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妄想っていう魔法のチカラ。

 旧年を色で振り返ってみる初めてのエッセイチャレンジ、最後である三色目は……
 推しの話はしません。
 全部推し関係でまとめたらキレイだなとは考えたのですが、先にあげた二人に並ぶ情熱を傾けた、しかも去年に……となるとピックアップが難しく。いやザファの三っちゃんとかまほやくのミスラさんとか、語るとなると長いですけどね? ああ、ゲ謎の水木さんや水星のエランくん(二人目)も好きでした(思い出し泣きをしながら)!

 そんなわけで今回は、私の心情の変化について書いていこうと思います。文体やテンションなど、またしても探り探りです……途中で転調するかもしれませんが、よろしければ最後までお付き合いくださいね。

 小さい頃からずっと、想像の世界で遊ぶのが好きでした。元気に身体を動かしながらお友達と遊ぶより、ずっと一人で絵本をめくっているタイプの幼稚園児です。そればかりではいかんと戸外に誘導されても、花壇で虫を、ジャングルジムの上で雲をぼうっと眺めては空想遊びをしていました。
 夢見がちっ子あるある(?)、イマジナリーフレンドはたぶんいなかったと思います。全く記憶にないですし、それらしい事を両親から聞いたこともありません。一方で、「相性のいい」木とはお話ができると感じていたのは覚えています。

 けれど成長していくにつれ、理屈とか事実とかいう根拠がはっきりしている物事に価値を見出すようになっていきました。理由は様々ありますが、周囲の大人が求めた部分も大きかったでしょうか。うかうか歩いて車に轢かれないために、「赤信号では止まること」みたいな知識は生きるために必要です。相変わらずふわふわと想像の世界で遊ぶのが好きだった子供が、生身の人間として生きていくにはなおさら。

 生命を継続するのって結構大変ですよね。神様でもあるまいし、人間の私たちが知覚できることには限りがありますから、ちょっとした選択ミスで易々とピンチに陥ります。
 もちろん、有史以来こつこつと先人たちが積み上げてきた研究や探索の成果は膨大で、日々とても助けられています。でもこの世界の、宇宙の、過去と現在と未来の全てを把握できるようになるにはあとどれくらいの研鑽が必要になることか。いつの日か知識の極みまで辿り着ければいいなあと心から願っていますが、人類が滅亡してしまうのが先なのではないかと思います。
 現在の人間が持てている情報はほんのわずか。明日の天気を今みたいな精度で予測できるだけでも大した進化で、我々はどうして生まれたのか、それが必然か全くの偶然だったのかという根源すらわかっていない状態です。

 つまりは未知数、可能性だらけの世界に放り込まれたけれど使える手数は圧倒的に限られているという、非常にバランス調整の悪いゲームをプレイしている状況に似ているかもしれません。いくらプレイヤー(私たち)が運営(運命)にクレームを申し入れてもなしのつぶて、辛いですね。じゃぶじゃぶ課金してみたからって報われるとも限らないのがまた。
 そんな環境で知識や常識は非常に大切で頼りになる剣ですが、どうしたって限界があります。魔法という想像力を使う必要性が出てきます、このゴールが適切に設定されているのかどうかさえ怪しい無理ゲーを攻略して、マルチエンディングへと到達するためには。

 想像力の魔法を使えば、様々な効果が得られます。
 エンカウントした敵キャラ(面倒な先輩)の上に攻略のヒントが出ます。
 どう見ても行き止まりのダンジョンの壁(人生)に隠し扉が現れます。
 内部パラメータでしか表示されないはずの、自分のステータス異常(異常)も把握できるチャンスが生まれます。
 だけど一番重要なのは、HP(生きようとする力)の回復効果ではないでしょうか。

 人はパンのみにて生きるにあらず、と二千年ほど前から言われているらしいですね。人間が日々溌剌とリアルモ〇ハンするのに肉だけでは不十分、夢を伴った眠りも必要なのです。
 夢とはつまり、未来への希望だとか、過去のあたたかい思い出とか、一緒に狩りをする相手への信頼とか。実際に触って確かめることができないけれど、大事なもの全部のことです。
 魔法(妄想)レベルが上がればなんと、今とは違う世界にアクセスすることだってできます。たまに闇落ちしてしまうプレイヤーも出るようですが、大方はそこで幸せな時間を過ごし、損なった色々なものを取り戻します。どころか、パワーアップしたり素晴らしいレアアイテム(新たなアイディア)を持ち帰ってきたりすることも。

 話の寄り道。
 あの……量子力学的には観測の仕方によって素粒子の状態が決定されるらしいので、逆に言えば観測~妄想~さえくっきりはっきりすれば世界がその状態として立ち現れる可能性はワンチャンあるんじゃないですかね? 実体を伴わない観念レベルであればなおさらハードルは低くありませんかね?? つまり……異世界はある意味実在する……って……コト(どさくさでトンデモ考察を捻じ込みました。科学的な議論をするつもりもレベルもないのでクレームは受け付けません)!?

 閑話休題。
 有史以前から歌や踊り、絵画は人間の生活とセットになっていたようです。なんらかのイマジネーションを必要とするものばかり。ここからも、広大すぎる世界と自分たちが持ちうる「現実」「知識」との圧倒的な差を埋めるために、はるかに時も空間も超えていける「想像」の力が求められていたのがわかるような気がします。

 今も昔も必須であるはずの想像力は、けれど現代では少々不当に低く見積もられていると近頃は感じます。
 幼かった私が大人になっていく道の途中で、想像力の土壌である「夢見る心」は否定されたり、されたと感じるような場面が多くなっていきました。抑圧状態が長く続くうちには、架空の物語を楽しむ自分を「子供っぽくて恥ずかしい」とさえ思うようにも。いつどんなときだって、結局は絶対に手放さなかったくせに。大事にしていた、よりどころにしていた、自分の弱い部分をどんどん空想世界に放り込んで閉じ込めて、心を守っていたくせに。

 「そんなことしなくてもよかったんだな」「別に悪いことじゃなかったんだな」と気付いた今となっては、周囲からの雰囲気圧力があったとはいえ、自分でもああまで否定しようとしたのか不思議なくらいですが……
 でも、きっと。怖かったのだと思います。子供のように守られることのない、大人として生きていくことが。強くなりたかったのだと思います。常識とか現実とかいう、手に取りやすく結果も目に見える剣で戦って、辛いことや悲しいことを遠ざけたかったのかもしれません。たとえどんなに強大なチカラ(腕力権力財力知力エトセトラ)を手に入れても、完全に逃れきれるわけもないのに。
 泣きたいような出来事があったなら、胸に抱き取って癒すしか方法はないのに。小さな頃から培ってきた、自分だけの想像の世界はそれを手助けしてくれる強力な魔法なのに。無意識にも意識的にもずっと使ってきたはずなのに……

 上記のような諸々を自覚するに至ったきっかけは一つきりではありませんが、大きなパーツとして目立つのはソーシャルゲームです。前回前々回のエッセイに書いた二種類の。
 小説、漫画、映画、舞台、絵画や音楽……好きな創作物は種類も作品数もたくさん、妙な罪悪感をうっすらと苦く味わいつつも広く楽しんできた中で、いつでも没入感が段違いだったのはゲームです。ゲーム大好き。過去にハマったタイトルは数あれど、近年の二作品への傾倒ぶりは自分自身にちょっとひくくらいの激しさがあります。
 一次、いわゆるオリジナル小説しか読まないし書かない……というかそもそも存在を知らなかった私が二次小説を量産し、一次ではすることも考えつかなかった「ネットに載せて一般公開」を実行、SNSも開始、あまつさえ書きまくった話を製本してイベントに出るまでするなんて。わずか数年前の自分に教えても信じないかもしれません。

 この一連の流れで出会ってくれたキャラクターたちはもちろん、ネット上の皆様からも本当に多大な影響を受けました。感謝の気持ちでいっぱいです……
 利用を始めたSNSのタイムラインには、私と同じように、あるいはそれ以上に物語という別世界を愛するかたたちの言動にあふれていました。心強かったです。
 ネットにあげた拙い作品に、共感してくださったかたからご感想をいただきました。嬉しかったです。
 架空のお話を通じて、現実を生きるたくさんの方々のお声やお姿を垣間見ました……想像の世界が実際の世界と密接に、隣り合わせに関わりあって存在するさまをありありと目にしたように思いました。
 大袈裟かもしれませんが、私にとっては衝撃的であり感動的なことでした。
 自分の中に築き上げた自分なりの物語を、自分自身で大事にしていいのだと。
 許されたような気がしたのです。本当にありがとうございました。

 失っていたわけではないのだけれど、ずっと暗い場所に置き去りになっていた大事なものに、少しずつ光を当ててあげられている感覚があります。だって近頃はまた、「相性のいい」木と話ができるような気がし始めているので。……単なる子供返りですかね?
 そんな理由から、「2023年を振り返る色」の最後は「サンライズイエロー」。夜明けの光です。輝く黄、といえばイデアさんの瞳やまんばちゃんの髪の色にも似ていますねと、結局推しの話をして終わりにしたいと思います。
 ここまで読んでくださってありがとうございました。またいつかの機会に恵まれましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

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