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【 礼拝ノート 】「祝福を限りなく注ごう」

  2023.11.26の収穫感謝礼拝のお話は、ね羊さんが担当しました。全文は、別にあげておりますので、教会員に配布している礼拝プログラムの『説教要旨』をあげます。

【 聖書箇所 】

  イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。  ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚、すなわち1クァドランスを入れた。  イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。  皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

マルコによる福音書 12章41-44節

【 タイトル 】
  「祝福を限りなく注ごう」

【 説教要約 】※ 聖書引用版も最後にあり
  律法を守る人々は大地の恵みの一部を主に献げ(レビ27:30-33)、それはレビ人や貧しい人々の生活の糧となっていました(民数18:20-21、申命26:12-13)。

  やもめは人々からの施しによって日々の糧を得ていましたが、その命を与える律法によって生かされていることを知っていたのです(申命15:7-11、ヨハネ10:34-38、ロマ2:14-15)。だから人ではなく、神にその喜びと感謝を表しました(ルカ11:40-41、Ⅱコリ9:6-9)。

  あなたはお金や能力、立場、アイデアなどいろんなものをもっています(マタ25:14-15)。

  もし、それらが自分の力ではなく(創世3:14、31:43)、誰かから与えられたものであると信じるならば(マタ11:28-30、Ⅰコリ4:7)、受け取る喜びを知るために、与える喜びを知ることが、神を知る近道となります(マタ6:31-33、7:12、マラキ3:10)。

  なぜなら私たちは、救い主を主(模範)とする信仰によって生きるからです。

【 お祈り 】
  天の愛するお父さん、私は、「こんなことやりたくない」と思っていることがあります。なぜなら、面倒くさいからです。でも、「できるようになりたいな」とも思うのです。

  それは、あのとき手伝ってくれたお友だちのように私もなりたいし、また頼ってくれたお友だちの期待に応えられなかったことがあって、今度はその力になりたいからです。

  今の私ではなく、私が思い描くこれからの私、あなたが正しく見ておられる私としてくださることを、なによりも喜び感謝いたします。

  この祈りを私たちの救い主であり、主であるイエスさまの御名によってお献げいたします。

  アーメン。

【 説教要約:聖書引用版 】

  地の作物であれ、木の実であれ、大地の産物の10分の1は主のものである。それは主の聖なるものとなる。  どうしてもその10分の1を買い戻し長ければ、それに5分の1を加えなければならない。  牛や羊の10分の1については、羊飼いの杖の下を10番目に通過するものが主の聖なるものとなる。  その良し悪しを調べて、取り替えてはならない。もし取り替えるなら、そのものも取り替えたものも聖なるものとなる。それを買い戻すことはできない。

レビ記 27章30-33節

  律法を守る人々は大地の恵みの一部を主に献げ(レビ27:30-33)、

  主はアロンに言われた。「あなたはイスラエルの人々の土地の中に相続地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当て地があってはならない。私こそが、イスラエルの人々の間であなたの受けるべき取り分であり、相続分である。  私はレビの子らに、イスラエルにおけるすべての10分の1を相続分として与える。これは彼らの仕事、すなわち彼らが携わる会見の幕屋の仕事に対する報酬である。」

民数記 18章20-21節

  10分の1を納める3年目に、すべての収穫の10分の1を納め終わって、レビ人、寄留者、孤児、寡婦にこれを施し、彼らが町の中で食べて満足したとき、  あなたは、あなたの神、主の前でこう言いなさい。「私は聖なるものを家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人と寄留者、孤児と寡婦に与えました。私はあなたの戒めに背いたり、それを忘れたりはしませんでした。」

申命記 26章12-13節

  それはレビ人や貧しい人々の生活の糧となっていました(民数18:20-21、申命26:12-13)。

  あなたの神、主があなたに与えられた地のどこかの町で、あなたの兄弟の一人が貧しいなら、あなたは、その貧しい兄弟に対して心を閉ざし、手をこまねいていてはならない。  彼に向って手を大きく広げ、必要なものを十分に貸し与えなさい。  あなたは、心によこしまなことを抱き、「7年目の負債免除の年が近づいた」と言って貧しい同胞に物惜しみをし、彼に何も与えないことのないよう気をつけなさい。彼があなたのことで主に訴えると、あなたは罪に問われることになる。  彼に惜しみなく与えなさい。与えるときに惜しんではならない。そのことで、あなたの神、主は、あなたのすべての働きとあなたのすべての手の業を祝福してくださる。  この地から貧しい者がいなくなることはないので、私はあなたに命じる。この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい。

申命記 15章7-11節

  イエスは言われた。「あなたがたの律法に、『私は言った。あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。  神の言葉を託された人たちが、『神々』と言われ、そして、聖書が廃れることがないならば、  父が聖なる者とし、世にお遣わしになった私が、『私は神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。  もし、私が父の業を行っていないのであれば、私を信じなくてもよい。  しかし、行っているのであれば、私を信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父が私の内におられ、私が父の内にいることを、あなたがたは知り、また悟るだろう。」

ヨハネによる福音書 10章34-38節

  たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然と行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。  こういう人々は、律法の命じる行いがその心に記されていることを示しています。彼らの良心がこれを証ししています。また、互いに告発したり弁護したりする彼らの議論も、証ししています。

ローマの信徒への手紙 2章14-15節

  やもめは人々からの施しによって日々の糧を得ていましたが、その命を与える律法によって生かされていることを知っていたのです(申命15:7-11、ヨハネ10:34-38、ロマ2:14)。

  愚かな者たち、外側を造られた方は、内側もお造りになったのではないか。  むしろ、できることを施しとして与えなさい。そうすれば、あなたがたにはすべてのものが清くなる。

ルカによる福音書 11章40-41節

  つまり、こういうことです。惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。  各自、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。  神は、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。こうして、あなたがたは常にすべてのことに自足して、あらゆる善い業に満ち溢れる者となるのです。  「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与え / その義は永遠に続く」と書いてあるとおりです。

コリントの信徒への手紙 Ⅱ 9章6-9節

  だから人ではなく、神にその喜びと感謝を表しました(ルカ11:40-41、Ⅱコリ9:6-9)。

  「天の国は、ある人が旅に出るとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。  それぞれの力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて、旅に出た。

マタイによる福音書 25章14-15節

  あなたはお金や能力、立場、アイデアなどいろんなものをもっています(マタ25:14-15)。

  神である主は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は / あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で / 最も呪われる。お前は這いずり回り / 生涯にわたって塵を食べることになる。」

創世記 3章14節

  ラバンはヤコブに答えた。「この娘たちは私の娘、この子どもたちは私の孫、この群れは私の群れ、いや、お前が目にするものはすべて私のものだ。しかし、この娘たちのために、あるいは娘たちが産んだ子どもたちのために、今日私がしてやれることは何だろう。」

創世記 31章43節

  もし、それらが自分の力ではなく(創世3:14、31:43)、

  すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。  私は柔和で心のへりくだった者だから、、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。  私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」

マタイによる福音書 11章28-30節

  あなたがたを優れた者としているのは、誰なのですか。あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。受けたのなら、どうして、受けなかったかのように誇るのですか。

コリントの信徒への手紙 Ⅰ4章7節

  誰かから与えられたものであると信じるならば(マタ11:28-30、Ⅰコリ4:7)、

  だから、あなたがたは、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い煩ってはならない。  それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。  まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。

マタイによる福音書 6章31-33節

  だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

マタイによる福音書 7章12節

  10分の1の献げ物をすべて貯蔵庫に運び入れ / 私の家に食物があるようにせよ。――――万軍の主は言われる。必ず、私はあなたがたのために天の窓を開き / 祝福を限りなく注ぐであろう。

マラキ書 3章10節

  受け取る喜びを知るために、与える喜びを知ることが、神を知る近道となります(マタ6:31-33、7:12、マラキ3:10)。

  なぜなら私たちは、救い主を主(模範)とする信仰によって生きるからです。

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