【主日礼拝】2024.5.19「ペンテコステおめでとう」

  これは2024.5.19の主日礼拝で、H.Y牧師がお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
  本日から私たちの教会では、『聖書協会 共同訳』を用いるようになりました。これからは、『聖書協会 共同訳』を引用していきます。

【 聖書箇所 】
(旧約)エゼキエル書 37章1-14節
(新約)使徒言行録 2章1-11節

【 説教まとめ 】

  五旬祭は、過越の祭から50日後に行われるため、ギリシャ語で数字の5(ペンタ)から、ペンテコステと呼ばれます。

  この五旬祭とは、もともとはユダヤ人たちにとっては小麦の収穫祭でした。しかし後に、十戒を授かる出エジプトの出来事を思い起こすものとなりました。されに、小麦の収穫ということもあり、『ルツ記』を記念するものにもなっていきました。

  その五旬祭の日に、風が吹き、炎の下が現れ、人々が故郷の言葉を話し始めました。しかし、このような出来事は、1回限りのことでした。

  今では、『使徒言行録』に記されているようなことは起こりませんが、それでよいのです。

  このような不思議な出来事は、ペンテコステの出来事を知らせるもの、見えないものを見せるためのものだったのです。

  だから、もう起こらなくて大丈夫なのです。

  私は招かれて、信者ではない人たちに聖書のお話をすることもあります。神をまだ信じていない人たちに、このペンテコステの出来事を伝えるには、どうしたらよいのか、いつも頭を悩ませています。

  さて、この弟子たちを変えた聖霊とは、いったい何なのでしょうか。

  イエスさまが洗礼を受けられたとき、聖霊は鳩のように降ってきました。しかし、ペンテコステの日には、風、音、炎、舌として伝えられました。鳩にはふれていません。

  それはユダヤ人を対象に起こった出来事です。最初の伝道は、ユダヤ人から始まったのです。

  本日のもう一つの聖書箇所である『エゼキエル書』を見てみましょう。

  紀元前597年に、新バビロニア帝国から滅ぼされたユダ王国は、捕囚の民となります。新たな王が据えられ、重荷を課せられたのです。

  この第一次捕囚の民の中に、エゼキエルがいました。

  これに対し、紀元前588年に、ゼデキア王は反抗します。しかし、その1年半後には籠城の末、陥落してしまいました。

  この第二次捕囚によって、エルサレムの城壁はことごとく破壊され、町には火を放たれました。それは、もう復興は不可能と思われるほど、ひどいものでした。

  このことを耳にした第一次捕囚の民は絶望しました。その民を励ますために預言をエゼキエルはとどけたのです。

  主は私に言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。  主なる神はこれらの骨にこう言われる。今、私はあなたがたの中に霊を吹き込む。するとあなたがたは生き返る。  私はあなたがたの上に筋を付け、肉を生じさせ、皮膚で覆い、その中に霊を与える。するとあなたがたは生き返る。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。」
  私は命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。地響きがし、骨と骨とが近づいた。  私が見ていると、それらの上に筋ができ、肉が生じ、皮膚がその上を覆ったが、その中に霊はなかった。

エゼキエル書 37章4-8節

  捕囚の民は、生きていますが、その中に霊がなければ生きていると言えるでしょうか。

  ゲツセマネの園で、主イエスを捨てて逃げてしまった弟子たちは、このような状態であったのではないでしょうか。

  今、若者の自殺や生きる希望をもてない人々も多くいます。体は生きていても、その中に霊がなければ生きているといえるでしょうか。

  主は私に言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言え。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹いて来い。これら殺された者の中に吹きつけよ。すると彼らは生き返る。」  私が主が命じられたように預言すると、霊が彼らの中に入った。すると彼らは生き返り、自分の足で立ち、おびただしい大軍となった。

エゼキエル書 37章9-10節

  ヘブライ語で ” ルーアハ ” とは、風とも、霊とも意味する言葉です。神はルーアハを、エゼキエルを通して与えられました。

  これは『創世記』を思い起こさせます。

  神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。

創世記 2章7節

  私たちは神の息を得て、生きることができるのです。神の息、信仰が与えられ、人間本来の生き方ができるようになります。

  本日は、ペンテコステを記念して飾りや赤いハート型の風船を用意しました。私が息を吹き込んでふくらませましたが、10個ふくらませるのもたいへんでしたね。

  このことを思うと、私たちに息を吹き込んでくださる神の深い愛を知ることができたような気がします。

  さて、『エゼキエル書』で言われる大軍とは、イスラエル復興の預言です。そして、それは新しいイスラエルである教会の誕生を意味しています。

  だから、五旬祭の出来事は1回限りでよいのです。不思議な出来事の意味を知ることができれば、それでよいのです。

  十戒を授かることで、種々雑多な民が一つとされました。

  ペンテコステの日に、霊を与えられることで、私たちは神のもとに一つとされました。

  異邦人であるルツは、ユダヤ人であるボアズと結婚し、そのひ孫にダビデが誕生します。

  ユダヤ人と異邦人が結ばれてキリスト者となります。そして、私たちには神の息、信仰と御言葉が与えられたのです。

  イエスさまは、罪の捕囚となっていた私たちの身代わりとなられました。しかし復活によって、枯れた私たちをも生き返らせてくださいました。そして昇天され、聖霊を与えることで一つにしてくださったのです。

  神が、私たちのことをどれだけ愛しておられるか。このことを告げ知らせていきたいですね。

  炎の舌は、一人ひとりの上にとどまりました。

  神の言葉が与えられて一人ひとりで、神を宣べ伝えることができるようになりました。けれども、それはバラバラではなく、御霊のもとで一つ、神のもとで、私たちは一つにされたのです。

  お祈りをします。

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