Sexy Zone最後の日に思うこと。

「あ、セクゾって生きてるんだ」
最年長として、エースとして、グループの顔でもあった中島健人がグループを卒業する。
1月8日、その報を知った時に真っ先に浮かんだ言葉がこれだった。

ほんの2週間前にライブで目の当たりにした人たちに対して、こんな感想を抱くのも変な話だが、あの時見た現実離れした綺麗な人たちが私たちと同じように生きていて、自分たちの未来を自分たちで考え、決めるたという事実になんだかとてつもない人間っぽさというか、「生々しさ」を覚えたのだった。

大人の都合で幼くして一蓮托生の関係にされた人たちが、自分たちで離れることを決めた。
「大人の決めたやり方 それが正解なの? 僕らは僕らなりに考えている」
デビュー曲の歌詞を体現するような、数奇ささえ感じた。

発表があってからはとにかく寂しくて悲しくて毎日泣いていた。
だって、ケンティーは大好きなメンバーだから、ずっとみんなと一緒にいて欲しい。
でも、同時にその選択ができる人たちだからこそ、こんなに好きになれたんだよなぁ、とSexyZoneのことを好きになった頃の気持ちを思い出していた。

私が好きになった頃のセクゾは、紅白は落選するわ、後輩グループにどんどん抜かされるわ、セクゾのことを知りたくてネットでググると「セクゾ 売れない」と出てくる始末。

デビュー以来お世話になったポニーキャニオンから新しいレーベルへ移籍することが発表された時は、「売れなさすぎてクビになったんじゃないか…」とファンの間でさえ噂になった。

そんな状況でも、むしろそんな状況だったからかもしれない。
いただいた仕事に誠実に向き合っているメンバーを見て、この人たちなんかすごく応援したいな、と思った。

顔が綺麗でスタイルが良くて、どこか知性と品性を感じるのに突如としてトンチキなボケ(主に最年長と最年少から発せられる)が炸裂するグループ。
漫画のような5人の世界に強烈に惹きつけられ、それでも懐かしさを感じるくらい親近感を持ったのは5人が存外「普通の人」だったからだ。

普通の人と同じように、真面目で、地に足が着いていて、勉強熱心で、挨拶がきちんとできて、家族や友だちを大事にしていて…。

「普通の人」というと語弊があるが、「スター然」としてない、「芸能人」っぽくないなという感じがした。

華やかな舞台やスターダムから少し遠ざかり、そこでもがく過程で、「大人の敷いたレールに乗って売れることが本当の夢だったのだろうか?」「自分はどんな人になりたいの?」を各々が考え始めている。
そういう雰囲気を当時のセクゾから感じ取っていた。
そして、そんな彼らに、スター街道にはほど遠い平凡な人生を送る私は勝手に親近感を覚えたのだった。

ホロコーストを生き延びた精神科医・ヴィクトール・フランクルは「人間は人生から問われている存在だ」、と言った

人間は、生きる意味を人生に問うのではなく、人生から与えられた問いに答えていかなくてはいけない。
「生きる」とは、そういうことらしい。

そして、Sexy Zoneが私たちに見せてくれているのも、人生への問いに答えていく姿なのだ。

自分自身に向き合うために芸能の世界から退いたマリウス。
人生を懸けてきたものを手放してまで自分の可能性を試す決断をしたケンティー。
自分自身の殻を破って外の世界で愛されるようになった風磨くん。
身も心も辛い思いをして、それでもアイドルという生き方を選んだ聡ちゃん。
一度は諦めた舞台演劇の世界に再び挑み始めた勝利くん。

みんな、誰かのwannabeではなく、「お前はどう生きたいのか」という人生からの問いにもがきながら答えようとしている。

夢が途切れてしまって悲しい、同じ未来を見れないことが寂しい。
ファンがそう思う気持ちも分かる。
けれど、夢というものは、typicalな「成功」だけでは無いのではなかろうか。

12年以上活動してきた彼らのエンタメに、何度も心を癒され、元気づけられ、勇気を貰ってきた。
その事実は変わらないし、無くならない。
確かにそこにあったかけがえのない幸せを忘れて、あったかもしれない未来を惜しんで嘆くのってなんだかとっても損だなって思ってしまう。

この世に永遠なんてはなくて、未来は今日の積み重ね。
だから人は今、この一瞬を大切に生きていかないといけない。
2022年の年末から、何度もそう思わされてきた。

パッと咲いてパッと散る桜に昔の人が美しさを見出したように、現代人にとってのアイドルもそうなのかもしれない。
一瞬一緒を儚くも苛烈に生きて、そこから生まれる熱量や偶然の重なりが不可逆なものと分かっているからこそ、アイドルの輝きは私たちの胸を打つのだろう。

5人のセクゾの輝きは更新されることはないかもしれない。
でも、君たちの持てる輝きは忘れない。
永遠はちょっと難しいけど、生きてる限り、感謝と共に繰り返し思い出すだろう。

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