finalvent 読書会 『八十日間世界一周』第2週!

finalvent 読書会 『八十日間世界一周』が第2週に入ります。ゴールデン・ウィークがあって、読書が進んでない人もいるでしょう。でも、この作品は、非常に読みやすいので、今から読み始めても大丈夫でしょう、というか、今からでも。

一応スケジュールはこんな感じです。

スケジュール

第1週 5/1 〜 5/5 第1章 〜 第11章
第2週 5/8 〜 5/12 第12章 〜 第21章
第3週 5/15 〜 5/19 第22章 〜 第29章
第4週 5/22 〜 5/26 第30章 〜 第31章

第1章 〜 第11章の話題 

さて、第1章 〜 第11章ですが、なぜ主人公のフォッグ氏と従者パスパルトゥーが 80日間で世界一周の旅に出たのかといういきさつから、スエズ運河、紅海を経て、インドに到着し、インド横断鉄道が途絶えていたというところまでです。

この『八十日間世界一周』を大人になって読む楽しみは、普通に面白いということに加えて、① ディテールに突っ込む、② 歴史を振り返る、があるでしょう。というわけで、そんなあたりの話題をいくつか書いてみます。

第3章の「レディング・ソース」

第3章の「レディング・ソース」については、以前、極東ブログに書いたことがある。世界の読者がこれを気にしていた。

極東ブログ『レディング・ソース(Reading Sauce)』 2011年11月21日
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/11/reading-sauce-6.html

光文社訳
昼食のメニューはいつもと同じである。まずは前菜、それから茹でて〈レディングソース〉で味をつけた魚料理、あまり火を通さずに焼いて〈マッシュルームソース〉をかけた真っ赤なローストビーフ、ルバーブの茎とグーズベリーの実を詰めたケーキ、最後にチェシャーチーズをひと切れ、こういう料理を《改革クラブ》がインドで特別に摘ませたすばらしい紅茶を飲みながら味わうのである。

原文
Son déjeuner se composait d'un hors-d'œuvre, d'un poisson bouilli relevé d'une « reading sauce » de premier choix, d'un roastbeef écarlate agrémenté de condiments « mushroom », d'un gâteau farci de tiges de rhubarbe et de groseilles vertes, d'un morceau de chester, le tout arrosé de quelques tasses de cet excellent thé, spécialement recueilli pour l'office du Reform-Club.
(昼食を構成しているのは次のものでした。オードブル、茹で魚のレディングソース、緋色のローストビーフのマッシュルーム風味、ルバーブの茎とグリーンカラントを詰めたケーキ、チェシャーチーズ一欠、そしてこれを改革クラブでの饗応に特別に集められた素晴らしい紅茶数杯でいただく。)

問題は、レディング・ソースである。2010年BBCに記事があった。

「Reading's Cocks's Sauce to be recreated」
http://news.bbc.co.uk/local/berkshire/hi/people_and_places/newsid_9026000/9026651.stm

レディング・ソースが再生されることになった。ビクトリア朝時代、レディング・ソースはウスターソースと英国民の人気を争った。レディング・ソースはジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」にも出てくる。しかし1900年代に、レディング・ソースは大衆の人気を失った。現在、レディング・レストランは、かつては名声の高かったこのソースを再生しようとしている。成分は、クルミのケチャップ、マッシュルームのケチャップ、醤油とアンチョビである。

 記事を読み進めると、さらに、トウガラシ、スパイス、塩、ニンニクも含まれるようだ。

論文もあった。
https://www.academia.edu/44467828/The_Celebrated_Reading_Sauce_Charles_Cocks_and_Co_Ltd_1789_1962

ホイスト

 日本ではトランプゲームではストップ系、つまり、手札が空になると上がり、が多いが、西欧では基本的に得点で争う。
 私は子供が4人もいたこともあり、トランプをよくやった。ホイストもやったが、それほど面白くはない、というか、この改良である、ハート(ブラッククィーン)、スペードなどが面白い。ホイストから発展したものにコントラクト・ブリッジがあるが、ちょっと難しい。
 ホイストをお勧めしたいところだが、スペードのほうが類似のゲームとして現代的で面白いだろう。

光文社訳による説明追加

ムハンマド・アル=イドリースィーの説明が詳しい。 

光文社訳
紅海というのは人類の歴史の舞台となってきたところである。そこでは古代からさまざまなドラマが展開されて、人々の脳裡に喜びや悲しみの記憶を刻みつけている。また沿岸に点在する町は、地平線にくっきりと、まるで絵のように浮かびあがって見える。だが、そういった景色にも、フォッグ氏は無頓着であった。やがて、船が紅海を抜けてアラビア海に入れば、古代ギリシアの歴史家であるストラボンやアリアノス、 アルテミドロス、中世に史上初めて正確な世界地図をつくったムハンマド・アル=イドリースィーなどが、その著書に記した難所――贖罪の供物を捧げてからでなければ、船乗りたちは決してそこを通らなかったという恐ろしい難所が待ちかまえている。しかし、フォッグ氏はそんな心配もしていないように見えた。

原文
Il ne venait pas reconnaître les curieuses villes semées sur ses bords, et dont la pittoresque silhouette se découpait quelquefois à l'horizon. Il ne rêvait même pas aux dangers de ce golfe Arabique, dont les anciens historiens, Strabon, Arrien, Arthémidore, Edrisi, ont toujours parlé avec épouvante, et sur lequel les navigateurs ne se hasardaient jamais autrefois sans avoir consacré leur voyage par des sacrifices propitiatoires.
試直訳
彼は、その端に点在する奇妙な町々や、時として地平線に対して絵のように美しいシルエットが際立っていた町々に気が付かないでいた。彼はこのアラビア湾の危険など夢にも思わなかった。古代の歴史家であるストラボン、アーリア、アルテミドール、エドリシは、常に恐怖をもって語ってきた。そこでは、航海士は鎮魂の犠牲奉献なく航海をするという冒険を一度もしたことはなかった。

「托鉢僧」という訳語

「托鉢僧」という訳語が少し気になった。

「ああ。とても面白いところだ。イスラム教の寺院(モスク)や尖塔(ミナレット)があってね。仏教のお寺もあれば、ヒンドゥー教の寺院もある。美しい舞姫たちもいれば、托鉢僧もいる。虎や蛇もいるぞ。もっとも、見物にはかなりの時間が必要だが...」

原文
« Très-curieux! Des mosquées, des minarets, des temples, des fakirs, des pagodes, des tigres, des serpents, des bayadères! Mais il faut espérer que vous aurez le temps de visiter le pays? »
試直訳
とても興味深い!モスク、ミナレット、寺院、ファキール、パゴダ、トラ、ヘビ、バヤーダー!でも、望むべくは、この国を訪問する時間があるかということ。

光文社訳ではdes bayadères(インドの舞姫)の位置を変えている。托鉢僧はdes fakirsだが、これは針の上に寝る、ずっと片足立ち、太陽を見ているとか、へんてこな苦行僧をさすだろう。

セポイの反乱の説明が詳しい

光文社訳では世界史的な説明が詳しく補足されている。

光文社訳
もっとも、インドがイギリスの直接統治領になってからは、まだ日が浅い。 一八五七年に北部の都市でインド人傭兵による〈セポイの反乱〉が起こって、それが収束してからである。それまでは民間の組織である東インド会社が事実上、このインドを統治していた。東インド会社は一七六五年にベンガル太守を支配下におくことによってインドの統治権を手に入れると、マドラスに本拠地をおいて、それから九十年にわたって領土を広げてきた――地代を払うという約束で藩王たちから土地を購入すると、それを領土に組み入れてきたのである(ただし、地代は安く、支払いの約束も守られないことがあった)。総督は東インド会社が任命し、役人や軍人も会社の支配下におかれた。インド人兵士であるセポイを雇ったのも会社である。だが、そのセポイたちによる反乱が起こると、一八五八年に会社はイギリス政府からインドの統治権を剥奪された。政府は民間会社に植民地の経営を任せることに危惧を覚え、みずから統治することにしたのである。

原文
Depuis 1756, époque à laquelle fut fondé le premier établissement anglais sur l'emplacement aujourd'hui occupé par la ville de Madras, jusqu'à cette année dans laquelle éclata la grande insurrection des cipayes, la célèbre Compagnie des Indes fut toute-puissante.
Elle s'annexait peu à peu les diverses provinces, achetées aux rajahs au prix de rentes qu'elle payait peu ou point; elle nommait son gouverneur général et tous ses employés civils ou militaires; mais maintenant elle n'existe plus, et les possessions anglaises de l'Inde relèvent directement de la couronne.
試直訳
1756年、今日マドラス市が占めている場所に最初の英国人入植地が設立されてから、セポイの大反乱が勃発したその年まで、有名な東インド会社が全権をもっていた。
会社は徐々にさまざまな州を併合し、わずかな借地料で太守から購入したが、ほとんどまたはまったく支払わなかった。同社は、総督とすべての民間または軍の従業員を指名した。しかし今ではそれはもはや存在せず、インドにおける英国の所有物は直接王冠の下に置かれている。

光文社訳は現代の世界史の知識でだいぶ説明を加えたり、修正したりしている。とはいえ、「セポイの反乱」という用語は使っている。「インド大反乱」では文脈が変わるためだろう。

シャンデルナゴール

地理の説明でフランス人が作った街「シャンデルナゴール」が登場する。作者がフランス人だからだろうか。

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