橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか?』

橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか?』を読んだ。面白かった。橋本治という人は天才で、しかも、明確なロジックをもって思考を天界して、よくわからない文体で表現する人である。たぶん、橋本は、こう書けばわかってもらえる、あるいは、自分を愛してくれる人はわかるというある水準の感覚をもち、その甘えと拒絶の奇妙な領域をふらついている。本書はとくにそれが極まっていた。

内容的には、博論だなあと思った。精緻に再構成すればそうなる。方法論があまりにも明確かつ明晰だからだ。だが、率直にいえば、そうして博論化した論は、多くの博論がそうであるように、つまらない。本書は、そこで奇妙な逸脱をしている。橋本は、『豊饒の海』を愛しているのである。だから、そこに決着がつかない。

この評論の核は、おそらく、《「三島由紀夫」とはなにものだったのか?》という問い、それ自体を三島由紀夫が克服しようとして、それに失敗したことに橋本がある哀惜の感覚を持っていることだ。

橋本の論から出ていくと、そもそも、『豊饒の海』という作品の謎は、それをもって自死に終わるように想定して書かれていたのか?である。この問いがあれば、各部の、緻密に構成されたかに見えて、なんの挿話かわからない系がおそらく整理される。

橋本の文脈に戻るなら、『金閣寺』において「生きよう」とした主題が、『豊饒の海』において、「生きることは終わった」となったのだろう。おそらくある程度予期された「透」の存在を持って終わったのだろう。

というか、三島にとって、この作品をもって死ぬことが、生きることだったのだろう。ただ生き延びて、なんらかの作品を書くことが、もう耐えられなくなったというか、それは死よりも死であったのだろう。つまりは、それは本多繁邦として、描き切られたものだろう。

世人は自殺を厭う。「生きるべきだ」というなんの論拠もない倫理を暴力的い振りかざす。それこそが死を生み出す装置であることになんにも気が付きはしない。それに対して、三島は「生きること」はそこで死ぬことだったのだろう。

ただ、思うのは、自分もここで世人の側にあって思うのだが、彼は青春を死ぬことがなかった。だから、青春の死を引き伸ばしたのかもしれないということだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?