよ、ってツイートがちょっとだけ物議を醸していた。
個人的な感想としては、交通費欲しいな、くらいかな。
このツイートに群がってる蝿みたいな蛆虫みたいな人類が掃いて捨てるほどいるわけだが、僕にしてみればうるせーなこいつら、って言うものが多かった。僕にしてみればね。
蝿の羽音による主張を聞いていると、やれ山田亮一が教祖を気取ってるだの人を人と思っていないだのうだうだうだうだきっついことをお気持ち表明しているわけだ。そういう奴らの複眼から見ればおれ自身も同じように映るのだろうが、黙れよ。
以前basement timesの記事かなんかで、自分たちのことが2番目に好きな人々を大量に作るよりも、熱狂的に自分たちのことが好きなファンを作った方がバンドにはいい、みたいな話を読んだ。
これはわりかしそうだと思う。特にインディーズ界隈。どれだけ人々を自分たちが熱狂させることが、より多くの人々に聴いてもらえるかに繋がる階段だと思う。だから競合が多かったり内容が被りやすいジャンルってのは最初は良くてもトップまで上り詰めるのは果てしない道のりだったりする(どうしても上位互換だったり偉大なる先達がいてしまうため)。
話を戻すが、山田亮一が作る音楽は本当にかっこいい。別に友達でもないのだから、言ってしまえばおれらには彼の人間性の不整合性や間違いを指摘する義理も、必要性もない。教祖的だろうがなんであろうが、音楽という面で関わっているのであればその面以外を外野が指摘するのは野暮もいいところだと思ってる。友達なら別だけどね。
だから多少彼の人が間違えたところで、「でも音楽いいしな」でスルーすりゃいいのだ。秋山黄色だって女の髪引っ掴んで引っ張り回してたらしいけど、だからなんだよって自分は思ってしまう。
それをなんの義憤に駆られたか知らんけど、多くの人が見る場で「おれが指摘しなきゃ!」、じゃないんだわ余計なんだわ。
別に批判している人たちの人間性を疑うわけではない。人間なんてネットと現実じゃ月とスッポンも日常茶飯事である。
けれども正しさを持ち込む場所を間違えちゃいけないだろ、とも思う。山田亮一のTwitter見てると、多分ちゃんとエゴサするし批判には必要以上に傷つく人なんだろう。
どういう心理で蝿が投稿を載せたかは知らんけど、見えないところでやれ。本人に届いて取り上げられて少しでもスッとしたであろう蝿の胸中を思うだけで気が悪い。
そもそもミュージシャンに対して身内以外ファンや世論とは議論のテーブルについてすらいないものだ。外野は外野。ズカズカ批判するならそれは「余計なお世話」と自覚を持って言葉を発する必要がある。犯罪を犯したのなら警察がなんとかする。
Twitter何て余計なお世話の塊なのだ。そもそも自分も嫌なツイートを無視できていない時点で、書いていることとやっていることが矛盾している。
インターネットだからと言って相手が人間だということを忘れちゃいけない。と余計な世話っかきの、知らん人間を蝿呼ばわりした奴が申しております。こんな人間にはなるなよみんな。
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