【R・Ⅿ・G】⑧ 「電波少年」
皆様どーもです。最初のご挨拶に多少の変化をつけようと、試行錯誤中なので、『その挨拶は何だ‼』と怒られるのはご容赦願いますね。という訳で始めましょう。今回もヨロしくお願いしますね。
「電波少年」
今回は日テレ系のバラエティ番組だった「電波少年」です。いつも見て下さる方は知っておられるかもしれません。初めての方はこれから聞いてくださいね。私は生まれも育ちも大阪ですが、吉本大嫌いで、ドタバタ番組は大嫌いです。最近でこそ、バラエティ番組が見れるようになりましたが(と言うよりも、見ないとTVが何も見られない)それならば、「電波少年」最近の番組じゃないだろ!とごもっともな意見も聞かれるかなと思います。まあ。たまには見ていたわけですね。嫌いだからすべて見ない訳じゃないし、一部に好きな人もいたのかなって事です。『ロミオとジュリエット』みたいなものかなと思います。
そんな訳で、カミングアウトしますと、お笑いの中ではダチョウ俱楽部さんは好きでした。子供じゃないのに一番最初の『天才てれびくん』を見ていたくらいです。2年目にダチョウ俱楽部がいなくなって見なくなったのですが、今も続いているようですね。今回話すのは「電波少年」でダチョウ俱楽部さんとは関係ないのですが。電波少年は松本明子さんと松村(以下敬称略)が司会のトンデモな番組でした。最近の人は知らないかもしれませんが、今や大御所の有吉弘行が駆け出しの漫才コンビ時代にユーラシア大陸横断ヒッチハイクとか言うのに出て一時代ブレイクしたと言う曰く付きの番組だったのですね。
有名人にアポなしで会いに行くとか、どこまで本当かわからない、おかしな番組でしたが、何故か知らないけど見ていた気がします。毎回楽しみに見てたわけじゃなく、気が向けば見ていただけなので、そこまで詳しくはないですが、その当時、この手の番組を見ていたことが奇跡っぽいので今回取り上げました。松村もまだ若手芸人で、好きでも嫌いでもなかったのですが、この松村が出ているという理由だけで、普段は見ないドラマ系の『STATION』と『ハンサムマン』なる連続ドラマを思わず最終回まで見てしまったので、実は多大な影響力を持った人だったのかもしれません。
電波少年は一時代を築く大人気番組でしたが、やりすぎ企画で叩かれたりして視聴率も下がり、タイトルの一部をいじるインチキな新番組に替え続けたりして延命を図りますが、しまいには打ち切りになりました。私も松村が番組を降りたころからほぼ見てません…て、やっぱり松村目的で見てたんかい!そんなはずじゃなかったんですけどね。